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2007/11/30

装う女と男 あるいは「間抜け」と上村松園

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 こじつけだろうが「間抜けは『間』が抜けていること」、「たわけは自分の田んぼを他人に分け与えること」だと、親戚の義父が言っていた。

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 私は、昔から男と女を区別することをしなかったが、最近あえて、男と女の違いを書くことを良くするようになった。 それはやはり「男と女は違う」ということに気がついたからだ。男と女の間の溝は、それは人とチンパンジーほども離れていると思う。

 私は学生時代から「フェミニスト」と言われてきた。

 でも、その時点では男女の形質差さえもあえて否定するような観念的なものだった。それが最近になって「おちんちんがあるのが男」「子宮があるのが女」というれっきとした違い(当たり前のことである)を認めることができるようになって、ずいぶんと気分が楽になった。

 私は、女性という存在を尊敬する。

 それは自分とは違う思考過程というか感覚を持つからであり、平和主義だからでもある。ただ、男と違って秘めた裏の世界にはドキドキする。

 「一生素顔を見せないのが女」だと思う。

 口紅とか、白粉とか、マニキュアとか、まつげをクルリンと上げるとか、女性は「装う」。擬態して一生生きるという姿はスゴイと思う。私にはできない・・・(^^;) 私は装うことができないので、素(す)で生きているから、そうした女性の心性は理解できない所がある。

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 「日本画家上村松園」は、実は結婚しないで子どもを産んでいる。あのような完璧で緻密で気品のある作品を生みながら、でも男と交接して(要するにセックスのこと・・・アハハ)それでもなお、あのような凛とした女性像を描いているのだ。

 女性の奥深さと、ある意味では不気味さを思う。

 上村松園の凄さは、もちろんその緻密で突き詰めた画風にあるのだが、彼女の日本画の「間」にある思う。

 「間抜け」でない「間」を知り尽くした彼女は、やはり日本画家として「天才」だったとしか言えない。いわゆる洋画は、キャンバスの画面を埋め尽くさないと気が済まないように描き込むが、日本画にある「間」を見ると、ホッとする。

 私の回りの女性には、「間を持てず」に言いたいことを一気に言わなくては気が済まない方々も多い。それもたぶん女性という性の特徴に由来する性質かもしれない。

 言うべきタイミングをはかることができず、自分の心を自ら制御できずにしゃべりまくる方は、女性に意外に多い。一方の男は、自分の胸に納めて飲み込むことが多いような気がする。

 いずれにせよ、「間抜け」にはなりたくないものである。


 200-11-30

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2007/11/29

「上村松園」という、日本画家のこと・・・

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 明治生まれの、日本画界の重鎮であり才能である。

 彼女の描く絵は、キチンとして、凛として隙がない。 こんな日本画家はその後生まれたのか?

 たぶん・・・未だ一人もいないだろう・・・。

 島成園と池田蕉園と共に「三園」と呼ばれることもあるが、その中でも松園は秀逸の逸材であった。

 ※画像を乗せたいが、著作権があるので掲載はできない。 ご自分で検索して頂きたい。

 松園は部屋に籠もって、お女中さんの名前さえも覚えることはなかったという。息子の「上村松篁」「母は天上の人だ」と、語ったという。その位の女性だった。

 ただ、ひたすらに絵を描くためだけに生まれてきた人がいるjのだ。 

 松園の「序の舞」とか「焔(ほのお:謡曲「葵上」より)」を見ると言葉も無いが、こう言っては悪いけれど、たぶん最高の作品ではあるけれど、女性の「怨」を感じる。

 少し息が詰まる。

 「序の舞」の緊張感は、見る人を時に疲労へと誘う。

 人の生き様も様々である。

 ※アキノキリンソウ

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2007/11/28

子どもは生きたいようにやらせたらええねん!

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 最近、小中学校で、国語・算数・理科・社会以外、つまり受験に関係する授業以外の科目が減っているが、それは如何かと思う。

 わたしは、自分が成功した人間でもないし、社会の規範となる人間ではないから偉そうなことはまったく言えないのだが、保育園や小学校の頃「ハマって」いたのが「ロケット(飛行機)」の絵を描くことだった。

 それは、この世の中で最高に完璧な飛行機で、横からの断面図を何枚も何枚も描いた。それを、父が喜んで壁に貼ってくれたりしたのが嬉しくて、よけいに調子に乗って描いた。

 子どもの頃って、想像力とかイメージとかが一杯に膨らむ時期で、それを自由に伸び伸びとやりたいようにやらせてもらったことが、その後のわたしにとっては、本当の宝になった。その時点で「つまんない絵なんか描いているヒマがあったら勉強しろ!」って言われていたら、物事に対する自由な発想は今日、できなかったかもしれない。

 子ども達が絵を描くという「心理療法」は普通に行われるけれど、そんなに話を難しくしなくても、絵(図像)を描かせたら、国語・算数・理科・社会がそのことで絶対に伸びると思うのだ。

 「美術も音楽」もそうだけど、芸術って統合されているから体力も使う。目も耳も手も何もかも肉体と頭を使って、総体的に能力を伸ばすから、子ども達のいろんな才能を引き出すと思う。その時間をカットするというのは、目先のことばっかり考える先生達や文部科学省の頭の悪い連中には分かんないかも知れないけれど、逆にどうかと思う。

 嫌いな科目を無理矢理強制されたら、人間って伸びないよ!。人間だけじゃなくても同じ。 

 好きな絵を描いたり、好きなことができたら、その方が否応なく伸びるよね(^^) 

 やりたいことをやらせてあげたら良いねん!(間違った関西弁??)


 ※狙仙の猿(迫力あるよね!)

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2007/11/27

キッチンの電気がつかないと、とっても寂しい(泣)

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 昨日、キッチンの天井にある一番大きな電気(蛍光灯3個セット)が、いきなりつかなくなった。まあ、キッチンなんていう洒落たもんじゃなくて、普通の台所だけれど・・・・・・。スイッチをパッチン・パッチンと何度繰り返しても、一番小さい夜用のランプ以外まったくつかない。

 「あれっ! 蛍光灯が切れたんかな?」と思って、イスを持ってきて蛍光灯のプラスチックカバーをはずしてみたものの、なんとグローランプもなく、もちろん代わりの蛍光管もない。最近の住宅は訳がわからない。普通の「問題解決学習」は得意だが、蛍光管をはずすことさえ出来ずに、そのまま今日になった。

 きょうになって、夕方仕事から帰宅して、スイッチをパチンとしたら「あれっ? 電気つかない・・・。そっか・・・。昨日切れたんだ。」

 テーブルの上の電気と、台所の照明は大丈夫なので、それをつけて夕飯の支度をする。今日の夕飯は、貧乏なので「期限の切れたキムチ」で作る「チャーハン」。これがまた最高に旨いから、参ってしまうのである(^^;)。 材料は「ご飯・長ネギ・ショウガ・白菜・もやし・キムチ・ベーコン・醤油・チキンブイヨン・胡椒・食用油・ゴマ油」である。

 今日は、みんなが7時過ぎにそろったので、チャーハンの夕飯にしたのだけれど・・・・・・・なにせ「部屋が暗い!」(笑)

 暗い部屋でテレビを見ながら、チャーハンを食べても、全然美味しくない。

 みなさんに、ご忠告させていただきます。

 いくらお金が無くても、部屋だけは明るくしてご飯を食べましょうネ。

 暗い部屋でご飯を食べると、生きる気力が無くなります。

 これって、絶対にダメです。

 ご飯は明るい部屋で食べてくださいネ(^^)

 ※チャーハンの写真は、旨く撮れなかったのでごめんなさい。

  柿は、皮を干して、漬け物とかに入れます。味がとっても深くなります。

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2007/11/26

ナウシカと新しい風 (補遺)

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 サンとアシタカがその後どうなったのかの記載は、ついにない。

 世界の運命を背負ってしまった殉教者ナウシカのその後もわからない。

 だが、人は人として生きて行くしかない。人として生まれ落ちたからには、ペンギンになることもできないし、スヌーピーみたいなビーグル犬になることもできない。カモメにもなれないし、カラスにもなれない。

 少年と少女の物語は、悲劇であれ、ひとつのささやかな物語としてであれ、終わりを迎えなくてはいけない。

 ナウシカという一人の「風使い」は、もののけ姫を経て、お風呂屋さんの従業員である「千と千尋」にようやくたどり着くが、生き生きとして生きる姿は永遠に変わらない。

 空を飛びたい。

 飛べるはずだ。

 飛んでみせる。

 新しい風が、いままた吹き始めている。

 ※画像:ロゼット

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ナウシカと新しい風 (3)

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 1983.6.15 宮崎駿 『シュナの旅』 徳間書店 という本がある。 以前ここでも紹介したような気がする。そこには、ナウシカも、もののけも、ラピュタも、宮崎のありとあらゆる原点が描かれている。

 人っていうのは、生涯できっとひとつのことしかできないのである。

 逆に言えば「人は人生でたったひとつの生き方ができたら良い!」ということである。たとえは変だが「ピン芸人がひとつ当てたら、それで一生暮らせる」というのと似ている。

 「ゲッツ!」 「そんなの関係ねえ!」を想像して頂いても良い。

 そしてその原点は「出発点」にあるということ・・・。 三つ子の魂百まで、である。

 私の好きな学者である「藤森栄一」という方は「若さというものは心に灯(ひ)をともせるたった一度のチャンスである」と言った。それはナウシカや、サンやアシタカや、シータやパズーと重なって重い。(2)でも書いたが、どんな子どもでも、自分の頭で考えて自分で判断して、自分の意志で行動するということができるということであり、、子ども達は、たぶん十代半ばでそれができるようになると思う。

