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2007/12/10

自信を持って生きる -あるいはひとつの壁-

Photo
 最近、ちょっと考えていることがある。

 私は文章を書くときに「私は」とか「わたしは」とか、「あえて一人称を書く」ことにしている。それは、自分を売り込みたいとか自己主張をしたいとかいうのではなくて、責任の所在をはっきりさせるために、あえて書いている。自分の書いた文章を批判されたとき、自らに弁解ができないようにするためでもある(^^;)

 そんな私だけれど、最近考えているというのは、人と比べて「自分は大した生き方をしていないな。大した文章を書けていないな!」そして「今の自分に納得していたら、これ以上の成長はないな・・・」って客観的に自分を見て、そうチラホラと思えるようになったことだ。

 たとえばこうして「書くこと」は、昔から書いているように、ついに最大の「自己消費」なのである。

 消費するためには蓄えなくてはいけない。でも私は、そんな大事なことを、ずっと以前から怠ってきたことに気がつくのだ。

 人は、私みたいにこうして毎日のように書けば書くほど、自分が軽くそして薄くなる。吐き出せば吐き出すほど、人は痩せて行く。でも、こうして私のようにブログで書き続けている人の中には、それに気がついていない人が結構多い。

 たとえ話として分かりやすく言うと、わたしは写真をアップするが、その画像はほとんど自分のカメラで撮っている。それは一度アップすると、別フォルダに捨てる(保存する)。別な場所でその写真を使うことは、ほとんどない。使えば使うほど写真のストックがなくなり枯れて行く。だから、定期的に写真を撮って補充してストックを蓄えないと、そのうちにアップする画像がなくなってしまう。

 それと同じで、文章を書くのは「心の水槽から水をヒシャクですくって捨てる」のと同じである。「捨てる」が言い過ぎなら、吐き出すでも、流すでも良い・・・。

 一杯また一杯と心の水を捨てていると、心の水槽はいつか空っぽになる。だから、水槽には常に水を補給しなくてはいけない。しかしそれは、とっても大変なことだ・・・・・・。

 私は昔から自分の生き方に自信が持てなかった。

 今ではこうして書くことができるが、その一番の理由は「親の育て方」に一つの原因があったと思う。私の親は、私に「自信を持って生きること」を教えてくれなかった。それは、親が自分に自信が持てず、世の中に遠慮して生きてきたので、それを息子である私に刷り込んでしまったのだと思う。

 そのことで、別に親を恨んではいるわけではない。学校に出してくれ、こうして普通にそれなりに暮らせる。それだけで十分である。

 しかしこんな風にたくさんのことを毎日のように書き綴ることで、この年になって私は、やっと一つの自信を持つことができるようになったのだと思う。英語で言うと「アイデンティティー」である。自分の位置付けができるようになってきた。

 ただ、今度は自分の子どもたちが、どのように育つかということで、逆に私が試されているのであるのだが・・・・・・。

 それは「次のステップ」へと踏み出す「壁」に、最近突き当たったことで得られたものである。壁に突き当たるということは、まだ先があるということである。乗り越えることができる可能性があるということである。今までのように自分に安住していてはいけないということが、この年にして分かったことが少し嬉しい・・・(^^)

 自分を空の上から客観的に冷静に見ることができるようになれたこと・・・。

 いい加減な自分を「ちゃんとしろよ!」って言えるようになれそうだということ・・・。

 人は、死ぬまで「生涯現役」である。

 ※紅白の葉ボタン


 2007-12-10

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コメント

「パスカルの賭け」は 興味深い問いかけだ。

神様が存在するか 存在しないか 賭けなければならないとする
賭け金は自分の人生。
神様が存在する方に賭けたとすれば 
勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる

しかも 人生は意味あるものとなるだろう
賭けに負けたとしても 失うのものは何もない

こういう合理的 功利的な判断が わたしは好き

「神様って どの神様?」という 突っ込みは ありえます
文化 つまり宗教の違う相手に この問いかけは無効
だから わたしは キリスト教の神を 信じません

両親は わたしのことを思って
たいてい 私のために 良かれと 行動し 言葉を発している もしくは そうしていた
両親に悪意があったか なかったか
という この賭けは どうだろうか・・・

