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2007/12/30

餅つきって・・・エッチ?

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 今日2007年12月30日は、お餅つきの日。

 朝から妹もきて、5人がかりで「2,7升の餅を3臼」搗いた。合計8升になる。二臼は白い餅、一臼は春先に母が採って冷凍しておいた「ヨモギ」を入れた草餅である。

 私の住まう地方では、結婚した夫婦はその年の暮れに、必ず臼で餅を搗くのが昔からの慣わしであった。でも最近ではそんな慣わしは行われなくなり、近所から「ペッタンペッタン」という餅つきの音が聞こえることもなくなった。

 それは民俗学的にもおもしろい風習だが、結局「夫婦の営み」を象徴しているといって良い。

 つまり夫(男)が臼に杵を打ち込む。それを軟らかい餅が受け止めて妻(女)が手返しをする。その行為は夫婦の夜の営みと同じで、杵は男、餅=臼は女なのである。

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 実際に白い餅を搗いてみると、その感触は実にとても官能的で、とっても気持ちが良いものである。白い餅に自分が打ち下ろした杵がめり込む感触は、確かにその行為そのものと言って良い・・・(笑)

 そして、餅つきは命がけの作業でもある。

 二人のタイミングが合わないと、手返しの妻の頭を叩いてしまう。実際それによって亡くなってしまった女性もいる。年末になって、夫の杵で頭を叩かれて死んでしまうなんて最悪である。杵を打ち下ろす速度と、手返しのタイミング、その絶妙なバランスがとれることで、夫婦が阿吽の呼吸で連れ添うことができるのだ。

 今年の餅はちょっと長めに蒸かしたため、とても柔らかくなめらかにできた。妹にもたくさんの餅を持たせた。どうやら、やっとこれで、年を越せそうである。

 ※上:そろそろ搗きあがりのふっくら白い餅と杵

   下:お供え餅を丸める手(これはやっぱり女性のふっくらした手で丸めるのが美味しい)

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2007/12/29

お年玉付き年賀状を間違えたぁぁ・・・(^^;)

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 あの、本当にすみません。

 私は年賀状は180枚位しか出しませんけど、やっと今日、お年玉付き日本郵便の年賀状を、全部出すことができました。

 でも、先日印刷していて「10枚位年賀状が足りなくなって」、でもまだまだ数には余裕があったはずだって思って、引き出しをみたらやっぱりあったので、印刷して今日出しました。

 ところが!!!

 その年賀状が、なんと2003・2004・2005・2006・2007年に余った年賀状でした。

 郵便局で交換しようとしてまとめてあった昔の年賀状を、間違って印刷してしまったのです。だって、お年玉付き年賀はがきの切手の部分って、みんな赤いじゃん!!!

 今になって、娘が自分の年賀状を印刷したいというので、「しょうがないな。もうこれだけしかないぞ!」って彼女に年賀状を渡したら・・・、

 「とうちゃん、これ昔の年賀状じゃん!!」って言われて、初めて気がつきました(冷や汗)

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 もし、ここをご覧の方で、昔の年賀状が間違って届いた方がいらしたら、年頭から本当にごめんなさい。悪気があったのではありませんので、何とぞご容赦ください。

 それは「お年玉が当たり」なので、目出度くそんな何賀状が届いたお方様は(笑)、どうかご一報ください・・・。厳正なる抽選の結果、以下の賞品をお送りさせていただきます(^^) たぶん、一等か二等が当たると思います(^^)

 (ブログのコメントでのご報告は、ご遠慮ください・・・)

 お詫びに、心ばかりの「高級品」をお送りさせていただきます。

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 4等賞: クルミ(カシグルミ=アメリカぐるみ)

 3等賞: 干し柿(3個)

 2等賞: イチロの顔写真

 1等賞: イチロのサイン入りエロ本


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 今日29日は、苦(9)餅で、餅つきは御法度なので、明日餅つきをします(^^)


 ※フライと唐揚げ

 2007-12-29

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2007/12/28

何とか1年を生き延びた・・・。

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 もう、今年も余すところ3日になった。

 毎年思う。

 「やっと一年を生き延びたよ・・・ 生かしてくれてありがとう」

 生かされていると、思っている。

 生きたくても生きることが出来ない人も大勢いる。そんななかで命を長らえることができるのは「生かされている」のだと思う。それが「神」の力なのか「仏」の力なのかはわからないが、まだあの世に来るのは早いと言ってくれているような気がする。

 今までの自分を守って生きるのも人の人生。新しく挑戦するのも人の人生・・・。

 出会いがあって、賭けてみるのも新しい人生・・・。

 みなさんはどうですか?

 挑戦しますか? 守りに入りますか?

 私は、挑戦するか遠慮(撤退)するか迷ったとき、これまで必ず前を向いて「挑戦」してきた。それだけは、どんなに無鉄砲と言われようとも、自信を持って言える。でも、この先そんな無鉄砲なことが出来なくなって、迷った時「止めよう?」って思った時が、人生の引退時なんだって思う。

 挑戦することができなくなったら、人は守りに入る。

 それは成長や進歩を諦めたということだ・・・・・・。 そんな時が、引き際だと思う。

 危険なことにでも、あえて挑戦する気持ちがあるうちは、現役でいられるって思う。


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 今年一年、いろんな人との出会いがあって、いろんな経験をした。ありがたいことだ。いろんなことを教えていただいた。日々「学ぶ」という気持ちを失わない限り、人は生き生きとして生きることができる。

 「1日にたった一つ」のことを覚えるだけでも良い。それによって、脳も活性化して元気が出る。

 読んでくださるみなさんには申し訳ないが、私は今まで覚えたことや、たとえば植物や菌類・動物の「学名(ラテンやギリシャ語のサイエンスネーム)」をあえて掲示板に書くことにしている。それは「呆けたくない」からでもある。マツタケの学名はTricholoma matsutakeである。

 私は、頭は良くはないけれど、ラテン語を知っているだけでチョッピリと自慢ができる。 だって「ラテン語」って、とってもオシャレでしょ・・・ 片手にラテン語の辞書を持って歩いたら格好いいって思うな・・・(アハハハハ) 

 その位のプライドを持っても良いかなって思うんだ・・・。

 
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 みなさんも、生き物である限り、いずれは年をとって病んで幽明境を分かつのだから、死ぬ時に満足して「生きてきて良かった・・・」って思って死にたいよね・・・。

 なんだか年末に暗くなっちゃったけれど・・・・・・

 生かされているっていう気持ちは、忘れたくないよ・・・。

 ※湖の朝凪・・・

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徳永英明という現象

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 徳永英明の甘い声に、はまっている。

 男のくせに・・・・・・(ハハハ)

 以前、彼がスマップの中居君のテレビ番組で、挑発に乗って何曲も歌った声を聞いて、男のわたしもはまった。

 カバー曲で売れることが彼にとって嬉しいかどうかは分からないが、徳永英明の声を聞くと、男のわたしでも陶酔する。

 なんて澄み切った声なんだろう・・・・・・。 淡々として歌うその澄み切った声が、心に響く。

 今日、CDを3,000円で買ってきた。

 CDに何枚か焼いた。もちろん違法な商売をするつもりはない。自分が個人的にあちこちで聞くためだ。

 女性の歌をこうしてうたって売れるのは、やっぱり声質と、彼の才能だろうなぁ・・・・・・

 ※CD・・・VOCALIST3

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2007/12/27

杉村太蔵という究極のおバカさん・・・

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 小泉純一郎元総理が行った、戦後政治最大の汚点というか、政治家のわがままというほとんど最低といってよい「郵政選挙」で当選した「杉村太蔵」さんという「小泉チルドレン」が、数日前カメラに向かって発言していた。

 引用先がないので、ニュース発言の記憶から書くが、

 「推薦するのは党の勝手。推薦したければすればいい。出馬するのは私の勝手、ボクは北海道1区から必ず出馬します」

 ってなてことを・・・言った。

 その、発言を聞いた瞬間「あちゃーーー(苦笑)」って思った。当選から結構月日が流れたが、最初の発言から今日になっても何にも変わっていないって思った・・・(笑) KYっていうのか、空気読めないっていうのか「だめだ、こりゃ・・・・・・!」(アハハ)