 子どもを見くびったり、子どもを未熟な人間として、下に見たりしては絶対にいけないのだ。

 「心に灯(ひ)を灯す」というのは、自分の意志でもって生きるということに、他ならない。

 ナウシカもサンもアシタカもたぶん、今でいうと小学校の5年生から中学生位の年代である。10代の半ば以下である。そんな年頃にして、彼ら彼女達は自ら属している世界さえも背負うのだ。 でも、それはあり得ない荒唐無稽な話では全くない。

 そして、宮崎さんのアニメに出てくる子ども達には、もうひとつ特徴的なことがある。それは、

 「顔を上げて、いつも凛としている」という姿である。

 自分の生き方を自分で選んでいるからもちろんやましい点などないし、彼らには生き方に自信がある。キッパリとして誇りを持って生きている。誇りを持って生きている人間は、多少のことには動じるべくもないのである。


 今回の拙い話しを終わるにあたり、気が付いたのは、若くまだ未熟な連中への期待である。

 私はすでに「パンドラの箱」を開けてしまった人間かもしれないけれど、パンドラの箱に唯一残った希望とは何かと聞かれたら、それは「子どもたち(若者達)」だと答えたい。

 サン、アシタカ、ナウシカ、パズー、シータ・・・・・・あんな少年や少女達がいたら、お父さんやお母さんはうかうかしていられない(笑) 逆に叱られてしまう(笑)

 そんな子ども達が育つ環境を育てるのが、私たち大人のつとめだと思うのだが・・・。

 「新しい風」を潰さないで、おおらかに育て上げる大人らしい大人になりたいと思う。

 ※ダイコンを干す。

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2007/11/24

ナウシカと新しい風 (2)

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 風の谷のナウシカも、もののけ姫のサンもアシタカもそうだが、彼ら、少年少女達に共通するものは何か?

 それは、明白である。

 「自分の頭で考えて、自分の意志で行動すること」そのことに尽きる。

 今日の社会で、そんなことができている大人は何%いるだろうか? 自分の意志を曲げてでも、たとえば客に媚びて商品を売ってでも生き延びて行かなくてはならない。それを、悪いとか気弱だとか言いたいのでは、まったくない。私も含め、身近に守るべきものが多少なりある人間は、辛くても苦しくても、そして自分を殺してもなお、守るべき者達のために自らを犠牲にしなくてはならない。

 人は大人になると詭弁や世渡りの術を覚え、若い頃には唾棄していた生き方を、否応なく受け入れる。そのことで一時人は傷つくが、そのうちに忘れてしまって、それこそが普通の「正しい生き方」だと、思いこむ。

 それが悲しくも人間である。

 「純粋であること」 それは若者の特権である。

 「悪いことを悪いと言えること」

 たったそれだけのことが、しがらみの藪に絡まれている大人には、とうていできなくなるのである。 「清濁併せ呑む」なんていう詭弁が「大人になった証」として刻印される。

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 私の職場に、4月から新しい職員が入った。

 20代の女性である。大学院卒である。凛とした風情の、才媛と言って良い、私のような好い加減な人格とはまったく違い、品行方正な女性である(^^;) 

 私は自分の職場では、いつも自分のペースで仕事をしてきたが、それが昨年からできなくなって憂鬱だったが、彼女が新しく赴任したことで、職場の雰囲気は一気に変わった。上司は彼女をまるで自分の娘のように、手取り足取りと可愛がり、そして気遣う一方で、「一番の稼ぎ頭であるイチロ」には「やって当然!」とばかり無頓着である(^^;) 評価されないよりはまあ・・・それなりに良いけど、初心者の彼女と指導者であるイチロの給料は、実はまったく同じなのである。

 これって、すごい職務管理だよねぇ・・・(笑)


 (差別発言になるから言いたくはないけれど、女性の管理職って・・・通常は、向いていないかもネ(笑) 日本国の将来と自分の愛人の不倫を天秤にかけることを平気でする姿を見ると悲しくなるよ)

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 でも先日来、その若い彼女のものの見方考え方に教えられることが多いのだ。

 新しい風がきたのだろう・・・・・・。

 彼女の資質は、年上の私をある面ですでに抜いていて、その鋭い指摘を控えめにいう発言を聞いてみると、思わず考えたことが、何回かあったのだった・・・。

 私は発言する時や文章を書く時、自分が「日本で一番の作家」であり「世界で一番の評論家」であると、ある意味役者になりきり、擬態して綴る。他の連中の意見を気にしたり、評論家の発言を気にすると、自分の正直な感想が書けなくなってしまうからでもある。

 しかし、彼女の発想というか捕らえどころは、私がそれまでに気付かなかった点を突いてくる。自分が最高だって思っていた砦が崩されそうになる。 こんな事態は、これまでで初めてだった。今まで自分が先頭を走っていると思っていたのに、それを否定するような見解を、さりげなく発言する。

 はっきり言って、彼女の方がレベル的には私より上なのだと実感した。

 確かに人間関係とか事務処理とかトータルな面では、私の方が年の分、圧倒的に優れてはいるが、それは年齢差の問題である。若くて直感的な感性に私は、彼女が成長したらこれからもはや、とうていとかなわないだろう。そう気付いた時、少しショックだったが・・・・・・、

 時代は過流れて行くのだ・・・・・・・・・。

 新しい風が吹いたとき、それが時代交代(世代交代)の時期なのだろう。だが、私は個人的にはもう少し頑張りたいと思う。そして20代の彼女には、もちろん大きく欠けている部分がたくさんあるから、それを少しでも補ってあげたい。

 「ナウシカ」を超え、新しく吹いてきた風に、私は心底から動揺することはこれからもたぶんない。でも、いつでも新しい風が吹き、そして時代は変わり、人が入れ替わる。ミラボー橋を詠ったアポリネールと同じだ。

  そして「新しい酒は新しい革袋に入れよ!」と言われるように、今回私は新しい風を感じて、この世界からの引退の時期を悟ったのだった。


 ※熟柿を作る「寝かし柿」

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ナウシカと新しい風

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 『風の谷のナウシカ』(宮崎駿)のマンガ(コミック)版で、彼女が村を去ったあと、風の谷に新しい「風使いのわこ」が、はじめて空を舞って風をつかんだ。


 村随一の頼りがいのある姫様で風使いだった「ナウシカ」が、トルメキアに拉致されたあと日は流れ「新しい風使い」が誕生した時、物語の主人公である「ナウシカ」は、帰るべき場所を決定的に失った。

 村を追われた「アシタカ」と同じ運命だ。

 ナウシカのあとを次ぐ「幼い風使い」は、たぶんナウシカが拉致される時「チコの実」をくれた可愛い女の子の一人だったのだろう。彼女は、幼い頃からずっとナウシカと一緒に遊んで、たぶん風をつかむ方法を、ナウシカから教えてもらっていたのだろう。そんな女の子が、勇気を持ってやっと空を舞ったのだ・・・・・・。

 後に続く世代を育てるということは、たぶん、自らをある意味で否定しマラソンのように脇を不意に抜き去って行く人間をあえて育てあげる、ということに他ならないのだ。それは言葉をかえたら「自分で自分の首を絞める」ことである。

 なのに、なぜナウシカはそんな自分だけが命がけで知り得た知識や技を幼い子ども達に丁寧に伝え、わかりやすく教えたのだろうか。でも、それは自らを犠牲にしてもなを、ナウシカにとってはしなくてはいけないことだった。それは定められた道だった。

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 それはたぶん「自分という個人」の外に、自分より大切な「守るべき世界(社会・村・家族)」あったからだ。

 「自分が一番大切にしているものと、社会が大切にしているものが整合性を持ってスムーズに噛み合っていた時代が、かつてあった」のだと思う。

 (『もののけ姫』の、「サンとアシタカ」 は、自分にはこだわらなかった。サンも、怒りに我を忘れていたが、彼と彼女を取り巻く環境を一番に大切にして自らの命など、いとわなかった)


 「共に生きよう!」ということは、そういうことなのだと思う。

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 ナウシカのような想像の世界の女の子は、いつでも「好奇心一杯」「空想や想像力」が溢れている。

 そんな女性が世界を救うのは、当然かもしれない・・・。


 ※画像:ウサちゃんの柿が甘くなりました(あはは)

 つづく・・・

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2007/11/20

柿の木から落ちました・・・

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 昨日はたまたま休みだったので、柿の実をもぎました。

 わたしの家の畑には3本の柿の木がありますが、そのうちの2本はわたしが物心がつくころには、すでに直径70cm位あって、今では大木になって、しかも一番頂上に実が付くので、とても採ることはできないのです。残りの一本だけが比較的細く枝振りが広がっているので「さわし柿」「干し柿」にする柿を採れる木なのです。

 わたしの母は、近所で「柿を採っていて、落ちて死んだとか、下半身不随になった」という話を聞いてきて「もう来年は採らなくても良いから・・・死んだりしたら元も子もない」と、わたしにいうのだが、1年経つと自分の言ったことなどサラサラ忘れて「また柿を採ってくれるか?」と言うのである(息子の命より、柿が食いたい欲望の方がまさるのか・・・トホホ・・・)

 でも、母が「柿を食べたいと言うのなら、体でも命でもなんでも賭けよう!」という、イチロは「ドエライ息子」なのである(^^;) 昔から木登りは得意なので、ノコギリを1本持って木に登る。枝を切り落としても良いが、枝が途中で引っかかるとそれを地面に落とすのにもの凄く苦労する。だから今年は、枝の先の方にまで登って直に枝を手で折って柿を落とすことにした。びくに一個ずつ入れるなんてまだるっこしいことはしないのである。自家用だから・・・。