どうせ みんな死んじゃうんだから
両親ぐらいは ヨブ記を思い出しつつ 信じるのがよろしいです

だいたい 他人の善意を信じるほうが 確率的に
人生は楽しいのではないか とも思う

それは 資本主義が 長期的に発展し続けてきたし
あとしばらく拡大するだろうと判断した人が
経済的に豊かになってきた事実と似ています(笑)

あんまりバカだと 騙されるから そこらへんは
バランス感覚なんだけど ケロケロ


投稿: クロコ | 2007/12/11 21:53

いつもピンボケの Ichiroですが

 こと 文章に関しては、若いときはほとんど英語しかかかなかったので(欠点でもあるが)「私」 は はっきり明示している。私の文章は 私 で 成り立っているのである。
春はアケボノの主語をすべて 私にしたのは これまた当然中の当然だ。

 そして発表のメデイアが なかなかなかった。論文は Medline, textbooks を目指した。しかし今頃になって反省している。文学者になるべきではなかったか。アハハ

投稿: Ichiro | 2007/12/11 22:18

◎クロコさん
クロコさんはいつも奥が深いので困ってしまいます。

>こういう合理的 功利的な判断が わたしは好き

私は、こういう合理的なのがダメかもしれない・・・。

>「神様って どの神様?」という 突っ込みは ありえます
>文化 つまり宗教の違う相手に この問いかけは無効
>だから わたしは キリスト教の神を 信じません

意ッ味、分ッかりませぇ・・・ん・・!(笑)

まったく九龍公とクロコは、もうチョット庶民に意味が分かるようなヒントを与えるがよろし・・・。

わたしの言っている意味が少しはわかってくれたかな?

クロコさん!


◎Ichiroさん
Ichiroさんがいつも「第一人称」の「私=アイ」でキチンと書かれているのは存じていました。責任逃れしない、キチンとした人格が見て取れました。

でも出来ることなら主語がない言葉を(ほんとうはわたしも)書きたいのです。でも一人称というか主語がない言葉はヨーロッパ的というか、欧米ではきっと弱いので、少し悩みます・・・。

わたしは日本語に「主語はいらない派」デス。

投稿: イチロ→クロコ・Ichiroさん | 2007/12/12 00:05

■>「神様って どの神様?」という 突っ込みは ありえます
■>文化 つまり宗教の違う相手に この問いかけは無効
■>だから わたしは キリスト教の神を 信じません

■意ッ味、分ッかりませぇ・・・ん・・!(笑)

あら またイチロさんの 「わかりません攻撃」が始まった(笑)

マルクスを読み込んでいる人が なにを仰いますやら

誰かの代弁をしているつもりなら 下らないことだぜよ

で 検索してみたら http://d.hatena.ne.jp/rna/20070112/p3
ここに パスカルの賭けについて書いてありました

たぶん パスカルの賭け について 考えたことのある人なら
誰でも こういった思考を展開したと思うんだがなあ

投稿: クロコ→イチロさん | 2007/12/12 06:07

お久しぶりです。
つんちゃんママです(^^)

最近疲れて元気のでないときが多く
ネットもつないでいませんでした。トホホ(T.T)

「疲れたら寝るのが一番!頑張らない!」をモットーに
怪獣グースカに変身していますf^^;

そんな私が言うのもなんですが

>たとえばこうして「書くこと」は、昔から書いているように、ついに最大の「自己消費」なのである。

そうかなぁ?
イチロさんにとってはそうかもしれないけれど、私にはピンと来ないなぁ。
私にとっては書くことは最大の自己表現です。

>文章を書くのは「心の水槽から水をヒシャクですくって捨てる」のと同じである。「捨てる」が言い過ぎなら、吐き出すでも、流すでも良い・・・。

>一杯また一杯と心の水を捨てていると、心の水槽はいつか空っぽになる。だから、水槽には常に水を補給しなくてはいけない。しかしそれは、とっても大変なことだ・・・・・・。