 私は「小泉純一郎元総理」は、国賊として「裁判にかけて処刑するに値する!」と今でも思っているが、先の郵政選挙で当選した連中の全員が「程度が低い」とは思わない。しかし片山さつきさんは大嫌いだし(笑)、猪口邦子さんはケバイし、佐藤ゆかりさんは生々しすぎる。総じて税金で養うには程度が低すぎると言って間違いではないと確信する。

 「杉村太蔵」という、一国の「現職議員」「おバカさん」と言うからにはもちろん理由がある。

 先日のあんな発言をして、はたして次期選挙で推薦をしてくれる党や組織があるのだろうか? 小泉さんブームで何の苦労もなく、たまたま当選してしまった杉村太蔵クンだから、それを自分の力で当選したって思いこんでしまっているんだろうネ(笑)

 哀しいよ・・・。

 それにこれまで気付き、精進して国家国民のために多少なりでも貢献したという実績があれば、それはそれなりに評価されよう。イチロだって偶然に国会議員になったのなら、その位のことは考えるぞ!(笑) そんなことさえも考えず、何の変化もできず、上のような発言を今になってする「杉村太蔵は究極のおバカさん」なんだよ!(^^;)

 もし、今度の選挙で北海道第1区に彼が実際に出馬し、彼をもし当選させたら、わたしは北海道第1区の方々の「民度」を疑う。

 「杉村太蔵」なんていう「能なし」を税金で養わなくても、いくらでもやる気と才能のある連中はいる。それほどこの国は貧しくないと、私は思うよ・・・。

 北海道第1区に志のある連中は、こぞってみんな立候補してほしい・・・!


 ※もやのかかった、朝の山

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2007/12/26

彫金家の鎚(つち)

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 今から18年前、日展で活躍し76才で亡くなった彫金家(金工家)が使っていた「鎚」を、その奥様からいただいた。

 数年前のことだった。

 一番右の大きな金鎚は日頃から仕事で釘などを打つのに使っていたが、左側一連の7本は、つい最近になって引っ張り出してきて使い始めたものだ。それらは大きさ(重さ)が軽くて小さいものから、順に重くて大きなものまで一式が揃っていた。

 一番右の鎚は「385g」、一番左の鎚は「45g」である。

 わたしは仕事柄、鉄釘や真鍮・ステンレス・アルミの釘、五寸釘から長さ7mmくらいの短い釘、そして「虫ピン」まで打つことが多い。そんな時、全てをほとんど一番右側の大きな「鎚」を使っていた。それは鎚の面が「凸」で、平らではないのでとても使いにくかった。でも、どうして左7列にある軽い鎚を使わなかったのか。今になれば我ながら不思議である・・・・・。

 たとえば虫ピンを壁に打つのはとても難しい。打つのは誰でもできるが、虫ピンという鉄は柔らかくステンレスのように固くないので、打つ角度やタイミングを少しでも間違えると、すぐに曲がってしまう。それを曲がらないよう固い壁にまっすぐに打つのは、相当な技術を必要とする。「直径0.6~0.7mm位」の虫ピンを曲がらないように打つことの難しさを、日頃から実感していた。

 でも考えてみたら、1gの何分の1かの虫ピンを打つのに「385g」のトンカチではそもそも無理だったのだ(笑)

 いただいた45~100g位の軽いトンカチを使ったら、いとも簡単に虫ピンが壁に打てるのだった・・・(^^;)

 これらの鎚は、見事に黒光りしていて、木の柄は「作家の垢と脂」で黒光りしている。こんな鎚は今、店で買おうとしても絶対に売っていないだろう。砂鉄から作ったような純度の高い、でも一方では荒っぽい「ジャジャ馬」のように、使いこなすのが難しい鉄である。

 でも・・・「左利きの私」が、これらの鎚を握って釘を打つと、このジャジャ馬はわたしに反発して抵抗するのだった。

 最初その理由が分からなかった。

 しかし、道具を使っていた作家が「右利き」だったということに気がついたとき、その理由が分かった・・・。この「鎚は、右利きが使う」ように慣れているのだ。

 だからたぶん、「左利き」のわたしには違和感があったのだ。

 でもこれから、この鎚を私なりに使いこなし「調教」していこうと思っている。

 ツヤツヤと黒光りする柄を握ると、その作家の思いが伝わる。それは「一つの怨念」なのかもしれないが、同じ地元に育った私はそれに負けたくないと思う。

 「あなたの思いを、一個の後輩として受け継ぐから、その分、私にパワーを与えて欲しい!」

 と、そう願う・・・。

 

 ※ 鎚の画像です(^^)

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2007/12/25

クリスマスの朝・・・

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 10年前に書きました。

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クリスマスの朝 /イチロ

 ※フィクションです。

 「おにいちゃん サンタさん こなかったね
  おとうさんと おかあさんも 帰ってこなかったね」
 「うん・・・ しょうがないよ・・・ 」

 「まいとしサンタさんきてたのに」
 「うん でもぼくがきょう 何かあげるから」

 「じゃあ おにいちゃん おりがみかって」
 「うん でもぼくのおこづかいで買えるおりがみだよ」

 「なんでもいい おにいちゃんは4ねんせいだから
  ちょっとはおかねもちだって まえに いってたじゃない」
 「うん じゃあ朝ごはんたべたら
  近所のぶんぼうぐやさんにいこうか」

 「わたし そのありがみでおにいちゃんに いろいろ
  おったげる わたしほいくえんで おりがみせんせい
  っていわれてるのよ なにおってほしい?」
 「うん じゃあ 鶴とやっこさんと しゅりけんできるか?」

 「えへへ よかった わたし だいとくいなの」

  1997/12/26 イチロ

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  ※:紅茶ブタ

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2007/12/24

女の子と クリスマス イブ・・・

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 4年前の2003/02/09(日)に、書いた文章です。

 女の子が元気な国は、 元気な国だと思います。


 「少女の笑い声 /イチロ」

 少女達の明るい声があふれている場所にいるとなぜか心がなごむ。同級生の男
の子はムスッと黙りこんでいるけれど、女の子達はいつも甲高い声で絶え間なく
お喋りを繰り返して「キャッ、キャハハハ!」という笑い声が絶えることはない。

 男の子達はそんな同級生の女の子を、鬱陶しいまなざしで斜交いに見つめては
「ったくもう!女ってのはうっせえんだよ!」とかなんとか言いながら、本当は
そんな黄色い嬌声の中にいて、まんざらでもないホッとする安心感を覚えている
のである。自分もそうだった。

 「子どもってのは神様からの贈り物だ。真冬に咲くバラのようなもんだ。」

とは、映画『アルマゲドン』の主人公である「ブルース・ウィリス」の親父が言
ったセリフであるが、とりわけ少女達はこの世への贈り物であると、オヤジ達は
信じて疑わない(^^;)。

 11歳頃から、女の子は鈍い輝きを放ち始める。女の子は男の子より早く大人
になるから、悩みを抱えるのも早いのだろう。その頃から愁いを含んだ風情の女
の子が目立つようになる。

 そんな女の子は、複数の男の子や仲間の女の子を注意深く観察していて、いつ
も休むことなく頭の中に情報を収集し・分析し・判断し続けている。ありとあら
ゆる計算を絶え間なく繰り返しているのだ。きっとスーパーコンピュータの数十
倍の速度で演算を行っている。

 「○○ちゃんは△△くんが好きらしいんだよ」「でも△△君は本当は◇◇ちゃ
んが好きなんだヨ」「○○ちゃん可哀想だね」「そんなことないよ」「○○ちゃ
んって、××君にもちょっかい出してんだよ」「振られちゃえばいいんだ」「そ
んなことを言っちゃいけないよ。◎◎ちゃん!」等々・・・延々と続く(^^;)。

 とまあ、こんな具合で女の子の会話は大人なのである。一方、そんな女の子の
実体をわかる男の子は、まず120%いない。「キャハハハ!」っという屈託の
ない笑い声が聞こえれば、深い意味に思いを遣ることもなく、それで他愛なく安
心しているのが、お馬鹿な男の子である(笑)。