 柿の木は折れやすいので、慎重に枝の強度を予想しながら「三点支持」をキチンと守る。「三点支持」というのは、元々登山用語(ロッククライミング用語)である。人間には手が2本、アシが2本、合計4本ありますが、そのうちの3本の手足が必ず木や岩に触れていることを意味します。一度に移動するのは1本の手か足だけ。それで、落下を防げるのです。

 そうこうしながら、百数十個を採り、欲を出すとろくなことがないので、もう今日は辞めようと思って木を降りてきた。そしてあと2m位の所だっただろうか。以前切った直径10cm位の枝のひとつに体重をかけた時、その枝がいきなり折れて、地面に落下した。腐っていたのだ。

 右の横腹から落下して地面に落ちて、一瞬呼吸ができなかった。

 たった2mでも、衝撃はすごかった。でもたまたまそこには石がなくて、柿の落ち葉が積もったふわふわした土の上だから助かったのかもしれない。ホントに運が良かったのだと思う。

 ただ、昨日は別に何ともなかったのだが、今朝起きたら痛くて起きあがれず、結局午前中の仕事は休んで、湿布を貼って仕事に行った。でも、今この時間になったら、痛みも薄れ楽になってきたので、どうやら骨折とかはないようです。


 徒然草の「高名の木登り」ってホントだって、再認識しました。

 ※落ちた柿の木と昼間の月(みなさんも柿を採るときは注意しましょう)。何人も亡くなったという話を聞いています。

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2007/11/19

品格ということ

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 「品」とか「品格」って、たとえば学歴なんかともまったく関係がないし、生活のレベルでもない。その人の生き方に対する態度というか、姿勢だと思う。

 「教養」という言葉がある。品と同様な言葉だと思う。

 教養は、たとえば東大を出たことで付くものではない。いくら東大を出て知識だけの頭でっかちであっても、人前で「クチャクチャ」と、口を開けて飯を食べる人間は、それだけで「品」がないということになる。人前で貧乏揺すりを平気でするようなものである。

 「品」がどこで身に付くのかはわからないが、どんなに貧乏で貧しい家庭でも、品のある人間が育つ可能性があることを思う。 品格と家庭事情とか、学歴とかはまったく別なのである。

 そして「品」とか「品格」とか「教養」というのは、家系や伝統ではなく、「個人の資質」だと思う。

 自分が如何に潔く生きるのか・・・「清廉潔白」なんて言葉はもはや死語になったが、金はなくても、誇り高く生きるという思いを、わたしは失いたくないと思う。


 2007-11-19

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おとなむけの こどものための・・・たのしいきのことり

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※ちろるさんから「菌糸の匂いでハアハアしますからね」とのリクエストがありましたので、以前書いた文章を掲載します(^^) → 長文です。

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おとなむけの こどものための・・・たのしいきのことり

 きのことりにいこう!
みんなはきのこすきですか? 今年はきのことりにいきましたか。とれたきのこは、おみそしる・きのこごはん・なべもの、どんなりょうりで、食べたんでしょう。山にはいって、かぞくみんなでとってきたきのこは、とてもおいしかったとおもいます。
 「きのこはすきじゃない」という人もいるでしょう。シイタケはにおいがダメだけど、白いエノキタケなら食べられる、なんて人もいるかもしれません。でも、山へきのことりにいくと、お店にはないおいしいきのこや、かわいいきのこが、にょきにょきでています。
 きのこは、見たりさわったりするだけでも楽しいんです。林の中のきのこは、あか・き・みどり・しろ・くろ・ピンク・あお・ちゃ色など、とてもきれいな色をしています。大きくていばっているきのこや、ひとつだけぽつんとさびしそうなきのこ、おしくらまんじゅうしているきのこ、まあるくならんでダンスをしているきのこなど、いろいろです。
 さあ、きょうは、きのことりにでかけてみましょう。みんなが、じこぼうやクリタケをとってかえると、お父さんやお母さんはきっと「すごい!よくとったね。」なんて、よろこんでくれるはずです。
 きのこ探検隊です。じぶんでとったきのこなら、ふだんきのこを食べられなくても、ちょとだけ食べてみましょう。とても、おいしいですよ。

1、きのこはこわくない
 みんなは、きのこにさわることができますか? きのこは、さしたり、かみついたりしませんから、さわってかまいません。きれいなきのこが生えていると、思わず手にとってひっくりかえしたり、二つにわってみたりしたくなると思います。そんなきもちを、だいじに、あんしんしてきのこにふれてみましょう。きのこをきたないとか、さわるとびょうきになると思っている人はいませんか? だいじょうぶ。どんな猛毒(もうどく)のあるきのこでも、さわったくらいでびょうきになったりしません。その手で「おにぎり」を食べちゃったとしても、しんぱいありません。
 でも、きのこにさわるまえのみんなの手の方が、バイキンがいっぱいついていますから、お弁当(べんとう)のまえは、手をきれいにしたほうがいいですね。 もしお母さんが「きゃあ!さわっちゃあダメ毒(どく)よ毒死んじゃうわよ。」なんて言ったら、お母さんにおしえてあげましょう。
「だいじょうぶ。お母さんの手より、このきのこの方がきれいなんだよ。さわったくらいで死んじゃうわけないでしょ。」って。
 
2、きのこのからだ
 目をつぶって、きのこを思いうかべてみましょう。どんなきのこでもいいです。どんな色でどんな形のきのこが思いうかびましたか。人によってみんなちがっているはずです。
 多くのみんなは、シイタケやマツタケ・エノキタケ・じこぼうを思いうかべたのではないでしょうか。白雪姫(しらゆきひめ)に出てくる、赤くて、白い「いぼ」がいっぱいついたベニテングタケを思いうかべた人もいるでしょう。きのこにはいろいろな形や大きさがありますが、みんなが思いうかべたきのこが、きっと「日本のきのこの、だいひょうせんしゅ」です。
 つぎの絵(え)は、ベニテングタケの体です。みんなの、あたま・あし・てと同じように、名前がついています。

3、たべられるおいしいきのこ
 今までに食べたいろいろなきのこ、おぼえてますか。どんなきのこだったか、名前と形・色を思い出してみましょう。
 おいしくて、たくさんとれて、安心(あんしん)して食べられるきのこは、10種類(しゅるい)くらいあります。すこしずかんでしらべておぼえれば、30種類くらいまで、食べられるきのこは、ふえるはずです。
 むかしからよく食べられているおいしいきのこ10種類は、お父さんお母さんやおじいちゃんおばあちゃんに聞いてみましょう。どれもそのまま煮(に)て食べられます。図鑑(ずかん)で、どんなきのこか見てみましょう。
 
  1、ショウゲンジ(こむそう) 8月から出る (アカマツ林)
 2、アミタケ         9月から (アカマツ林)
 3、ハナイグチ(じこぼう)  9月から (カラマツ林)
 4、ホテイシメジ(ちょこだけ)9月から (アカマツ・カラマツ林)
 ※でも、お酒(さけ)といっしょに食べると中毒(ちゅうどく)します。お酒の好きなお父さんにおしえてあげてください。
 5、オオツガタケ(さまつ)  9月から (アカマツ林)
 6、シモフリシメジ(くろしめじ)10月から (アカマツ・シラカバ林)
 7、クリタケ         10月中ごろから(木の切り株など)
 8、チャナメツムタケ     10月から (落ち枝や落ち葉上)
 9、ムラサキシメジ      10月中ごろから(落ち葉の上)
 10、キヌメリガサ(こんきだけ)10月中ごろから(カラマツ林)
  ※有名なマツタケ・ホンシメジ・マイタケなどは、おとなでもほとんどとれません。いつの日かとることを、夢(ゆめ)に見てください。

4、どくのあるきのこ
 きのこの中には、毒(どく)があって、おなかがいたくなったり、ゲーしちゃったりするきのこや、まちがって1本食べると死(し)んでしまう猛毒(もうどく)のきのこがあります。でも、きのこが人間をおそってくることは、ぜったいありません(あたりまえです)。人間に食べられるために、はえているのでもありません。中毒した人はかわいそうですが、「まちがって食べた人が、わるいのです」。だからみんなは毒きのこを、わるもの、あつかいしてはいけません。人間にとって毒を持っているきのこがあることを、りかいし安心しておいしいきのこを食べることを、かんがえましょう。
 日本でいま名前のわかっているきのこは、2,500種類(しゅるい)もあります。この中で毒のあるきのこは、わずか50種類です。生で食べると中毒(ちゅうどく)するなかまや、食べたいと思わない毒きのこまでかぞえると250種類位までふえますが、この地方(ちほう)の山で、きのことりにいってであう毒きのこは、10種類以下(いか)ですから、つぎのことをよく守って、中毒しないようにしましょう。
 ①毒のあるきのこのしゅるいを覚えて、そうしたきのこを食べないこと。
 ②知らないきのこを、おいしそうだとか、食べられそうだと自分ではんだんして食べないこと。お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが、むかしから食べているきのこ以外(いがい)を食べるときには、必ず図鑑(ずかん)でしらべ、おとなが食べていいといったら食べます。
 ③むかしから言われている、毒きのこと食べられるきのこの見わけ方は、ぜんぶまちがいです。
  かんたんな見わけ方は、まったくありません。そんな迷信(めいしん)を信じてはいけません。 たとえば・・・・・・、

・たてにさけるきのこは食べられる。
・赤や青などきれいなきのこは毒、そうでないきのこは食べられる。
・ナスといっしょに煮(に)ると、毒がきえる。
・どんなきのこでも、ゆでて塩(しお)づけにすれば食べられる。
・虫が食べたあとがあるから食べられる。
・犬やねこに食べさせて、だいじょうぶだったら食べる。

 ※すべて、間違いです!!

