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2007/11/30

装う女と男 あるいは「間抜け」と上村松園

Photo
 こじつけだろうが「間抜けは『間』が抜けていること」、「たわけは自分の田んぼを他人に分け与えること」だと、親戚の義父が言っていた。

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 私は、昔から男と女を区別することをしなかったが、最近あえて、男と女の違いを書くことを良くするようになった。 それはやはり「男と女は違う」ということに気がついたからだ。男と女の間の溝は、それは人とチンパンジーほども離れていると思う。

 私は学生時代から「フェミニスト」と言われてきた。

 でも、その時点では男女の形質差さえもあえて否定するような観念的なものだった。それが最近になって「おちんちんがあるのが男」「子宮があるのが女」というれっきとした違い(当たり前のことである)を認めることができるようになって、ずいぶんと気分が楽になった。

 私は、女性という存在を尊敬する。

 それは自分とは違う思考過程というか感覚を持つからであり、平和主義だからでもある。ただ、男と違って秘めた裏の世界にはドキドキする。

 「一生素顔を見せないのが女」だと思う。

 口紅とか、白粉とか、マニキュアとか、まつげをクルリンと上げるとか、女性は「装う」。擬態して一生生きるという姿はスゴイと思う。私にはできない・・・(^^;) 私は装うことができないので、素(す)で生きているから、そうした女性の心性は理解できない所がある。

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 「日本画家上村松園」は、実は結婚しないで子どもを産んでいる。あのような完璧で緻密で気品のある作品を生みながら、でも男と交接して(要するにセックスのこと・・・アハハ)それでもなお、あのような凛とした女性像を描いているのだ。

 女性の奥深さと、ある意味では不気味さを思う。

 上村松園の凄さは、もちろんその緻密で突き詰めた画風にあるのだが、彼女の日本画の「間」にある思う。

 「間抜け」でない「間」を知り尽くした彼女は、やはり日本画家として「天才」だったとしか言えない。いわゆる洋画は、キャンバスの画面を埋め尽くさないと気が済まないように描き込むが、日本画にある「間」を見ると、ホッとする。

 私の回りの女性には、「間を持てず」に言いたいことを一気に言わなくては気が済まない方々も多い。それもたぶん女性という性の特徴に由来する性質かもしれない。

 言うべきタイミングをはかることができず、自分の心を自ら制御できずにしゃべりまくる方は、女性に意外に多い。一方の男は、自分の胸に納めて飲み込むことが多いような気がする。

 いずれにせよ、「間抜け」にはなりたくないものである。


 200-11-30

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コメント

}いずれにせよ、「間抜け」にはなりたくないものである。

< 200-11-30 >

そうですなぁ。

投稿: め娘 | 2007/11/30 14:50

め娘、そのツッコミは痛い(笑)。

女性は男性を一生理解できないし
男性も女性を一生理解できないと思っています。

「木綿のハンカチーフ」ではないのですが、
私は家では「紅」すら塗らない完全なるスッピンなのですけれど、
そういう女性を男性はお嫌いなのでしょうか?

※私信:また安静に戻ります。

投稿: 惠莉 | 2007/11/30 18:14

そういえば 「くだらない」

 京の方が ものがいい時代に発生したことばだそうだ。

 ふうむ。某大新聞にありました。

 Ichiro

投稿: Ichiro | 2007/12/01 08:39

上村松園(うえむらしょうえん)の絵の
「メリハリの強さ」と「優美で繊細なほどな柔らさ」の対極した
バランス

そしてイチロさんの言う、洋画にはない
「間」という見事なほど綿密な「空間(空白)使い」のバランス

確かに天性の「何か」を感じます。


逆説になりますが、男性と交接し、自らの子を育てた
  「女・母」
であるからこそ、あの「美」としか言い様のないほどの
  「女の艶」
を描くことが出来たのではないかと思って見つめています。

投稿: 惠莉 | 2007/12/01 22:06

}いずれにせよ、「間抜け」にはなりたくないものである。

仕事でもそうだよね。会社なんかやっているとそうだと思うけれど、間が大事だと思う。相手の心をつかんで間を持って自分を伝える。

まあ、め娘はベテランだからな(笑)

投稿: イチロ→め娘 | 2007/12/01 23:31

>そういえば 「くだらない」

> 京の方が ものがいい時代に発生したことばだそうだ。

なるほど。言葉というのは妙(たえ)ですよねぇ(^^)

投稿: イチロ→Ichiroさん | 2007/12/01 23:33

>「木綿のハンカチーフ」ではないのですが、
>私は家では「紅」すら塗らない完全なるスッピンなのですけれど、
>そういう女性を男性はお嫌いなのでしょうか?

惠莉さんの「スッピン」を一度見てみたいです(^^;)

>逆説になりますが、男性と交接し、自らの子を育てた
  「女・母」
>であるからこそ、あの「美」としか言い様のないほどの
  「女の艶」
>を描くことが出来たのではないかと思って見つめています。

惠莉さんの鋭さには、本当にビックリします。

きっとそうですね。松園は40台で、年下の男性との交際に破局して「焔」という狂女の絵を描きましたが、その後3年間、展覧会に作品を出さなかったそうです。自分がなぜこんな作品を描いてしまったのかわからないと本人自身が言っていたそうです。

私は個人的に思っているのは、松園は、絵を描くために男の人と付き合ったのかもしれないということです。つまり絵を描くためには男の情念とかそんなことも知らなくてはいけないから・・・。だとしたら、よけいに松園という女性を怖いと思いますが、それは想像しすぎでしょうね(^^;)

追記:念のため、私は女性恐怖症ではありません(アハハ)

でも「松園の前に松園なし」「松園の後に松園なし」と言われるほどの女性はいませんし「序の舞」のあの迫力にはほとんど圧倒されます。いつか松園の美術館に見に行きたいです。

投稿: イチロ→惠莉さん | 2007/12/01 23:47

>惠莉さんの「スッピン」を一度見てみたいです(^^;)

後悔されますよ。あはははははは・・・・・・(^_^)

 ~~~~
「焔(ほのお)」という作品を見たのですが、
背中を丸め、唇を噛むような寂しいような苦しいような憎いような表情に、着物の裾が一番下まで描かれていない。
狂女というよりも、心から大事なものを失ったときの「悲哀・悲愴」を感じます。

私には「松園自身の奥底の心理」が、そのまま描かれてしまったのではないかとすら思いました。
それが、もしかしたら、
「自分がなぜこんな作品を描いてしまったのかわからない」の意味かもしれないと。

大切なものを失った後、または異常なほどのショックを受ける出来事と出会ったとき、画家も作家も筆を断ってしまう、または筆を持てなくなることがありますね。

随分見つめていましたが、私は「上村松園」が「芸の肥やし」のために男性と付き合ったとは思えません。
多分、イチロさんの想像のしすぎだわ。

>念のため、私は女性恐怖症ではありません(アハハ)

分かっています(^_-)

私も「松園」の絵を、画面でなく生で見てみたいです。

投稿: 惠莉 | 2007/12/02 15:57

ちょっと しつこいかもしれないけど「間抜け」について

百人単位の見物人の前で
ある人のことを 絶対殺す この手で殺すと
宣言した女(笑)が いるとするよね

殺しもしない 謝罪もしない・・・

こそこそ逃げ回っている・・・

それでいて イチロさんのブログでは
下らない ウソばかりつく・・・

これ以上の間抜けは いないなぁ

わたしが そんな女(笑)だったら 自殺するよ ほんと

そして 生きているめ娘が ちょっと 可愛いんだよ


おわかりかな?

投稿: 九龍公 | 2007/12/08 21:17

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