 大人の男もきっとみんな同じである。女の子達の笑いは、男にとってはまった
く他意がなく屈託がないとしか思えないから、いつも心が和んでしまうのだ。

 でもそれで良いんぢゃないか。少女達の黄色い笑い声があふれ、それに男の子
がだまされるような社会が、いつまでも続いて欲しいと思うのである。

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 性差ということを、もし一つの規定の在り方だというのなら・・・・・・、男が表面に出て表向きの役目を演じ、女性(妻)は裏方に回って本当は男達をコントロールするという規制が、ある意味で一つの形態だって思う。別に女性が表に出ても当然良いけれど「種」とか「生物」とかのレベルで考えたとき、男と女とか、意味がないと思う。でも現実に性差を「生物の形質の差」だと認識したとき、男と女は違うっていうことを認めた方がとっても「楽」だ。

 男女共同参画とか、男女平等とか、ウーマンリブとか、男尊女卑とか、そんなことを大仰に叫んでエネルギーを消費することの愚かさを思う。

 「消費する」 「エネルギーを使う」

ってことの本当の意味を、私も含めて本当の意味で理解しなくちゃいけないって思う。

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 女の子が、ケラケラと笑って、クリスマスにこだわるようなそんな世の中が、健全日本っていうか、健全な地球なんじゃないのかな・・・・・・?

 女の子も頑張るし、男の子も頑張ってるよ・・・。男の子は、女の子にやられていないで、復讐してやれよ・・・!! やられてばかりじゃ、悲しいぞ・・・・・・(^^)

 メリークリスマス・・・!(^^)

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2007/12/23

気が利く人 気が利かない人

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 職場で一緒に仕事をしている、元「国鉄ウーマン」のおばちゃんが言った。

 私がこれまでの人生の中で、2番目位に尊敬していて、そしてなぜかとっても気が合う女性である。

 彼女は今60才代後半。高校を卒業して進学したかったものの、当時は大学に行く女性は少なくて、結局進学を諦めてお父さんが勤めていた「国鉄」に入った。そこで、徹底的に仕込まれたという。当時の国鉄は男の職場で(今のJRでも男の方が多いのだろうか?)、そこに女性が入っていくというのは、大変なことだったらしい。

 その頃彼女の父親や家族は、お父さんが駅長なのに、娘が「気の利かない娘」だと言われたら困ると、みんなから徹底的に教育されたのだという。

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 現在の彼女は、私がカップヌードルを食べるというと、頼みもしないのにお湯を入れてくれて、しかも割り箸まで、私のために割ってくれるのだ。生まれてこの方、母親からもそんなことをしてもらったことが一度もなかった私にとって、そんな女性は彼女一人しかいない(^^;) 

 そんな彼女が、今日話してくれたことである。

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 「イチロさん。気が利く人と気が利かない人って分かるよね?」と彼女は聞く。

 「うん、何となくわかる・・・」と私は答える。

 その1:「昔は、国鉄の男の人はたばこを吸う人が多かったから、よく『灰皿』とか『マッチ』か小間使いを頼まれたの。その時、灰皿といわれたらマッチも必ず持っていく・・・。マッチ持ってきて!と言われたら灰皿も持っていく・・・。それが『気が利く』ってことなの。今では『マッチ持ってきて』って言われたらマッチしか持っていかないでしょ。それじゃダメなのよ」

 その2:「誰かが私に『鉛筆買ってきて』って言うでしょ。もちろんどんな鉛筆で何本とかは当然聞いて確認するわよね。ただその時、そのまま部屋を飛び出して買い物に行っちゃいけないの。部屋の中のみなさんに『これから買い物に行きますけど、他に買ってくる用事はありますか?』って、聞かなくちゃいけないの。それを言えないと『気が利かない娘』になっちゃうのよ」

 私も彼女ほどではないがそうした環境で育ったので、彼女が言わんとすることは理解できる。

 イチロ: 「そうだよね・・・。以前別な職場にいたとき、軍手を買ってきてくれってとある彼に頼んだことがあるんだよ。これから大掃除をするから、一束買ってきてって。そして大きさはMサイズだって言った」「そしたら彼は、しばらくして手ぶらで帰ってきて『Mサイズがなかったので買ってきませんでした』て言うんだよ(笑)」「良いけどさ、気が利かないヤツだって思ったさ! これから掃除するのに『初めての子どものお使い』じゃあるまいし、Mサイズが無かったら気を利かして、大きすぎてもLサイズを買ってくればいいのにね・・・。指示待ち世代なのかな?」

 その3:「国鉄の男の人なんて、みんな上手に遊んでいたわよ。それで人間としての深みが出るのよ。イチロさんもお遊びなさいな(^^) 何も知らない堅物なんて、何にも楽しくないわ。でもそんな現場をたまたま見てしまったとき、それをペラペラと友達とか職場の仲間に話してしまっては絶対にダメなの。それは自分の胸の中だけにこっそりとしまっておいて、いざというときの『隠し球』にするの(^^) 気が利くとかいう話とはちょっと違うけれど、先手を打って、将来のことまで見通して、上手に生きるのが『気が利く』生き方なのよ・・・わかったぁ? イチロさん・・・・・・!!」 (畳み込まれる)

 イチロ」(うっ・・・・・・女は怖いょ・・・・・・)

 この女性は、今の私が一番信頼している女性で、彼女から万が一裏切られたら、もう人生を辞めようかと思う位、ほんとうにしっかりして堅実な元お嬢様な女性なのである。そんな彼女が言う「気が利く生き方」は結構重いが、言われてみると確かに、なるほどと思うのある・・・・・・。


 ※クリスマス&ハッピーバースデー


 2007-12-23

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2007/12/22

また今日も、朝からパニックですか・・・(^^;)

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 誰にもそれぞれの性格がある。

 「無くて七癖」というように、生活環境が違った場所で育った人間(動物?)には当然違いや個性がある。そんなことをいちいちあげつらっていたら、誰とも協調して遊んだり仕事したりもできない。

 「それは、自分にも自分のクセがあるからお互い様。人のクセや常識の範囲内に収まるちょっとおかしなことは聞き流す」というのが、一般的な「大人の常識」である。

 自分はしないが、身の回りの人がそれをするのは「仕方ないよね・・・」「認める(諦める)」ことができるのが・・・普通の大人である。

 そう私は思っている。

 しかし物事には、生物学的にというか、物理的な「限度(限界)」というものが自ずと存在する。それは停留所で一列に並んでバスを待っているとき、前の人との間隔は、常に一定の距離間があることと似ている。たぶん40~50cmだろうか? それを前の人との距離間隔を15cmまでに近寄ったら、前の人は不快に思うか、逃げるか・・・「あんまり近寄るんじゃねえよ!!」と、睨むだろう(^^;)

 それと同じ意味で、朝職場に着いて「おはようございます」という挨拶が終わった直後から、自分の中に溜まっていたらしい・・・、昨日仕事が終わってから今朝方まで延々と考え続けていたかのような話を、まるでパニックになったかのように、弾丸を発射するかのように朝のうちに一気に話してしまわなくては気が済まない、言うなれば「パニクリ症候群」という、ある意味一種病的ともいえる「症例」に私は、どう対処したらいいのか・・・・・・最近溜息をつくばかりである。

 ここそんな日が何日か続いているのである。

 そんな彼女の「朝から全開状態の弾丸攻撃」を受けると、最近では、なんだか心臓が「ドキドキ動悸・息切れ」するような気がする。彼女は自分が言いたいことを全て吐き出して朝のうちに言ってしまって「自分はスッキリする」のだろうが、言われた方はたまったもんじゃない。

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 仕事というのは心安らかに落ち着いて始めて、穏やかに冷静に粛々と進めるものだと思っている(偉そうな言い方で(笑)、多少の脚色がある・・・アハハハハ)