 これらは、ぜんぶまちがいだよって、おともだちや、お父さん・お母さんに、おしえてあげてください。
 でも、ナスと煮(に)ても毒は消えませんが、きのこをおいしく食べられるのは、ほんとうなのです。秋ナスときのこ最高ですね。
 この地方で、中毒(ちゅうどく)の多い毒きのこを5種類(しゅるい)あげておきます。どんな色をした、どんな形のきのこかは、自分で図鑑(ずかん)をひらいてしらべてみましょう。
 毒きのこの代表(だいひょう)
 1、カキシメジ 9月から (どく・苦しみます)
 2、クサウラベニタケ     9月から (どく・苦しみます)
 3、ドクヤマドリタケ     8月から (どく・苦しみます)
 4、ニガクリタケ(くりたけの花) 一年中→食べると死んじゃいます。
 5、ドクツルタケ       8月から→日本で一番毒が強いきのこ。
   ※どれも、おいしそうなきのこばかりです。

5、たべられるきのこのとりかた
 さあ、カラマツ林でおいしいハナイグチ(じこぼう)が見つかりました。どうやってとればいいのでしょうか。きのこには、とりかたがあります。
 いちばんだいじなことは、それが「たべものであることをわすれない」ということです。ふくろにでたらめにつめこんで、つぶれてしまっては、食べるきもちになりません。
 ①「え」の下に指をさしこんで、じぶんの手でじかにとりましょう。
 ②「かさ」についている葉(は)や、ねもとについている土・カラマツのこまかい葉をていねいにおとす。これをしないと、じこぼうの「かさ」や裏の「かんこう」(管孔)に土がついて、あとで、あらうときに、とてもたいへんです。ねもとを折(お)ってもいいのです。
 ③きのこをいれるビクか、スーパーマーケットの白いふくろのそこに、シダや葉っぱをしいて、きれいにしたきのこの「え」を下にしていれます。きのこがよごれないようにします。
 ④さいごに、きのこをほった穴を、ていねいにうめもどします。きのこをとったことがわからないくらいきれいにしましょう。
  ※ 大きくなりすぎたものや、虫が入ったり、くさりかけているものはとりません。あとで、かならず、すてることになります。

6、きのこのたべかた
 家にかえったら、すぐにきのこを出して、みんなでりょうりのじゅんびをしましょう。きのこ(とくに「じこぼう」)は、くさりやすいので、なるべくはやく下ごしらえをしましょう。
 ①きのこを、「しんぶんし」などにひろげて、ねもとを、えんぴつをけずるように包丁(ほうちょう)でそぎおとし、あらうじゅんびをします。そのとき、食べられないきのこがまざっていないか、もういちどお父さんお母さんたちといっしょに、よくたしかめます。くさりかけたきのこも、毒のあるバイキンがいますから、食べられません。
 ②きのこを水でよくあらって、おちばや、土をていねいにおとします。もし、虫がはいっていたら、しばらく水につけるととれますが、あまりつけておくとまずくなります。虫も栄養(えいよう)=たんぱくしつ、ですから、少しくらいはいっていても気にしません。
 ③大きなきのこは二つから四つに切るか、わります。きのこの形がわかるよう、たてに切るとおいしそうです。
 ④あとはお母さんお父さんにまかせましょう。じこぼうに向いた料理法(りょうりほう)はいっぱいあります。

7、きのことりにいくとき、ちゅういすること
 ○よくしっている山のほかは、おとなといきます:家の人には、どこに行くか、だれと行くか、何時にかえるか、よく話して出かけます。
○大きなこえをあげたりふざけない:これは山にはいる人が、かならずまもらなくてはならない、だいじなきまりです。山へあそびにいくときと、きのことりにいくときとは、きもちをかえましょう。
 ○はだがでないふくそう:長そで、長ズボン、あついくつしたとゴムながぐつ。ぼうしもわすれずに。手ぶくろもあったほうがいいです。雨がふりそうなときは、傘ではなくカッパをかならずよういしましょう。
 ○きけんにたいするちゅういをわすれない:山の中は、木や草や虫、けものたちがせいかつしているばしょです。そうした「いきもの」たちをびっくりさせない心がけが、だいじです。そこは元々「けものや・きのこたち」の生きるところで、そこに入っていく「ヒト」の方が、外からきたお客様だってことを、どうか忘れないでください。
 ・木のえだで目をつかないように気をつけましょう
 ・マムシやヤマカガシなどの毒へびのとくちょうを、よくおぼえておいて、もしかまれたときには、
  ①あわてず走らず山をおりて、はじめてであったおとなに、かまれたことを話してお医者(いしゃ)さんにつれていってもらいます。
  ②かまれたところを切ったり、しばったりしてはダメ。マムシの毒は早くまわりません。ちかごろマムシで死んだ人はほとんどいません。
 ・スズメバチやクロスズメバチ(じすがり)・アシナガバチは、巣(す)へちかづいたり、いたずらしなければさしません。ハチがちかくにとんできても、がまんして知らんかおしていましょう。手でふりはらうと、さされてしまいます。もしさされたらおしっこをかけてもききません。すぐに山をおりて、おとなに話します。さされたあと、きもちがわるかったり、ゲーしちゃったりしたら、すぐ病院(びょういん)に行きます。でも、たいていはしんぱいしなくてもだいじょうぶです。いたいので、家にかえって、薬(くすり)をぬりましょう。
 ○ゴミをすてない:あきカン・お店でうっているおにぎりのつつみ紙や、おかしのふくろなどを山にすててはいけません。かならず家にもちかえりましょう。できればお母さんお父さんにおにぎりを作ってもらい、ポットにあついおちゃを入れ、ナップサックにつめてでかけましょう。

 おわりに
 みんなは、きのこのにおいをかいでみたことがありますか? はなのちかくにもってくると、カビくさいきのこのにおいがします。きのこによってはカブト虫のにおいがしたりあまい香水(こうすい)のようなにおいがします。
 林の中は、うちの中やがっこうとちがって、落ち葉(おちば)のにおいがしませんか? それは葉っぱ(はっぱ)をくさらせて土にもどしている、きのこたちのにおいです。
 おひさまが、葉(は)のすきまからさしこんで、きらきらひかっています。そんな林の中にいると、あんしんしたきもちになることでしょう。つかれたら落ち葉(おちば)の上にねころんで、虫やどうぶつになったつもりで、目をつぶってみましょう。もしかしたら、きのこがむくむく大きくなる音がきこえるかもしれません。

 おとなのかたへ
 ほとんどのこどもは「きのこ」がだいすきです。そんなこどもの自然な気持ちを、大切にしてあげてください。
 ちかごろは、こどもたちが山へはいる機会は、とてもすくなくなってしまいました。
 こども達にとって身近な山へ気軽にでかけ虫やきのこをとる経験は、成長の過程でかならず経験しておく必要のある、なにものにもかえがたい貴重な段階といわれています。
 都会のこども達には無理でも、この地方ではそんな経験は、今ならまだ自由にさせてあげることができます。尻をひっぱたいてでもこどもを身近な山へ追いやることが大事でしょう。こどもだけで行けなければいっしょに行っていろんな知恵をさずけてください。
 こどもがきのこ採りにいくとき、彼らは未知の山への好奇心と、期待と、不安を、必ず持つはずです。そうした、感情の揺れ動きがこどもには必要です。探検隊の気分でしょうか。そんな経験は思い出として残ります。思い出は単なるノスタルジアではなく、これからこどもたちが長い人生を生きていくために、とても貴重な心の支えとなるものです。
 そして、同時に「家族みんなに、自分がとった自然のきのこを食べてもらいたい」という、使命感を持ち、それが達成されたときの満足感を求めています。自分が家族にとって、必要な存在であることを、確認したいのです。これはとても大事な気持ちで、こども達もそうした気持ちを充足させなければ、安定した生活を送ることができないものです。
 たかが「きのこ採り」について、大げさなことを書きましたが、いまどきのこども達には、私達が小さかったときにあたりまえだったことも、機会を与えないと、なかなか経験できないという現状を、知る必要があるように思います。