確かに自分の心の混沌を文章にすることに
「吐き出す」とか「流す」という感覚を持つことはあるし
書いた文章は「もう過去の自分の抜け殻」みたいな感じがすることもある。
でも私にとっては書くことは自己表現だから
「書いて自分の心の水槽が減っていく」という感じがよくわからない。

イチロさんの文章を読んで
「何かを手放したら、その分何か新しいものが手の中に入ってくるんだよ」
って言葉を思い出しました。
(人から言われたことか、本で読んだのか覚えていませんが)

大変生意気で申し訳ないのですが
イチロさんは
「心の水槽を補給するのは大変」
と思っていらっしゃるみたいなので
「そーじゃなくて、何かを文章化して送り出してしまったら
『補給しよう!』と頑張らなくても
その空いた部分の心に自然に
新しい何かが入ってくるんじゃないんですか?」
と言いたくて投稿しました。

気がつくと
子どももグースカに変身して寝ていましたf^^;
起きて夕飯食べてくれ~(T.T)

投稿: つんちゃんママ | 2007/12/12 18:48

teacup communityが20時間ばかりお休みで、ここに来ました。もう書かねばならない中毒かな?

本日のキノコニュース

うちの介護員さん(かっこよく、ケアワーカーと言っている)に 香茸(こうたけ)さん といわれる人がいます。

ローカルの人ですが、どういう謂れか、聞くのを忘れました。いかにもキノコニュースでした。

 Ichiro

投稿: Ichiro | 2007/12/12 21:50

クロコさん! ありがと(^^)

「パスカルの賭け」って本当にあったんですね(^^)

でも、パスカルってエライ人かと思ったけど、結構身近な話題で盛り上がっていたんですね(笑)

>誰でも こういった思考を展開したと思うんだがなあ

クロコさん。世の中、いろんな人がいるので「誰でも」はもう通用しないかもしれないですね・・・。

でもクロコさんは、相当奥が深いです(^^)

投稿: イチロ→惠莉さん | 2007/12/13 01:23

子育て最中での書き込みありがとうございます(^^)

あの・・・・・・つんちゃんママさんは、まだピチピチと若いので、そんなゆとり感覚でいられるんですのよ(笑)

今日は、はっきりと書きますね。つんちゃんママさんは結構打たれ強いみたいですから、キッパリ・ハッキリと書きます・・・(アハハ)

写真の例えを書いたんだけれど、書くという行為は、自分の画像をその度にアップするのと同じで、物理的に自分の備蓄を消費することなんですよ。そんなことを把握してくださいましな・・・。

つんちゃんママさんは輝いていて、そして若いから、

>『補給しよう!』と頑張らなくても
>その空いた部分の心に自然に
>新しい何かが入ってくるんじゃないんですか?」って言いますが・・・・・・・・・、

ったく!!! このママさんはぁぁ・・・(笑)

あのね(^^)

若いときには、いらないって言っても、水が「どばどば」って水槽に、いっぱい入ってくるんだよぉ。でもね、ある程度年をとると、供給量がかなり減るんだよ。

そうなったら、自分で供給するしかないのよ・・・。

今のつんちゃんママさんに大事なのは「ぐーすか寝て子どもさんを溺愛すること」でしょうか?

子どもさんは、蜂蜜位甘くドロドロに愛して可愛がって過剰なほど愛情を注いで育てたら、良い子になるって思います(^^)

つんちゃんママ! もう少し頑張れ!

良い子になるでぇ・・・。

投稿: イチロ→つんちゃんママさん | 2007/12/13 01:59

>うちの介護員さん(かっこよく、ケアワーカーと言っている)に 香茸(こうたけ)さん といわれる人がいます。

あの「コウタケSarcodon aspratus(Berk.)S.Ito」は
Berkeleyさんが最初に名前をつけて、その後日本の伊藤せいやさん(漢字忘れましたです)という菌学者が、属を替えました。

ただコウタケは漢字にすると「香茸」ではなくて、感触と見た目からくる「皮茸」らしいです。私もずっと香茸だと思っていました・・・・・・

投稿: イチロ→Ichiroさん | 2007/12/13 13:18

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