 でも、彼女の場合は、朝からのテンションの上がり方が、私だけでなく周囲の人間にとっても少し異常であると思われていることは確かだ。機会があったら病院で一度診察してもらった方が彼女のためにも良いと思うのだが、そうハッキリと助言忠告するのはチョッピリはばかられるし「鈴を付ける」役目は、誰しも嫌いだ(^^;) 私も、敬愛する「ちろるさん」から以前叱られてしまったけれど(笑)「多動性症候群」のクセがあるので、あまり人のことをああだこうだと指摘する立場にはない・・・・・・(笑)

 でも、朝からいきなりの全開状態は、あまりにも無理がある。

 そのテンションの高さに、みんなが心臓が朝からバクバクなのである(^^;) そんな状態で「良い仕事」なんて100%絶対にできない。それに自ら気がつかないのは悲しいかな彼女の愚かさだ。

 機関車でも、石炭をくべて機関車を徐々に温める「暖気運転時間」は、必ず必要なのである。自分は全開でも、いきなりマシンに全開を要求したら、みんなのエンジンは焼きついてしまう。

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 そして付け加えるのなら、管理職の一部である彼女は、他人の時間には厳しいが自分の時間の使い方にはルーズで、一番いけないのは職員の休憩時間をまったく守れないというか、守る意識がないことだ。昼の1時間の「無給時間(給料対象外の時間)」でも、仕事の話をする。午前と午後の慣例である「お茶の時間(休み時間)」も、まったく無視して仕事をさせる。

 あなたは、世の中の辛いこととかを何も知らないで、易々と人生生きてきちゃったんだね。

 以前わたしは、20~30人の「おばちゃんたち(中高年の女性)」の、土方の現場監督をやっていた時期があったが、みんなの休憩時間だけは「100%以上確実」に守った。休み時間というタイムアウトがキチンとあるから、おばちゃんたちは一生懸命働いてくれるのだ。私が、ついうっかりして休み時間をたった3分でも遅れると、仕事の能率は半減するのだった(^^;)

 休むときは休む。働くとき働く!

 そんなこと位、分かんないかな? これまで何考えて人生生きてきたの?

 そっか、自分のことしかこれまで考えられなかったんだね。しょうがない人だね(^^;) 若い頃から容易く人生を生きてきたんだね。親方日の丸っていうヤツだ(笑)。

 そんな人間には、今更もう、何を言っても無駄だな・・・・・・。


  こういう連中を正確な意味ではないが「ワーキングプアモドキ」の私が養っているんだと・・・(胸は一向に張れないものの)・・・事実・現実として、はっきりと実感する。

 ※明日(今日)のビーフシチューの用意 (炒めに炒め、これで大玉タマネギ2+1/2個(^^) )
   


 2007-12-22

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2007/12/21

妹よ

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 昨日、子どものことを書きました。

 日が替わって・・・・・・なんだか今日は、妹のことを書こうと思いました。

 「妹よ」といえば、南こうせつさんの『妹よ』が有名である。

http://www.youtube.com/watch?v=ZdiasBeVkFg&feature=related

 この南こうせつさんの気持ちは、私にも良く分かる。

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 私は「二人兄妹」である。

 二人は、端から見れば、もしかしたら性格もよく似ているのかもしれない。

 私たちは昔から仲が良かった。中学時代の親友から「イチロん家は最近では珍しく兄弟仲が良いよなぁ!」とよく言われた。兄弟ケンカというものをした覚えがない。

 覚えているのは高校時代のその妹の姿である。

 青い線が2本入ったセーラー服の姿の写真を撮った。その時の彼女は本当に透明で透きとおるように美しかった。そしてその時思ったのだった。女性が輝く一瞬は、もしかしたら「10代の頃のたった1週間位しかないのかもしれない」って・・・・・・。

 彼女が20代で嫁ぐとき、父はいなかった。

 父の代わりを務めたのは当時同じ20代の私だった。父親の代わりをしなくてはいけないと気負っていた。若かったのだ。

 相手の男が「バラの花束」を持って結婚の申し込みに来たとき、父親のような気持ちになって格好を付け、心の中で父を演じた思い出がある。それにしても「バラの花束」には家族一同驚いた(笑) 今思い出すともう笑い話になるけれど、その当時妹を守るのは、オレしかいないと思っていた。

 20台ですでに、父親気分を私は味わったのである・・・(^^;)

 今ではその旦那である私より年上の妹の旦那とは気も合って、良いつきあいができているけれど、当時は大事な娘をさらっていく「泥棒」のように思えた。

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 人にはいろいろなタイプがある。逆にそれがなくてはいけないと思う。

 私の妹は、相談事でも何でも何かを人から言われると、それをまず受けとめ自分の心の貯水槽に溜め、それを咀嚼してから、初めて口を開くタイプである。私とは違って良くできた人間である(笑)

 (ただしナイショであるが、彼女の卒業論文の半分は私が書いた(笑))

 ※「サイカチ」の木の大きなマメと、昼の月


 2007-12-21

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2007/12/19

案山子

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 夕方、疲れて帰った。
 部屋のドアを開けた瞬間、電話が鳴った。
 暗い中、受話器を取る。

 学校に行っている次男からだった。

 「父ちゃん?」
 「ああ、どうした?」
 「入院した」
 「えっ?」
 「バイト先で倒れてそのまま入院した」
 「えっ、スケボで骨折したか? 今病院からか?」
 「いや、1日でもう退院したけど、まだ通院してる」
 「なんで?」
 「過労だってさ・・・体がだるい」
 「過労って?」
 「パソコンの修理代を稼ぐために働いていた」
 「・・・・・・・・・・・・」

 受話器からは、咳がコンコンと聞こえてくる。

 「咳してるじゃないか。風邪ひいているのか」
 「分かんない・・・」
 「ちゃんとメシは食っているのか?」
 「ああ・・・(コンコン)」
 「今日の夕飯は?」
 「食ってない」
 「毎日ちゃんと食べてる?」
 「たぶん・・・」

 「じゃあまた後で電話する。ゆっくり休めよ・・・」
 「ああ」
 「とにかく、はやく帰って来いよ」
 「通院があるから、しばらくは無理だよ」
 「また電話するから・・・」


 その後、私はようやく気がついた・・・

 実は一月前の11月、電話があったのだった。その時すでにパソコンが壊れたということは聞いていたのだった。しかしその月、私は資金繰りというか、お金のやりくりが難しくて「送ってやりたいけど、今月から厳しいんだ。バイトとかで自分で何とかなるか?」と聞くと、「・・・・・ああ、何とかする。心配ない・・・」と彼は言った。「生活費は?」と聞くと、「何とかなるよ・・・」と彼は言った。

 その言葉に、親の私は易々と甘え、それからの仕送りを滞らせてしまった・・・。

 元々よほどのことがない限り、電話なんて安易にしてくるヤツではないのに・・・

 その時、気付かなくてはいけなかったのだ・・・・・・

 普段しばしば弱音を吐いたり電話で仕送りを安易に頼んでくるような子ではないのに、親の現状を分かりながらもなお電話をしてきたことの意味さえにも気がつかないほど、私は鈍感にも甘えていた。

 どうして、控えめな彼が電話してきたことの意味を、その時即座に気付いてあげられなかったのだろう。

 繰り返しになるが、その時私は迂闊にも電話口で言ってしまった。

 「年末で大変でさ、今月の仕送りの分は帰省してからなんとかするからバイトか何かで、なんとか頼む!」と・・・・・・。彼にすれば父親からそういわれればいくら苦しくても「ああ・・・良いよ・・・」としか言いようがなかったのだ・・・・・・・・。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そして今日夕方の電話の後、夕飯を作りながら「あいつにもこんな牛丼を食わしてやりたいよな・・・」って思いながら夕飯を終わって、パソコンを見なが夕方のことを思い出していた時、ようやくわたしは気がついたのだ。

 「あいつは、過労で入院するまでお金がなくても頑張っていたんだ」って・・・・。

 なぜか突然、自分が情けなくて涙が流れて止まらなくなった。なんでオレはいつもこんなに鈍いんだろう。

 あいつがこんなことになったのは、お金ないから助けてくれっていう意味で電話してきたのに、親から「資金繰り」が苦しいって言われたら、それ以上何も言えなかったんだって! あいつはそんな性格の人間だって分かっていながら、その時どうして気付いてやれなかったのかって・・・。