 この小冊子は「小学生を対象」に次のような趣旨で作成しました。保育園・幼稚園のこども達には、内容をわかりやすく話していただければと思います。

 ①、きのこ採りは「楽しい」ことを、知ってほしい:低学年・中学年くらいまでのこどもたちには、きのこや葉っぱをとったり、虫を殺したりするのを極端に禁止して、自然保護を説くことよりも、山に入って楽しく過ごせる経験を大切にしたいと思います。葉をとって匂いをかいだり、きのこをひっくり返したり、つぶしてみて、「感覚的に自然を実感する」ことが、とても大事です。小学生や保育園児には「自然破壊」はできません。
 ②、きのこは危険でないことを知ってほしい:近頃、きのこに触ることができないこどもが増えていると聞きます。どんな猛毒きのこでも、触れた手を舐めたり、きのこを多少噛んだくらいではふつう中毒しません。苦みや辛みを確かめるために、口に含むことは毒きのこを見分けるために必要なこともあります。着色や保存のために薬品をたっぷり使った市販のお菓子や、発ガン性の疑いのある輸入果物などとくらべたとき、野生きのこの方がずっと安全です。
 お母さん方の中には、清潔感からか、きのこを「バイ菌」扱いされる方がいますが、きのこは細菌類(バクテリア)とは別な生き物で、感染したりしません。人間は、自然の中で、いろいろな菌類・植物・動物と共存して、今まで進化してきたのです。ただし、
 ・きのこのアレルギーについては、ほとんどわかっていないので、アレルギー体質の方は、念のため注意しましょう。胞子を大量に吸わないこと、食べられるきのこだからといって、あまりたくさん食べないようにしましょう。
 ・ごくまれに「真菌症」という、内蔵にスエヒロタケなどの「きのこがはえる」病気にかかることがありますが、これは、病気で抵抗力が極端に弱った人に感染するもので、元気なこどもでは心配ありません。外から帰って汚れた服を着替える、うがいをして石けんで手を洗う、といった普通の衛生思想で十分です。
 ③、食用きのこ、毒きのこについての正しい知識を持ってほしい:こども達にとってきのこは、とても興味深い存在です。しかしこの小冊子では、ごく入口部分を説明したにすぎず、こどもたちには不満だと思います。書店にある、きれいなカラー写真やスケッチの「図鑑」を、ぜひ与えてください。また、食用きのこや毒きのこについて、話してあげていただければと思います。きのこを食べることは、健康のためにとてもいいといわれています。でも、文中に書いた数々の「迷信」については、科学的にすべて間違いです。きのこに詳しい人から「食用」といわれたきのこでも、昔から食べている種類以外は、図鑑等でよく調べ、疑問が残るときは食べないことです。最終判断は御自分の責任でしてください。
 ④、山にきのことりに入ると、いろいろな危険があるのは当然です:でも、そうした危険を日常的に経験することが、こどもにとって「本当に危険な事態」を避けることになります。蚊に刺された、ノイバラのとげにひっかかって血が出た、ウルシでかぶれた、ころんですりむいた、毒虫に刺されて痛い思いをした、などなど。こうした経験は、いつか人に話せる思い出になりますし「将来への保険」といってもいいのです。
 ・でも、命にかかわる危険については注意が必要です(今回は迷子になったり、熊に出会うような場所には行かないという前提での話です)。とりわけ、危険な動物に対する正しい知識が必要です。危険から身を守る第一は「肌のでない服装」です。長そで・生地の厚い長ズボン・厚い靴下・帽子・ゴム長靴で山へ送り出しましょう。これでほとんど大丈夫です。
 気になるニホンマムシは毒の回りが遅いので、近年ほとんど死亡事例はありません。万一噛まれたら、あわてず病院に行きますが、血清を打つ必要がないことも多いのです。走って、毒の回りを早くしないようにします。また、ヤマカガシは毒へびです。おとなしいへびですが、いじめるとかまれます。これには血清がありません。半日から一日以内に異常がなければ大丈夫です。もし皮下出血・血尿など異常な症状が現れたら、直ちに病院に連れていきます。
 一方、ハチの仲間はヘビより注意が必要です。ハチの方から襲ってくることは、普通はありません。巣をつついたり、ハチに恐怖を与えるほど接近しなければ、体にとまっても知らん顔していればまず刺しません。手を振って追い払ったりすると逆に刺されてしまいます。
 ただし、巣をとられて興奮しているクロスズメバチ(じすがり)や、棒を振り回されて興奮しているスズメバチに出会ったときは要注意です。怒ったハチは10mも追ってきて刺します。すぐ地面に伏せて、シャツのえりをたて、2匹目に刺されないようにします。昔はおしっこ(アンモニア)をかけるとよいといわれましたが、毒成分が違うので効果はありません。たいていは抗ヒスタミン剤の入ったステロイド軟膏を塗ればしだいにおさまります。
 しかし、以前に刺された人やアレルギー体質の人で、気持ちが悪くなったり、体にボコボコふくらむ浮腫ができたときはすぐ病院に直行し、専門医の処置を受ける必要があります。ショックで死亡することもまれにあります。こども達を山に引率した際の事故では、薬を用意するとともに、刺されたこどもをよく観察して最悪の事態を防いでください。

※ もし万一、毒蛇に噛まれた・ハチにさされた・きのこに中毒した・毒のある植物を食べたといった時には、ためらわず病院に行きますが、こんな時(財)日本中毒情報センターに問い合わせることができます。

○つくば中毒110番 0990-52-9899(9~17時、12月31日~1月3日を除く)
   医療機関専用(0298-51-9999)は、一件につき2,000円
 ○大阪中毒110番 0990-50-2499 無休 24時間対応(通話料+100円)
   医療機関専用(06-878-1232)は、一件につき2,000円

  ※命に関わるラインなので安易な問い合わせは厳禁です。

著者・発行者:イチロ (Oct.25,2007)

 2007-11-19

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お話を書くということと、男と女・・・

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 わたしは、絵を描くことも、歌を歌うことも、ピアノを弾くこともできないから、こうしてただ文章を書いている。

 人には向き不向きがあって、得意でないことがあったり不得手が必ずある。それが人という生き物である。

 何事全てにも万能なんていうひとなんていないし、自分ができないことをしなくてはいけない義務は人には無いって思う。ヒトは自分の能力以上のことをする義務なんて、まったくないのである(実感)

 いくら絵を描くことが上手でも、歌声が人々を魅了しても、料理は苦手でほとんど満足な食べ物さえも作ることができない「女性」も、現実には実はたくさんいらっしゃるのであろうある。

 女は全て料理上手なんていう幻想が取っ払われた今日、料理が好きな「男」であるわたしは、ひとりコソコソとすこしほくそ笑むのである(^^;) 女性はすべからく料理上手だなんて、昔から思ったことはない。「好きなことをお互いにやったらいいじゃん!」って思う。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 近所の方には、プロの歌手の方や絵描きさんが、あちこちにはいらっしゃいます。

 そんな方々の姿を見ていると、自分の不明を恥じてしまうけれど、でも彼ら・彼女達は、謙虚で自立していて向上心があって、そしてこれからはますます女性の時代になるのであって、わたしのようなルーズな男達は、とうてい太刀打ち行かないと思う。

 しかし一方では女性だけの地球の国々を想像すると「とってもやっかいなことになるだろな!」って心配する(^^;) 女の子とか女性の中では、まとまって総体のことをバランス良くを考えていけるのかなって・・・・・・。

 ゴメン・・・。

 「差別発言」だとは、重々わかっております・・・(苦笑)

 でも「いまは女性の時代」とかいうけれど、そんな時代って、たぶん長続きしないよ(^^)  男が中心の封建社会が今日では崩壊したように・・・・・・。

 わたしは「男性という性」にひとつの希望をすこし抱いている。

 生物は元々「メス」だけで生殖して生き延びることができる存在だと思う。しかし、そこになぜ「オス」が進化の過程で配置されなくてはいけなかったのか・・・・・・!? そこには確かにひとつの理由があったと思うのだ。

 オスとメスが交接しないと子孫が生まれないなんていうややこしい関係はやめて、勝手にメスだけで子孫を作れば良かったのに、どうして生物の進化の課程で、オス=男というカウンターを、自然史はあえて作ったのだろうか?

 そのあたりのことを、わたしたちはもう少し考えて、仲良くしたら良いのではないかと、かように思う次第なのである。

2007-11-19

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2007/11/18

カモに、金波・銀波 - 秋になりましたネ -

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 仕事中、お昼ご飯を終えてから、コンパクトデジカメを持って庭に出ました。昨日のことです。

 あたりはモミジの紅葉や、イチヤウ(銀杏)の黄葉がコントラストをなして見事でした。

 ちなみにイチョウは、イチョウ科イチョウ属の裸子植物で古く中国から渡来したとも言われます。学名はGinkgo biloba Linn.です。Ginkgoという属名は「銀杏」の読みを間違えてつけられたもの。種小名のbilobaは、2浅裂のという意味で、イチョウの葉っぱがふたつに割れていることに由来します(割れていない銀杏の葉も、実際には多いのですが・・・)。 Linn.は命名者で、かの有名なスウェーデンの植物学者「カール・フォン・リンネ」の略称です。

 話を戻しますが、仕事場近所の池に行くと、鴨が泳いでいました。カモのアップを撮りたいと思って近寄ると、カモは泳いで遠くに逃げてしまいます。しょうがないので、なんにも考えずに3カットを撮りました。

 その内の1枚をトリミングしたものが、上の画像です。写真を見てビックリしました。

 そこには鴨といっしょに「金波・銀波の水面(みなも)」が写っていたのです。わたしは鴨ばかり見ていたので写真の画像を見るまでは、まったく気がつきませんでした。

 青い水面は青空が写ったもの。金色はイチョウです。銀杏の葉も浮いています。緑色はまだ黄葉していないイチョウの緑の葉です。そして銀色は池の縁が写り込んだのでしょうか?良く分かりません。左側にうねる銀青色の線は、きっと照明のポールが写り込んだのだと思います。それにしても、丸く渦を巻くような水面が、本当に不思議な効果を見せ、いま、その金色(こんじき)の世界に、一匹のカモが泳いで分け入って行こうとしている場面です。


 いやあ、カメラのレンズってスゴイなって、改めて思いました。


 2007-11-18

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2007/11/17

お絵かきが好きですか?

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 みなさんはお絵書きが好きですか?

