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2007/11/26

ナウシカと新しい風 (3)

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 1983.6.15 宮崎駿 『シュナの旅』 徳間書店 という本がある。 以前ここでも紹介したような気がする。そこには、ナウシカも、もののけも、ラピュタも、宮崎のありとあらゆる原点が描かれている。

 人っていうのは、生涯できっとひとつのことしかできないのである。

 逆に言えば「人は人生でたったひとつの生き方ができたら良い!」ということである。たとえは変だが「ピン芸人がひとつ当てたら、それで一生暮らせる」というのと似ている。

 「ゲッツ!」 「そんなの関係ねえ!」を想像して頂いても良い。

 そしてその原点は「出発点」にあるということ・・・。 三つ子の魂百まで、である。

 私の好きな学者である「藤森栄一」という方は「若さというものは心に灯(ひ)をともせるたった一度のチャンスである」と言った。それはナウシカや、サンやアシタカや、シータやパズーと重なって重い。(2)でも書いたが、どんな子どもでも、自分の頭で考えて自分で判断して、自分の意志で行動するということができるということであり、、子ども達は、たぶん十代半ばでそれができるようになると思う。

 子どもを見くびったり、子どもを未熟な人間として、下に見たりしては絶対にいけないのだ。

 「心に灯(ひ)を灯す」というのは、自分の意志でもって生きるということに、他ならない。

 ナウシカもサンもアシタカもたぶん、今でいうと小学校の5年生から中学生位の年代である。10代の半ば以下である。そんな年頃にして、彼ら彼女達は自ら属している世界さえも背負うのだ。 でも、それはあり得ない荒唐無稽な話では全くない。

 そして、宮崎さんのアニメに出てくる子ども達には、もうひとつ特徴的なことがある。それは、

 「顔を上げて、いつも凛としている」という姿である。

 自分の生き方を自分で選んでいるからもちろんやましい点などないし、彼らには生き方に自信がある。キッパリとして誇りを持って生きている。誇りを持って生きている人間は、多少のことには動じるべくもないのである。


 今回の拙い話しを終わるにあたり、気が付いたのは、若くまだ未熟な連中への期待である。

 私はすでに「パンドラの箱」を開けてしまった人間かもしれないけれど、パンドラの箱に唯一残った希望とは何かと聞かれたら、それは「子どもたち(若者達)」だと答えたい。

 サン、アシタカ、ナウシカ、パズー、シータ・・・・・・あんな少年や少女達がいたら、お父さんやお母さんはうかうかしていられない(笑) 逆に叱られてしまう(笑)

 そんな子ども達が育つ環境を育てるのが、私たち大人のつとめだと思うのだが・・・。

 「新しい風」を潰さないで、おおらかに育て上げる大人らしい大人になりたいと思う。

 ※ダイコンを干す。

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コメント

寝かし柿が何だか解らないけど

1.新人とロートルの給料が同じ?
2.禅宗のくせにキリストを引用?
3.退職願を出したのか?

解らない・・・


投稿: め娘 | 2007/11/26 09:09

>寝かし柿が何だか解らないけど

>1.新人とロートルの給料が同じ?
>2.禅宗のくせにキリストを引用?
>3.退職願を出したのか?

>解らない・・・

め娘なりに心配してくれているんだ。嬉しいよ(^^)
1は事実。2は浮気するのが趣味?。3は、まだ来年一年は勤めるよ。

ありがと。

投稿: イチロ→め娘 | 2007/11/26 13:18

め娘 なり ちゅうのがなんだけど!

老兵は黙って消え去るべきか?って事だけど
老害 と言う言葉もある。

潔いイチロは その狭間で悩んでいるんだろうけど
私は 最後にもう一花(燃えては)咲かせては如何か?
としか言えないな。

春になれば 毎年出てくる若芽に
ビビッてんぢゃねぇよ。

投稿: め娘 | 2007/11/26 15:16

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