 ホントに、今でも自分の情けない体たらくを思うと、深夜の今でも涙が溢れる。

 その後聞いたら、白いごはんだけしか食べてバイトしていたのだという。いくら若くても倒れて当然だ。そんな息子に食費位の仕送りさえもできず、今頃になって気がついているオレは、親として「失格」だ・・・・・・。

 いったい、オレは、何をやっているんだろう・・・・・・・・・

 一番大切なものが何かさえも分からなくなっている。

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2007/12/16

職場に来た「タマゴ」達・・・

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 最近疲れ気味で、今日もだるかったけれど、午後にはとある関西方面の大学の学生達が、23人ほど研修でやってくることになっていた。ある資格を取るために、私の職場のような場所で実習をする必要があるのだという。あらかじめ書面で依頼があったのだった・・・。

 とにかく話をして欲しいということなので、現場を回りながら話をはじめる。でもノドがおかしいのと、肺の気管支が多少痛んでいるのか、上手く息継ぎ(ブレス)ができなくて酸欠状態になる。静かにしゃべるのなら良いけれど、広い場所で大勢に向かってしゃべるというのは、マイクがないので結構パワーを使う。

 最初話をはじめると、みんな一斉に配付した資料にメモを取り始めた。私の方はほとんど見ないで手を動かしている。

 「そんなことメモしたって、資料に書いてあるんだから、何にもならないんだけどな・・・」

 そのうちに、私も多少調子が良くなってきて、資料には書いてない「現場の実際の話」に移る。その頃から、彼ら彼女達の目の色がちょっぴり変わってきた。時に笑いも起きたりして、ダルそうに輪の一番外側で遠巻きに見ていた連中も少しずつ輪の中に入ってくるようになった。

 彼ら(女性の方が多いのだが)は、知識として私がすでに忘れたこともみんなは習っているのだろうが当然ながら「実際の現場」をみんなは知らない。一方の私は物忘れはひどくなっているかもしれないが(笑)「現場の体験」だけはそれなりに積んでいる。

 何度も何度も失敗しながら、自分の頭で考えて自分で解決してきた。辛かったこと苦しかったこと、今でも心がけていることなどを話す。時には道具の使い方、現場に向かう際の持ち物のことまで、事細かに説明する。

 「みなさんはこれから責任のある立場に着くことになります」 「いま私は、持ち物の内容まで、とっても細かいことを話しました。しかし、細かいことを大切にしない人間には、キチンとした仕事は絶対にできません。責任を持って仕事をすることが大事です。」

 結局1時間半もしゃべってしまって、最後には喉が枯れてしまったが、その頃には彼らのテンションも結構上がってきて、私ににじり寄って質問をする学生さんも何人かいた。

 実際私の話は本当にとりとめもないもので、事前の準備も、ストーリーのあるテキストも作らずに話した脈絡のないものだったけれど、現場というものの重みと思いを少しでも分かってくれたのなら、それで良かったと思った。


 ※何の実かな?(ツルです)

 2007-12-16

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2007/12/15

年末お疲れ、そして役員につかまった

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 先ほどまで、近所の公民館で会合だった。

 先日、12月になってすぐに我が家の玄関が「ピンポン」と鳴った。「どうぞ!」」というとドアが開く。そこには村の同級生2名と、後輩1名の計3名が立っていた・・・。

 こういう事態の時は、おのずと理由が分かる。つまり、来年のなにがしかの役員を頼みに来たのだ。

 その時点で、私は観念した(^^;)

 つまり、村の仲間が私にターゲットを絞ってやってきたことを「断ること」は、ほぼ不可能なのである。頼む方も頼む方で、私に負担の少ないような役職をあえて選ぶというそれなりの心配りをしてくれているはずなので、もう、100%断れない。

 ここでは「仕事が忙しいから」とか「仕事が休めないから」とかいう理由は、まったく通用しないのである。もし私がここでこの役を断ると(それは100%あり得ないのだが)、完全に村から浮いてしまう。

 村社会の掟なのである。

 今日はその引き継ぎ会で、多少缶ビールなんかも振る舞われて来年から2年間のお役目を承った。私の役目はその組合の理事である。

 来年から2年間お勤めである。もう新年の3日からその仕事が始動する。

 ※猿の雲


 2007-12-15

 
 

 

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2007/12/13

中国という、愚かな共産主義国家

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 正直言って私は「社会主義とか共産主義」に、いまなおわずかな希望を抱いている。

 それは「資本主義」あるいは「商品経済社会」という、この日本国の体制が長続きはしないと思うからでもある。

 また、資本主義という体制と理論を超える新たな展望を、今日の誰一人として描き得ていないからだ。そんな意味で「カール・マルクス」の共産主義は正しく評価されなくてはならない。

 だって、構造主義でも複雑系でも、マルクスを超える理論体系は未だに提唱されたことは聞かないからだ。

 もしそんな体系が新しく提唱されているのなら、どうか教えて位なのである。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しかし、今の中国共産党のというか中華人民共和国(中国)の在り方を見ていると、社会主義とか共産主義なんていっても、主義としても体制としてもまったくたいしたものじゃないことが、ホント良く分かる。理論とは別次元の問題なのであるのだが・・・。

 温暖化問題はもとアメリカ副大統領のゴアさんが言う以前に、実はとても深刻な問題なのである。

 アメリカ合衆国のブッシュなんていう利己主義者の大統領なんて、地球国家国民のことなんて、100%何にも考えていない。心の中にあるのは自分のことだけだ。

 政治家なんてそんなもんだ。

 京都議定書では、アメリカ合衆国というこの地球上で一番の「加害国」は、尻をまくって座を逃げた。

 アメリカというのは、ホトホト情けない国である。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そして中国という、今では経済成長NO.1の、世界で4番目になった人口13億人をかかえる大国は、自分の国が発展途上国という「後進国」だとして、ありとあらゆる振る舞いを「免責」するように要求している。今まで大国が「やりたい放題にやって経済発展を遂げたのだから、後を追っている私たち中国が温暖化に配慮する必要はまったくない!」と平気で言ってのけるのである。

 情けない! そしてハレンチというしかない・・・。

 中国というハレンチ大国には「恥」という概念は、どうやらないらしい。

 かつて共産主義とか社会主義には「環境問題や地球環境」について「謙虚さとか深い配慮」が期待されていた。、しかし中国の今の現像を見るにつけ、そんなのって幻想だったと、今になってやっと気がつく。

 なんだい!中国って国の今のわがままさと強引さと倫理節度の無さは・・・・・・! 毛沢東と周恩来が目指した国家と国民像がいまの中国だとしたら、ホントに笑えるわ・・・・・・。

 中国の野菜や食品は、消費者のことなんてまったく考えていない薬まみれで汚染されていて、食ってはいけないばかりでなく、オモチャさえも子どもには与えられない。

 何なの? 中国っていう国は?

 そんな中国でオリンピックなんてやっていいの???

 「40年」位、中国のオリンピックは延期した方が良いんじゃないのか? マラソンランナーが大気汚染で倒れるんじゃないの?