 絵が描ける人ってスゴイと思います。わたしは文章で説明するのは、上手下手は別として嫌いではないのですが、図で説明するとか、スケッチをするとかが「大の大の苦手」で、きっとそんな方面の脳の機能の一部が欠落しているのだろうと思います。大体定規を使わないで「まっすぐな線」が30cmと引けません(笑) 形態把握する能力はあると思うのですが、その脳の命令を腕から指を通して、紙の上に表現するという能力がないのです(笑)

 ただし、塗り絵だけは得意でした。決められた範囲内に決められた色を色鉛筆か何かで均一に塗っていくのは「お役所の事務員みたい」に大得意でした。

 でも、絵を見るのはそれなりに好きでした。

 学生時代東京にいたとき、シャガール・カンディンスキー・マチス・岡本太郎などの展覧会を見ました。だから洋画が大好きで「日本画」にはなじみがなかった。でも、日本画家さんの層の方が厚いらしい。

 今日、夜10時からテレビ東京の『美の巨人』を見た。

 オランダはフェルメールのかの有名な「恋文」という作品を取り上げていた。遠近法がどうとかの解説は確かに蘊蓄で知識としてはあるのだろうが、それはそれで良いとして、あの彼の「光を捉える能力」は本当にスゴイと思う。300年も前の人なんでしょ? それも現代人の言い方で、300年前なんて今の人と変わらないんですよね。 「真珠の耳飾の少女 (1665年頃)」(画像)なんて本当にうっとりする。ターバンと、目と、真珠のあの光沢の美しさと、今にも何かをしゃべり出しそうなぽってりした唇の開き方のニュアンスは如何ばかりか!

 拡大すると全面にひび割れが生じているが、そんなことが何にも気にならない。画像で見るととても大きな絵のように見えるが、実際は40cmくらいの絵である。すごいよね・・・。

 フェルメールは、生涯で30数点の作品しか残さなかったという。ヨーロッパの凄さを感じる時である。


 ※フェルメールの作品は国際法上も著作権が切れていますので、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)Johannes Vermeer (1632-1675) - The Girl With The Pearl Earring (1665).jpgから、引用させていただきました。

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2007/11/16

スナップ写真と、盗撮の境界・・・ゆき彩♪ さんゑ

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>他の人が観ていたら
>警察に連絡されて
>事情聴取を受けるかもね!

>ゆき彩♪

 この下にある、2007/11/15に書いた、『ピチピチな「太もも」 若いお母さん』への、ゆき彩♪ さんのコメントに、すこしショックを受けてしまいました・・・。

 ゆき彩♪ さん。

 私の行為は、犯罪になるかもしれないような行為なんでしょうか?

 私は昔から写真が好きで撮り続けてきました。被写体に対する興味は、きれいな紅葉でも、ピチピチ太ももでも変わらないと私は思うのです。だって、あんなピチピチのジーパンで、エナメルのブーツを履いて公園を歩いている女性(お母さん)は、私にとっては「おもしろい被写体」であって「性的犯罪の対象」ではないのです(^^;) 

 私は写真を撮る行為が、たとえば都道府県や市区町村の条例できっちりと規制されている場合は別として「海水浴場で水着の女性を撮影する」ことは、何も問題がないと以前から思ってます。

 ただそれが「投稿雑誌」とかに掲載されてしまうことになると問題になるでしょうが「写真を撮影すること」「裏の雑誌に投稿する」ことは、キチンと分けて考えなくてはいけないと思います。

 写真を撮ること自体を、私は犯罪だとは思いません。

 たとえば階段を上る女性のパンツが見えてしまって、それを写真に撮ったとしても、その行為はその時点では、私は犯罪だとは思いません。だって、たまたま見えてしまったものを「写真にとってはいけない」なんて、法令上もそれを言ったら法律の体系が成り立たないと思います。

 見たくもない高校生とか女の子のパンツをいやおうなく見せられてしまうって、血の気がひくことあります(^^) これから大切な仕事があるのに、朝からやめてくれって!(^^;)

 女性や幼い子どもさんの写真を撮るだけで、それが「盗撮」といわれ「肖像権の侵害」と言われるようになったのは、実は最近のことなのではないでしょうか? ゆき彩♪ さん(^^)

 とりわけ女性については「男女共同参画」とかが言われはじめてから、みんながピリピリとしごく敏感になりましたね。

 でも報道関係者なら撮っても良いとか、それって基本的人権の侵害だと、わたしは思います。 報道関係者って言ってもデバガメ的な雑誌のカメラマンもいます。それは良くて「プロではない素人」は、写真を撮ってはいけないというのは、おかしいと思うんですよ(^^)


 2007-11-16


 ※画像;銀杏の葉

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「きのこハンドブック」を作りました

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 「きのこハンドブック」を作りました。

 A5版の小冊子ですが、ページ数は106ページ。厚さは1cm5mmあります。印刷はエプソンのスーパーファイン用紙を使って、製本はパンチで穴を開け、たこ糸で綴じてあります。

 内容は「きのこ分類が好きな方」向けの特殊な「マニアックなハンドブック」でして、一般の方がきのこについての基礎を勉強するための、系統だったわかりやすい冊子ではありません。

内容は、以下のとおりです。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目 次

A、きのこの分類・・・3ページ
B、きのこの数・・・3
C、きのこの「名前」・・・3
D、ハラタケ類のきのこの見分け方・・・4
菌類(きのこ)の分類・・・7
Boletes of the World(世界のいぐち)・・・25
日本産イグチ類(17属128種)・・・63
ヒナノチャワンタケモドキ属・・・67
アミガサタケ属・・・69
◎◎◎◎◎◎の樹木・・・71
日本の毒きのこ・・・79
おとなむけの こどものための・・・たのしいきのことり・・・95
きのこの本(日本の本)・・・101
きのこの本(外国の本)・・・103

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 なかでも「Boletes of the World(世界のいぐち)」は、
きのこの仲間のイグチ類の学名と日本名などを集成したもので、まったくおもしろくもない資料ですが、これだけの「Boletesの種名」を集めた文献は、世界中を探しても、きっと無いと思います。

 取り上げた文献も、日本語・英語・ドイツ語・フランス語・中国語など、112冊くらいありますが、繰り返しますけれど、もの凄いマニアックな資料です(アハハ)。 開いてもラテン語と日本語ばかりで、文字通りの備忘録的な「ハンドブック」で、まったくおもしろくありません。71ページの「樹木」は、220属、数百種の「木」の種名を紹介しています。

 こんなつまらない冊子ですが、それでももし欲しいという「ご奇特な方」がいらしたら(笑)、用紙代とインク代などで、1000円+送料をご負担いただければ、いつの日かお送りします(笑) 1冊作るのにプリントアウト→53枚を二つ折りする→穴を開ける→タコ糸で綴じる→製本テープを貼るなど40分位かかります。

 2007-11-16

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2007/11/15

ピチピチな「太もも」 若いお母さん

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 ※別な写真に替えました。理由はあとで書きますね(^^;)

 スーパーへ買い物に行った帰り、公園で遊ぶ若いお母さんと小さな娘さんを見つけて、その写真を撮った。ピチピチのジーパンで、ブーツ姿の若いお母さんだった。手作りみたいなリュックも似合っている

 なんか、格好いいよね(^^)

 これを盗撮と言われたら困ってしまう。昔からこうしたショットは、「スナップ写真」というのである(^^)

 わたしは、出で立ちには昔からまったくこだわらない。

 20年も30年も前の洋服を平気で着るし、多少破けていても気にしない。そんなことではいけないのだろうが、装いや服装に、昔から人目を気にしたことがない。

 でも、若い女性とかお母さんたちが、身だしなみに心を配って、たしなみを整えるのは本当に立派だと思うし、嬉しいことだと思う。

 私には出来ないことだ。


 ※でもお股に食い込まないのかな・・・ちょっと心配・・・(笑)

 2007-11-15 イチロ

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2007/11/14

め娘さんへ・・・。

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>イチロ 死んで良いぞ

勝手に殺すな!!!

イチロは、これからも生きていちゃいけないのかな・・・?

80歳にほど近い女性と心通わして、生きていて良かったと、久しぶりに嬉しく思ったのだった・・・。

わたしは生きることに昔から不器用で、でもこれまでなんとか生きのびてきた。

開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまっても、最後の「希望」だけは信じてきた。

※まあ、め娘と心中しても「シャレにもならない」からな!


オレはまだ生きるよ。

め娘もまた、がんばって生きろよ!

2007-11-14 イチロ

 ※ 「渋柿だけど品種は御所柿」です。
    好きなら送ろうか?

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2007/11/12

文通している彼女がいます。

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 わたしには「文通」相手が、何人かいます(^^)

 手紙のやりとりの間隔は早くて半年=6ヶ月くらいで、一年に一度ということもあります。多くが女性ですが、男性もいます。パソコンで打った字のプリントアウトを送ることもあれば、手書きもあります。

 今時のネット時代では、ほとんどの方がパソコンや携帯電話のメールで済ませるのでしょうが、手書きはまた違った味がありますよネ。

 以下に、ひとりの女友達との文通を、ちょっとご紹介したいと思います。相手の女性の名前は「△▽さん」、わたしの名前は「イチロ」に替えてあります。
 
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ★イチロ → △▽さん  平成19年10月13日

 △▽ 様

 お便り拝見したのが8月の26日、それからずいぶんと日が経ってしまいました。ご返事が遅れて、本当に申し訳ございませんでした。
 お便りいただいて本当に嬉しかったです。去年のお便りのことも思い出しました。△▽さんのお便りはいつも胸にしみます。
 いつも△▽さんのことは階段の手すりを登るたびに思い返しているのです。人が気がつかない、本当に細やかなところに配慮して頂いたこと、知っていました。それは絶対に忘れません。
 このたびは夏の○○会が終わって、でも次の○○会から・・・更にその次へと、仕事が前以上に忙しくなってしまって、ご返事が遅れてごめんなさい。最近は以前よりますます仕事が大変になってしまっているのです・・・。
 わたしは元気にしています。△▽さんも最近はいかがですか? 外で歩くことはできているのでしょうか。
 ○○新聞の原稿とか、わたしは自分の思いを書いているのですが、いつか△▽さんのことを新聞に書かせて頂きたいと思っています。今では△▽さんのように、プロとしての誇りをもってきちんとした仕事をしてくださる方は少なくなったように思います。
 懐かしいと同時に、時間の流れを感じます。
 今、新しい○○会をやっています。良かったらお越しください。招待券を同封します。歩くのが大変でしたら、お友達に差し上げてくださってもかまいません。
 いつまでも元気でいてくださいね。
 寒くなりつつありますが、数年前、△▽さんが「鍋焼きうどん」を持ってきてくれましたね。あの熱々の味を思い出します。とってもおいしかったです。できたらまた食べてみたい位です。
 とにかく、お体大切にして長生きしてください。
 またお会いできる日を楽しみにしています。