 ※冬のタンポポ


 2007-12-13
 

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熟柿の甘さと、北朝鮮の子どもたちと、ユニセフと、そしてサンタクロース

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 ご承知のように「熟柿(じゅくしがき)」と書いて「じゅくし」と読む。

 採った柿の実を、先日「熟柿」にするため段ボール箱に並べた。職場のおばちゃんが「私、熟柿が大好きなのよ(^^)!」って言ったからだ。

http://ichiro.txt-nifty.com/suillus/2007/11/post_08d1.html

 今その柿が箱の中で見事に熟し、初めてにしては本当においしい熟し柿ができた。それはトロトロで、ジューシーで、ジュルジュルで(笑)、糖度が最高度に高い柿に熟成したのだ。そこで試しに仕事場に持っていって、今日おばちゃん達と食べたら彼女は「あっま~~い!美味しい~~!」って言って、とっても喜んでくれた。

 来週には、お歳暮に届けようと思っている。

 昔はドロドロした熟し柿なんて大嫌いだった。でも、年を重ねると味覚も変わるのだろうか。今年になって何個食べても、その甘さと美味しさに惚れてしまうようになった。

 柿の甘さは「和菓子の(甘味の)原点」だという。

 最近地元では採る人もなく地に落ちるがままに捨てられてしまう柿だが、以前から何度も書いているように、そんな位なら「北朝鮮の子どもたちに贈ってあげたい!」。こんなにも甘い柿を食べることができたら、5万人が餓死する中で、せめて5000人位はその柿によって助かるかもしれないのである。だってこの柿の甘さは本当にカロリーもあり、そして胸を打つ甘さなのである。

 もう子ども達が・・・・・・どうしても死に行くしかないのだとしても、せめて最後の最後の口に、一さじだけでも入れてあげたい。死ぬ前に甘い味を感じながら送ってあげたい。柿はそれほど蠱惑的な「甘さ」だと私は思うのである・・・。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 話が逸れるが、北朝鮮を非難したり、彼の国への「人道支援を日本国はシャットアウトせよ!」という意見も分からないではないが、一番先に死んで行くのは体力のない無垢な子ども達である。拉致問題は重々分かるけれど、子ども達に罪はない。北朝鮮の子どももそれは同じだ。そこにこの国の大人達が「思いを遣れないでどうする!」と言いたい。

 私は、小学校低学年の頃「脱脂粉乳」で育った。それは、たぶん「国連児童基金(ユニセフ)」の支援だった。ユニセフは、敗戦国の子どもに支援なんてしなくて良いというアメリカ合衆国の意見にあえて逆らって「子どもには何の責任もない!」と・・・、日本への援助を行った。

 今のこの国日本を担っている世代で「脱脂粉乳」を飲んだ連中は、そんな見返りを求めない無償の援助で、併せてクジラ肉かなんかを食いながら(笑)、この日本という国を生き延びて来たのだ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 もちろん、こんなことをいくら口で言っていても、実行しなければ何にもならないのだが、切ないかな私にはそんな力も金もない・・・・・・。

 今の世の中では、金を出せばいくらでも美味しいものが手に入る。六本木ヒルズに「月の家賃150万円で住んで東京の夜景を見下ろして、毎晩5万円のディナーを食べる」人生もそれはそれで良いだろう。それをまったく否定はしない。しかし、そんなハイソな人達も、わたしの作った「熟柿」を口にしたら、人生が変わるかもしれない。

 しかもわたしが作ったとは言ってみたものの、柿の木からもいで、ただ箱に並べただけなのである。渋い「御所柿」をトロリと甘く熟させるのは、私なんかではなく、自然に実った「柿自身」なのである。

 干し柿は皮を剥いたり、失敗も多く手がかかるが、この「熟柿」は上手くやると商売にもなるかもしれない。ただし、もの凄く柔らかいので地方発送は無理かもしれない。

 もうすぐ、クリスマスがやってくる。

 今の私は、家族に何のプレゼントもできない。本当に情けないが現実である。でも、みんな分かっている。あと数年の辛抱なのである。

 「北朝鮮の子どもたち」に私がこだわるのは、メディアでその惨状が報道されるせいももちろんあるが、一番身近なモンゴロイドだということもある。

 彼ら彼女達にも「サンタクロース」がプレゼントを携えて来る日が早く来てほしいのである。サンタクロースはもはや欧米の文化ではなくて「子ども達の一つの夢」なのである。サンタクロースが、北朝鮮の子ども達に甘い柿をプレゼントしてくれるのなら、畑の柿を全てサンタさんに携えようと思う位だ・・・・・・。


 ※「熟柿」=画像のこれは、チョット柔らかすぎたが、完璧な熟柿は本当に得も言われない旨さなのである(^^)

 2007-12-13

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2007/12/11

君は、この食料品の物価上昇に耐えられるか!?

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 自民党の宰相、福田首相・総理さん・・・何とかなんないのかよ・・・・・・なんとかしないのかよ・・・・・・。

 アメリカさんへの油の補給も国策として大事だが、日本国のこの国の「国民の台所の油」が枯渇・・・干上がりそうになっているんだよ・・・! もっと下々のことを福田さん、あなたは見ないのか???

 「国民の命は地球よりも重い」といって「超法規的措置」をとった、父福田赳夫さんの「情けのある言葉」を、私は完全には肯定も否定もしないが、あなたもボーッとしてないで、もうちょっと一国の宰相としての自覚を、持ってほしいのである。

 最近、原油価格の上昇とか、そしてバイオ燃料に絡むトウモロコシ需要の増大(トウモロコシ不足)とか、それに伴う小麦粉生産農家の減少、そしてオーストラリアの不作、発展途上国の食生活の欧米化!等々によって、何もかもが値上がりしている。そして来年3月以降の値上げが、日本国内の各食品会社等から、すでに予告されている事態となっている。

 それってホントかい!? でも私もすでに酸欠の金魚みたいにアップアップしている(^^;)

 「ガソリン」という燃料を筆頭に、「小麦粉・パン・マヨネーズ・カレーやシチューのルー・そしてチューブのワサビやスナック菓子などなど・・・」ありとあらゆるものが値上がりしている。食品の値上げは、私にとってとても痛い。しかも今は師走。一番出費の多い年末である。

 その値上げの幅は「5%から10%」で、10%というキリの良い数字で値上げされる商品が結構多い。まさに便乗と言えないでもない・・・。なぜならその10%の価格は、即座に消費者が手にする金額には反映しないからだ。要するに、卸の大企業は10%上げて企業防衛できても、その下の小売りに至る過程で、それを極力吸収して(要するに損をしてでも売るしかない)という現実があるからだ。

 値上げして売り上げが減るのと、値上げを辛抱して客離れを防ぐのと、ギリギリの選択を迫られているのだ。

 ギリギリで商売している人間の気持ちと現実は、親方日の丸の連中には、まったく分かんないだろう。

 だってさ、たかが10%といっても「10円では1円でも1億円では1千万円」なんだよね(^^;)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 たとえば「198円で売られているカレーのルー」の、「メーカー価格が250円」だと仮定する。10%上がるとメーカーの価格は「275円」である。

 これは相当に痛いぞ・・・(^^;)

 そして、更にこの状況で「消費税がもし10%」ついたら「302円」である。

 これじゃ、零細の小売店も、消費者のじいちゃんばあちゃんもやってらんねえよ! それを以前と同じ198円で売らなくてはなかたら、部屋の梁に紐を縛り、はっきり言ってクビ括るしかない・・・。

 これから「小泉純一郎の政策のツケ」が、ますます現実化してくると思う。

 どうして私たちは、あんなに馬鹿げた「郵政選挙」で小泉さんを勝たせてしまったのか? 民度の低さと私たちの愚かさを、嘆くしかない。

 それにしても「小泉純一郎」の、あの脳天気なキャラクターの罪は、戦後で一番と言って良いほど大きいと思う。細川護煕さんもひどかったが、「戦後最低の宰相は小泉純一郎!!」だと私は思っている。

 「郵政選挙」なんて、訳のわかんない選挙を数十億の国税を費やして行ったり、小泉チルドレンとかいうお馬鹿な連中を「刺客」として送り込んで政争の具に巻き込んだり、本当に介護が必要な人達の補助金をカットしたせいで、一番弱い人達が生きる希望を失った・・・。そう私は認識している。

 「再チャレンジ!?」

 「バッカじゃないの!?」

 今の若い連中は、再チャレンジする前に挫折して希望も失って、どうでも良くなっているんだよ。

 「KY」ってさ・・・、安倍ちゃんじゃなくて「小泉純一郎」のことだよな。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 じいちゃんばあちゃんが、この冬、安い野菜位たっぷりと鍋で食べられる国政くらいできなくて、政府・内閣は恥ずかしくないのだろうか?


 ※普通の鍋物(とっても美味しいよ・・・)


 ※補足:最後に突拍子もない話だが、もうこの地球という国では「石油」とか「石炭」といった化石燃料は、はっきりいって数十年と持たないのは物理的にも科学的にも、はっきりしている。石油を売り惜しんで価格をつり上げ、その短命な自分だけの命を謳歌して贅沢三昧をしている中東の王家や一族郎党は「地獄に堕ちるがよい!」

 ターバンをかぶった、彼ら慎ましい連中の心の中は腐り切っている。

 自分たちだけが良ければ、それで良いのかよ・・・・・・


 2007-12-11

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2007/12/10

自信を持って生きる -あるいはひとつの壁-

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 最近、ちょっと考えていることがある。

 私は文章を書くときに「私は」とか「わたしは」とか、「あえて一人称を書く」ことにしている。それは、自分を売り込みたいとか自己主張をしたいとかいうのではなくて、責任の所在をはっきりさせるために、あえて書いている。自分の書いた文章を批判されたとき、自らに弁解ができないようにするためでもある(^^;)

 そんな私だけれど、最近考えているというのは、人と比べて「自分は大した生き方をしていないな。大した文章を書けていないな!」そして「今の自分に納得していたら、これ以上の成長はないな・・・」って客観的に自分を見て、そうチラホラと思えるようになったことだ。

 たとえばこうして「書くこと」は、昔から書いているように、ついに最大の「自己消費」なのである。

 消費するためには蓄えなくてはいけない。でも私は、そんな大事なことを、ずっと以前から怠ってきたことに気がつくのだ。

 人は、私みたいにこうして毎日のように書けば書くほど、自分が軽くそして薄くなる。吐き出せば吐き出すほど、人は痩せて行く。でも、こうして私のようにブログで書き続けている人の中には、それに気がついていない人が結構多い。

 たとえ話として分かりやすく言うと、わたしは写真をアップするが、その画像はほとんど自分のカメラで撮っている。それは一度アップすると、別フォルダに捨てる(保存する)。別な場所でその写真を使うことは、ほとんどない。使えば使うほど写真のストックがなくなり枯れて行く。だから、定期的に写真を撮って補充してストックを蓄えないと、そのうちにアップする画像がなくなってしまう。

 それと同じで、文章を書くのは「心の水槽から水をヒシャクですくって捨てる」のと同じである。「捨てる」が言い過ぎなら、吐き出すでも、流すでも良い・・・。

 一杯また一杯と心の水を捨てていると、心の水槽はいつか空っぽになる。だから、水槽には常に水を補給しなくてはいけない。しかしそれは、とっても大変なことだ・・・・・・。

 私は昔から自分の生き方に自信が持てなかった。

 今ではこうして書くことができるが、その一番の理由は「親の育て方」に一つの原因があったと思う。私の親は、私に「自信を持って生きること」を教えてくれなかった。それは、親が自分に自信が持てず、世の中に遠慮して生きてきたので、それを息子である私に刷り込んでしまったのだと思う。

 そのことで、別に親を恨んではいるわけではない。学校に出してくれ、こうして普通にそれなりに暮らせる。それだけで十分である。

 しかしこんな風にたくさんのことを毎日のように書き綴ることで、この年になって私は、やっと一つの自信を持つことができるようになったのだと思う。英語で言うと「アイデンティティー」である。自分の位置付けができるようになってきた。

 ただ、今度は自分の子どもたちが、どのように育つかということで、逆に私が試されているのであるのだが・・・・・・。

 それは「次のステップ」へと踏み出す「壁」に、最近突き当たったことで得られたものである。壁に突き当たるということは、まだ先があるということである。乗り越えることができる可能性があるということである。今までのように自分に安住していてはいけないということが、この年にして分かったことが少し嬉しい・・・(^^)

 自分を空の上から客観的に冷静に見ることができるようになれたこと・・・。

 いい加減な自分を「ちゃんとしろよ!」って言えるようになれそうだということ・・・。

 人は、死ぬまで「生涯現役」である。

 ※紅白の葉ボタン


 2007-12-10

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2007/12/09

重い毎日と、「いてもいいよ(^^)」って言ってくれる場所

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 軽い言葉を毎日書き散らしている私だが、最近、自分をフト外から眺めることがある。

 昨日は、自分の師匠の77歳・・・つまり「喜寿のお祝い」を、とあるホテルで開催した。私は発起人の一人で会費制だったが、その金額はなんと「16,500円」だった。年末にこれだけの支出はとても痛かったが致し方ない(^^;)

 師も年をとった。人は月日を重ね年をとる。致し方のない現実である。ただ、昨日の師は多弁だった。多くを語り、遠路駆けつけた方々と語り合っていた。だから私は、逆に彼にはなるべく近づかないようにしてほとんど話もしなかった。

 師と出会ったのは高校1年生の時だった。

 その時の思いを、厚さ1.8cm位の「記念論文集」に綴った。他のみなさんは当然その分野の論文を書かれていたが、私は「思い出話」を書いた。25編の文章の中で私だけだった。でも、思い出話は「追悼文」になりやすいので、その辺はとても気を遣った(笑)

 きのうの宴はみんな若い連中がセッティングしてくれたので、せめてみなさんに酌をして接待することに心がけた(^^) 私は自慢ではないが、昔から「ススメのイチロ」と言われていて、私の酌に断る人はいない(アハハ)。

 そんな昨日の宴会の最中、私より年上の女性が「イチロさんの文章を最初一気に2度読んだわよ。そしてその後もう一回読んだ。あんな失礼なことを△▽先生に対して書けるのは、イチロさんしかいないわよね・・・」と言った。

 私は歯に衣着せずに正直な文章を書くので、時に軋轢も起こす。

 改めて自分の書いた文章を読み返してみると「とても軽い」ことに気がつく。なぜか? 理由ははっきりしている。現実が重いから「軽い文章」を書く。

 自分を外から見ると、客観的な見方ができる。重い現実を重く書くと暗くなる。年末になって暗い気持ちにはなりたくはない。16,500円の会費のことを愚痴ると、自分が哀れになる。だからいくら理不尽でも黙っていた。

 そして昨日は、したたかに酔いしれたのだった。

 今朝気がついたら、私はその公共施設の宿直室に寝ていた(笑) 今日はたまたま休みだったので、2日酔いの状態で10時頃やっと起き出していくと、みなさんはもう仕事の最中だったが、みんなとても優しく対応してくださり、私は恐縮するばかりだった(^^;)

 でも、重い毎日の中で、そこは私に「ただ、いてもいいよ(^^)」って言ってくれる、唯一の場所なのである。友人と先輩、師匠のありがたさをしみじみと噛みしめたのだった。


 ※宴席の「鯛の塩竃」

 2007-12-09

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2007/12/04

胸元のレースに、ドキドキ?

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 今年流行の、胸元にレースがしつらえられたワンピースとかシャツが、女性達に大流行している。

 確かに、下着が見えているようで、そんなレースをみると男たちは「ドキドキ」するけれど(アハハ)、テレビを見てニュース番組のキャスターとか、あちこちにそんな服装の女性がたくさん写っている姿を見ると、チョッピリ複雑な心境になる。

 「茶髪(ちゃぱつ)」は今では一般的になったが、それと同様に、どうしてみんな「流行に乗る」のだろうか? 茶髪は今ではほとんど7~8割方の女性がしている。

 (黒髪の日本人は、どこに行った!)

 それを悪いと言いたいのではないが、どうして「人と同じスタイルにしたいのだろう?」。どうして「茶髪や胸元レース」に、みんな寄ってたかってするのだろうか?

 日本人の特性なのか? 

 どうして一斉に一定の方向に、この国の連中は流れるのだろうか?

 大袈裟に言えば、もしかしてかつての大政翼賛の時代と関係があるのだろうか?

 わからない・・・・・・。

 私は、そうした流行に乗ることがまず無い「無粋な非国民」なので(アハハ)、その辺の心理構造がわからない。人と同じにすることが「快い」のだろうか?