                            イチロ

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★△▽さん → イチロ 

(平成19年11月8日消印)

お便り有難うございました
お忙しいイチロさんに自分の感情むくままにペンを持ってしまったことお許しください
何をやっても否定ばかりされていた私に
イチロさんは僕はこうやった方が良いと思ふがやって見てうまくいかなかったら又考へて見ませうと譲歩した言葉をもらった時は本當にうれしかったです
やっと○○(私の職場のこと=イチロ)のすみに私の居場所ができたんだとずっとわだかまりを言葉にできず悶々とした心の中にさわやかな朝の光が見えたやうな氣がしました
今はひねくれた自分の心を恥じ後悔しております
何時もイチロさんの記事を讀ませていただく度に何か心の中に清涼感をおぼへます
お忙しいでせうが 時折はイチロさんの記事を心待ちにしております
(後略)

イチロ様        △▽

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼女は確か昭和3年生まれの78歳。わたしの職場で4年前までお掃除をしてくださっていた。元々旅館の女将で、退職してからシルバー人材センターに登録して、わたしの職場で掃除婦さんとして働いてくださっていた。しかし、一人暮らしで住んでいるマンションの風呂場で転んで足の大腿骨を骨折し、入院してしまった。

 病院にお見舞いに行くと彼女は「イチロさん、わざわざありがとうございます」と言った。わたしは「△▽さん。あなたが直るまで、別な方は頼まないで内々で掃除をしますから、早く良くなって戻ってきてくださいね」と言った。実際に代わりの人を頼まずに年度末を迎えた。

 しかし回復が思わしくなく、結局彼女の娘さんから電話があって「ご迷惑をおかけしますので、新しい方を頼んでください」ということになり、今日に至っている。この間、3人のお掃除の方が変わったけれど、△▽さんみたいなプロ意識を持った方は一人もおらず、今のお掃除おばさんは口ばかりが達者で「四角い部屋を丸く掃く」みたいな、しょうもない手抜きおばさんである。

 △▽さんは、頭を使って掃除する方だった。

 でも、△▽さんが「何をやっても否定ばかりされていた私」という感覚を持っていたなんてことは、当時まったく気がつかず、今回の手書きの手紙で初めて知りました。

 人と人との出会いは本当に「一期一会」で、いくら年上の方でもこちらが胸を開いて相手に接することで、心が開かれて、表面上だけではない心と心のお付き合いができるような気がします。

 地位があるとか、役職が上だとか、そんなことよりも、わたしもそうですがこんな何気なく生まれて、一生懸命働いていつの間にか死んでいく人達と良い関係を作って、そして文通なんかして、やがてお互い静かに死んで行く・・・・・・。

 それが人の一生だし、それで良いんだって思いました。

 2007-11-12


 ※母が漬けた「青トマトのピクルス」。材料は青トマトとタマネギ。カレー風味で、とっても美味しいのです(^^)

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2007/11/11

子どもがケンカ! 親はどうする!?

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 今日は、子どものケンカの話である。

 自分の子どもが学校とかでケンカしたとき、あなたはどう対処・対応しますか?

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 たとえば、小学校5年生の同級生同士である子ども達が休み時間の小学校でケンカをした。 

 タカ君がトシ君の頭を「ぐう」で殴った。 トシ君の頭には結構大きなたんこぶができてしまった。

 先生はその事件をまったく知らない。 

 トシ君がランドセルを背負って家に帰ると、お母さんがすぐに気がついて「あら、たんこぶじゃない? どうしたの?」と聞く。トシ君は「帰り道で転んじゃった・・・・・・」っていう。でも頭のてっぺんから転ぶことなんてできないから、お母さんが問いつめると、トシ君は「タカくんとケンカして叩かれた・・・」と白状する。

 でもトシ君のお母さんは「ふぅ・・・・・・ん・・・そうなの? よく頭をさすっときなよ」と言っただけで、夕ご飯作りを何食わぬ顔で続けている。慌ててパニックになったり、すぐ学校に電話したりすることもしない。

 お母さんには分かっているのだ・・・。

 やがて夕方・・・・・・。 

 「ピンポン・ピンポン」
 「はぁい・・・・・・」
 
 そこにはタカ君のお母さんが立っていた。

 「この度はうちのタカがトシちゃんを叩いてしまったそうで、大変申し訳ありませんでした」
  (普段から顔見知りなのだが、今日ばかりは神妙である)
 「いえいえ、うちの子もホントにやんちゃで、いつもご迷惑をおかけしています」 
 「とんでもないです。たんこぶができたそうですが、だいじょうぶですか?」 
 「ええ、さすっとけば直りますから・・・(^^)」
 「今後こんなことがないように、きつく叱っておきました」
 「あら、おかあさん大丈夫ですよ。うちの子は叩かれた位じゃ大丈夫ですから」
 「そんなことは・・・」 
 「ケンカなんてどっちが悪いとかなんてないですから」

 そのうちに

 「こら! タカ!こっちに来なさい」 とお母さんが呼ぶ。
 玄関の外でチンとしていたタカくんが、おずおずと玄関の中に入ってくる
 同時に奥で話を聞いていたトシ君も玄関に出て来た

 「トシ君に謝りなさい!」と、お母さんがタカ君の頭を上から押さえる
 「ごめんなさい」 とタカ君が神妙に謝る

 トシ君は「いいよ・・・・・・」っていう

 これで本人同士は、一件落着である(^^;)
 
 そしてタカ君のお母さんは、
 「これはほんのお詫びの気持ちですが・・・」と、近所の和菓子屋のけっこう高い、栗か何かが丸ごと入った2,500円位の菓子折をトシ君のお母さんに差し出す。トシ君のお母さんは一応遠慮するが、それを受け取ってくれる。

 これにて全て一件落着なのである(^^)

 民事は民事で、警察の手を借りるまでもなく解決するのである(笑)

 トシ君のお母さんは、きっとタカ君のお母さんが「お菓子か食用油かなんかを持って謝りに来る」ことを知っていたので、慌てずに大騒ぎにならないように放っていたのだった。たんこぶ程度では重大事件ではないという、冷静でドンと構えた判断がそこにはあった。そして、タカ君のお母さんも、息子のしたことに呆れなから、子どものケンカのげんこつの強さを思えば、ケガといっても大した大事故ではないと常識的に分かるので、自分の息子にも罰として「痛いゲンコツ」を事前にくれてから(^^;)謝りに連れて行った・・・・・・。

 「ガキのケンカ両成敗!!」

とまあ、そういう筋書きなのである。要するに二人の悪ガキに対して、双方のお母さんはお灸を据えることができて、親としては、一挙両得の好結果となった訳である。

 こういうのって、良いよねぇ・・・(^^) 違うかな???

 暗黙で分かりあえているっていうか、根本的に「誰もが間違いを起こすんだからからそれを大目に見る」っていうか「つまりお互い様!」っていうか、すぐに大袈裟に騒ぎ立てるのではなくて、相手の出方を見るだけの「気持ちのゆとり」を持てる生き方!??

 自分たちで解決できることは、自分たちで解決する。

 何でもすぐに「裁判」とかではなくて(裁判制度は当然だと思うが、それはたとえば原告としては判断を他人にゆだねるという点で重大犯罪には適しているが、ご近所や民間で解決できることは公権力にはなるべく頼らないことが大事だと思う) 自己解決!


 ※我ながら、息子たちの不祥事の謝罪に、何度「高いまんじゅう」を持って謝りに行ったことか・・・(トホホ)

 ※母が作った野菜の煮物・・・何度煮ても、この味とほっこりした食感が出せないのです(^^;)


  2007-11-11 イチロ

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2007/11/09

人の道

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 この年にして、何かひとつの糸口が見えてきているような気がする。それが何の糸口なのかさえも定かではないが、やっと何かひとつのことが分かりそうな気がするのだ。

 それは針の穴くらい細いすき間から一筋の弱い光が差し込んでいるだけで、実態はぼんやりとして分からないけれど、それはたぶん・・・・・・、

 自分が変わる、っていうことだと思う。そして、自分が変わると相手(周囲)も変わるってことだと思う。

 そして更には、論理(正論)を一方的に通すだけでは、誰も動かないということ。

 自分には何かが欠けていると認めるのはとても辛いことだが、一見理不尽にも見える相手の非難に対する反論(売り言葉に買い言葉)をやめ、我慢して我慢して「ならぬ堪忍するが堪忍」と心に刻んで唇をかみしめてみると、やがて自分にも悪いところがあったんだということがチョッピリ見えてくる。

 気がついたとき、それを相手への反論という形で「弁解する」のか。 それを自ら「受けとめる」のか。

 言い争い(議論)をして、相手を論破しようとしても、相手を納得させることなんて「絶対にできない」=「100%(99%ではなくて100%!)」って、気付く。戦争でも何でも、100%の勝利なんてことはない。

 「負けるが勝ち」ということの深い意味を思う。どちらがその後、人として大きく成長するのか? 