 私は人と同じはあまり好きではなく自分の考え方で勝手に生きるタイプなので、そんな流行に乗る方々の心性が良く理解できないのである。

 でも今時の中学生の男の子たちを見ていると、そのヒントが見える気がする。

 彼らはワイシャツの下に、シャツ(下着)を絶対に着ない。

 なぜかと聞くと「みんながそうだから・・・」という。つまり同級生というか、人と違ったスタイルや行動に対してものすごい抵抗感がある。

 今時は個性や個人が尊重されるように見える自立した「日本人」も、今なお個人として本当はまったく「自立していない」のではないか・・・・・・。

 まあ、そこまで言ってしまわないでも「人と同じが心地よいという感性」が根底にあるのではないだろうか・・・。

 ※画像は、ネットの http://shop.fruitmail.net/detail/syousai.php?shopwork=SHOP_PLF&codework=L91030064&katecode=FASHIONP_04 から引用させて頂きました。


 2007-12-14

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2007/12/03

水晶という魔法 -ファントム・クオーツ-

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 水晶というのは、人を虜にする。

 以前も書いた覚えがある・・・・・・。

http://ichiro.txt-nifty.com/suillus/2006/12/post_4edf.html

 水晶に魅せられると、こどもは石の美しさに感動し、自然の法則性の美に目覚める。

 水晶の結晶系は「六方晶系」で、六角形の面は全て120度で交わる。その透明感と法則性はあらゆる子ども達を魅了せずにはいないと思う。

 昨日は「煙水晶」を紹介したが、今日は「山入り水晶(ファントムクオーツ)」をご紹介したい(画像)。 これは私の岩石鉱物の師匠が、フォッサマグナの西縁で採集したものをくれたものだ。

 画像のひとつの水晶の中に、もう一つの尖った白い山が見えると思う。

 それは、いったん結晶を始めた石英が途中で成長を止めて、その後再び結晶をはじめたことでできた「ファントム(幽霊)水晶」なのである。水晶の双子というか、体内にもう一つの水晶がある珍しい水晶である。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 水晶は「パワーストーン」とか言われるが、それを信じるみなさんもいらっしゃるのだろうか?

 水晶は、ほんとんどSIO2(二酸化珪素)という成分の鉱物=ガラスなので単なる無機物である。だから、私には「パワー」もなにもないと思えるが・・・・・(笑)、本人がそう思うのなら、それはそれで良い。

 そのパワーにあやかって、大きな運を得て欲しいものである。


 2007-12-03

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2007/12/02

タダで拾うのが好きな、ベスト20(^^;)

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 私は、Ichiroさんと同じで拾うことが好きだ。好きというより「大好きだ!」と言った方がよい。

 拾うとは言っても、落とし物とか、元々持ち主のあるものではない。それを自分のものにしたら「犯罪」である。落ち葉を拾っても犯罪にはならない(ただし国立公園の特別地区では「落ち葉一枚、枯れ枝1本拾っても犯罪」になる)。

 私が好きな拾うもの(^^)

 第20位:サクラの落ち葉
 第19位:マツボックリ
 第18位:チョウセンゴヨウの球果
 第17位:メタセコイアの実
 第16位:ドイツトウヒの球果(振り子時計の下にぶら下がっているやつ)
 第15位:蝋石(ろうせき)
 第14位:方解石
 第13位:岩石一般
 第12位:青磁のカケラ
 第11位:貝殻

 第10位:写真撮影(これもタダで拾うもの)
 第 9位:土器
 第 8位:矢尻(石鏃)
 第 7位:クサボケ(ジナシの実)
 第 6位:オサムシなどの死んだきれいな虫
 第 5位:センブリ(胃腸薬になる苦い草)
 第 4位:ヒマラヤスギの球果の先端

 第 3位:水晶(すいしょう)
 第 2位:セミの抜け殻
 第 1位:きのこ

 まあ植物やきのこは「拾う」というよりは「採集する」という言葉が正しいが、タダで手にするという点では同じである。

 世の中には、かようにタダで拾えるものは、たくさんあるのである(笑)

 わたしは、ブランドのバッグもスーツも腕時計もいらない。

 自然が作るものの、美と法則性を思うのである・・・。


 ※小学校の時に拾った「煙水晶」(黒くなるのは放射能の影響だと言われています)


 2007-12-02

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2007/12/01

謝罪会見のやり方 -または朝青龍と亀田大毅という二人のお馬鹿さん!-

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 以下引用です。

2007/11/30-22:06 「朝青龍・亀田」関係・識者談話
 漫画家のやくみつる氏 朝青龍は神妙な顔をして、殊勝に振る舞っているように見えたが、まだ疑問を感じる。空港ではリポーターの質問を無視していた。この辺の態度から変えていって、従来の朝青龍像を覆していかないといけない。今後の巡業、本場所で立派に横綱として振る舞えるのかどうか。亀田大の会見は失笑もの。泣き虫のキャラクターが定着してしまって、今回は一生懸命に虚勢を張っていた。2人とも、今後についてはまだまだクエスチョンマークが付く。」(時事通信社)

 誠にしかり。

 「朝青龍も亀田大毅」も、謝罪会見としてはまったく失格と言って良い。

 要するに、水戸黄門ではないが「頭が高い!」のである。

 1,朝青龍のケース
「長い間、ご迷惑をかけ、心からおわびします」という最初の言葉は良かったがモンゴルのサッカーの件では「どうしても出てくれとのことだったので出たが、自分でしたことなので十分責任を感じている」と言った。これは謝罪にならない。言葉尻に自分の責任ではないというニュアンスが伝わってしまう。あんなに元気に走り回ってサッカーボールを蹴っていたのだから、ウソでも「私はウソをつきました。ケガはそんなに重くなかったんですが、つい自分の弱さからモンゴルに帰ってしまいました。これからは精進して、本当に強い横綱になります!」と、自分をいったん全否定することが大事である。大体、事件発覚後、一回も説明もせずにコソコソとモンゴルに帰った時点で「精神的に弱い横綱」だと日本国民の多くが思ってしまっているのだから、すでに落ちるところに落ちてしまっているのだ。今更、横綱のプライドを振りかざして「頼まれたからやった」もない。「私は最低です。でもこれからやり直します」それで良いのだ。

 それにしても横綱審議委員の内舘牧子さんが「朝青龍はもう引退したと思っている」みたいにバッサリと切り捨てた言葉が、気持ちよかった。

 2,亀田大毅のケース
 「お騒がせして申し訳ありませんでした」の第一声。本当にバカは直っていないと思った。「お騒がせ・・・?」。お前は本当にバカだな! 人に謝るのに「お騒がせ」って何??? 君のしたのは、お騒がせじゃなくて「ルール違反だろ!」って。謝るというのは、100%自分が悪かったって自分で思うこと。だから謝ることができる。

 だからさ!「謝罪ってのは自分の頭を下げるってことだろ! つまり頭を叩かれてもクビを切られても良いってことで相手に自分の運命を委ねるって意味で頭を下げるっていうのが、謝罪ってことなんだよ!」

 それを 嫌々頭を下げているみたいな謝罪会見なんて、やらない方が良い位だ。

 日本には「みそぎ」っていう言葉があって、クビになった政治家なんかちゃっかりと上手に使って政界に復帰したりしているが、本来「みそぎ」って、私個人的には自分を無価値にして周囲の判断を仰ぐことだと思う。それには、横綱とかチャンピオンとかのプライドなんてのが1%でもあったらダメなんだよ。「私は生きている価値さえもありません」位に自らを捨てた時、周囲は「お前って潔いよなぁ・・・! お前さ、もう一度挑戦してみろよ。今度は応援するよ!」ってことになるのである。

 ったく、世渡りばかりが上手になって金ばっかりが目当てになって、プライドばかりがパンパンに膨らんで、内容のない連中ばかりだ。

 それが横綱でボクサーだってさ。

 本当に強い人間は容易く謝ることができる。そして本当に自分に自信がある人間はすぐに「ごめんなさい」と言うことができる。そういうものである。いつまでもグジグジと自分にこだわっているのは、本当に心底自分を信じることができない未熟な人間だからだ。

 格闘技の潔さもハングリー精神も彼らには、何んにもないよな・・・。


 ※森狙仙の梅


 2007-12-01

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