 わたしはちろるさんから言われるように、頑固な人間だと我ながら思う。

 肝心な場面では絶対に譲りたくないし、譲れない一線を譲ることはとうていできないけれど・・・でも、そうした責任のある仕事とかケースは別として、人の生き方=人の道として「人の心を謙虚に受け止めたい」と思う。

 新しい自分を意識し「自ら気付いて行く」というのは、スリリングでもある。 ただそれは裏側から見ると「自分を自分で制御したい」ということで、全然謙虚に人の意見を素直に聞くでも、何でもない(笑) 「三つ子の魂百まで」じゃないが、わたしはまったく変わっていないといわれても、それはいた仕方ないと思う・・・(苦笑)


 ※職場の「カエデ紅葉」


 2007-11-09

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2007/11/06

落葉松林を歩く

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 霜月の頃 落葉松林を 一人さまようのが好きだ
 私の住むところは 植林された落葉松の林が多い
 建築材にはねじれが強くヤニ抜きしないと使えない
 細かい葉はなぜか燃えにくく焚き付けにもならない

 落葉松林の落葉の中を 一人黙って歩くのが好きだ
 林の中にはたれもいないし たれにも会いたくはない
 風にそよぐ小枝や葉の他 動くものには会いたくない
 熊も イタチも キツネも 蛇も 蜂も 蜘蛛も いない 

 ふんわりと積った落ち葉が 黒い土を覆うのが好きだ
 たれも踏んでない落ち葉を踏む背徳感と言ったらない
 だからそんな落葉松林に行ってきたことは 言わない
 そこに 名もないきのこが生えていたことも言わない

 ナイショだ
 
 でも日だまりの竜胆の花に甲虫が一匹留まっていた
 今日初めて見た 動く生き物だった

 虫の名前は知らない

 一瞬 風が渡る
 
 落葉松林が突然 さんざめいて篩うように舞い落ちる
 ザンザン音をたて 地面に降り注いで一面に降り積る
 体に落ち葉の当たる音が 全部 心に染みこんでくる
 
 ああ いま一人だ 

 落ち葉舞う落葉松林を 一人ぼっちで歩くのが好きだ
 新芽を蓄え 冬に備え栄養を溜めている姿をみせない
 根付いた場所で耐え 枝を張り一言も文句を言わない
 風で傷ついた枝を ヤニで直しているなんて言わない

 落葉松の木は 何も言わず 風に吹かれている


 ※昨日の「落葉松(カラマツ)林」の 木漏れ日


  2007-11-06 イチロ

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2007/11/05

きのこのサイト(ブログ)は、間違いだらけ・・・!!(^^;)

 「きのこシリーズ第3弾」です。しつこく書いて、ゴメンなさい。

 ※きのこにご興味のない方は、スルーしてくださいませ(ペコリ)

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Photo_2
 今日、山に入ったらNaematoloma capnoides(ナエマトロマ カプノイデス)」というきのこが採れました。数年前??「クリタケモドキ」という名前がついたと聞いてはいますが、私はその文献を実際に確認していないので確かなコメントができません。勉強不足を恥じます(・・・トホホ)。青森?か東北地方の文献です。

 この「ナエマトロマ カプノイデス」というきのこは、美味しい食用きのこと言われている「クリタケ」より美味しいので、わたしは「25年以上前」から、正式な日本名がないのに食べています。とっても美味しいダシが出る1級きのこなのですが、「ニガクリタケという猛毒きのこ」と非常によく似ているため、このきのこを持ってきた方には、

 「食用になってわたしは個人的には食べますが、死者も出ているニガクリタケに似ているので、食べない方が良いです・・・」と答えることにしています(^^;)

 (なお「クリタケ」も外国の文献では毒きのこなのです。わたしは毎年食べていますが・・・)

Photo_3
 実際「ニガクリタケ」では、これまでに「何人もの死者」が出ているのです。しかも体重の少ない子どもさんの事例が多く、親の採った毒きのこで子どもが亡くなるという、なんとも悲惨な事例を引き起こしております。

 ※文章の一番上にある画像が、食用になってしかもとって美味しい「ナエマトロマ カプノイデス」、中の画像が猛毒の「ニガクリタケ」です。いずれも今日、山で撮影しました。 (下の画像は夕飯で、家族みんなたくさん食べた「カプノイデス」です。 とても美味しかったです(^^))

 この「2者の違い」が、ご覧のみなさんにはお分かりでしょうか・・・? もちろん分からなくて同然です(^^;)

 きのこは、ほとんど「写真だけでの見分けはできない」し、してはいけないのです。写真だと「△▽きのこの仲間」かな?位しか言えません。

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 わたしも、ネットできのこを検索してみることがありますが、いろんなブログで「写真+その方がつけた名前」をみると、明らかに「写真のきのこと、名前がどう見ても違うだろ!!」みたいな分かりやすい間違いが、あまりにも多すぎます(^^;)

Photo_4
 もちろん信用できるサイト(ブログ)とかも当然ありますが、それでも「ネットで、自分の採ってきたきのこを調べる」のは、基本的には「絶対にしてはいけない行為」というしかありません。何千円ものお金で書店で買った有名出版社の図鑑でさえも間違いがあるのに、ネットできのこの名前を調べて、しかもそれを元に「きのこ名を決めて食べてしまう!」なんていうのは、 「命がいくつあっても足りない自殺行為です」 ぜひお止めください・・・・・・。


 ちなみに、わたしは、まだ生きています・・・・・・(^^)


 2007-11-05 イチロ

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マジックマッシュルームは採っても食べても5年前から犯罪です!

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 下の「毒きのこに、ご用心」の記事にあった、め娘のコメントへのお答えです。

>幻覚キノコ 所謂マジックマッシュルーム。

>ミナミシビレタケとかアオゾメヒカゲタケ
>が有るそうですが、他にもあるのかな?

 「マジックマッシュルーム」と呼ばれる「幻覚性の中毒」を起こすきのこは「日本にもたくさん分布」しています。ナヨナヨしていて、バフンタケとかマグソタケと言われるような、普通絶対に食べようなんて思わないきのこです(^^;)

 モエギタケ科シビレタケ属
 ・アイセンボンタケ
 ・オオシビレタケ
 ・ヒカゲシビレタケ Psilocybe argentipes K.Yokoyama
 ・ヒメクズタケ
 ・トフンタケ

 ヒトヨタケ科ヒカゲタケ属
 ・ワライタケ
 ・ヒカゲタケ
 ・センボンサイギョウガサ
 
 ヒトヨタケ科ジンガサタケ属
 ・ジンガサタケ
 ・ツヤマグソタケ
 
などがあります。め娘の言う「ミナミシビレタケとかアオゾメヒカゲタケ」というのは、日本にも自生しているかもしれないけれど、ドラッグ先進国アメリカとかの(笑)外国の「マジックマッシュルーム」じゃないのかな?  

 麻薬きのこに関する情報として、次のようなものがあります。

平成14年5月7日付の官報(号外第92号)に、◇麻薬,向精神薬及び麻薬向精神薬原料を指定する制令の一部を改正する政令(政令第169号)(厚生労働省)
1、サイロシビン(シロシビン)、サイロシン(シロシン)を含有するきのこ類を麻薬原料植物に指定することとした。
2、麻薬原料植物の指定に伴い、政令の名称を「麻薬,麻薬原料植物,向精神薬及び麻薬向精神薬原料を指定する政令」とすることとした。
3、この政令は、公布の日から起算して30日を経過した日から施行することとした。

 (きのこを「植物」だとする官僚のバカさ加減には呆れる・・・そんな基礎知識もない人間が、法律をいじるのか!? もっと勉強しろ! たいがいにしろよ・・・!)

 つまり、マジックマッシュルームを持っているだけで、現在では(2002年6月から)「麻薬及び向精神薬取締法」に係る「麻薬、向精神薬及び麻薬向精神薬原料を指定する政令」の規定によって、1年以上10年以下の懲役または300万円以下の罰金に処せられます。どうか節度を持ってください。

1年以上10年以下の懲役または300万円以下の罰金ですよ。

 これは、きわめて重い罪です。マジックマッシュルームは、採っても・所持していても・食べても5年前から犯罪です! つまり「麻薬・覚醒剤」になってしまったのです・・・・・・(トホホ)

 「シロシンやシロシーベ」の抽出した薬剤を、使用目的で所持しているのならともかく、知らないで採ったきのこがたとえば「ヒカゲシビレタケ」でも、おまわりさんがきのこの専門家でそれを確認されたら、あなたは犯罪者です(なにそれっ!てことです!?)

 私は「バカげた法律」だと思いますが、法律は法律だしなぁ・・・。冒険するのは絶対にやめましょうネ(^^;)

  「酒」でも飲んで、くだを巻いてウップン晴らしをするのが正解です(笑)

 ※画像:昭和60年8月1日発行 横山和正 『JTBブックス カラー図鑑12 きのこ』(株)日本交通公社出版事業局 P.27掲載の「ヒカゲシビレタケ」から引用させていただきました。

 ※ヒカゲシビレタケ Psilocybe argentipes K.Yokoyama 触ると青く変色します。Psilocybeは、おおわれていない+頭(かさ)、argentipesは、銀白色の足(柄)の意味です。K.Yokoyama とあるように、横山先生が命名しました。

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2007/11/03

毒きのこに、ご用心

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 このきのこは「ハイイロシメジ(Clitocybe nebularis (Batsch : Fr.) Kummer)」といって、以前から要注意きのこである。 nebularisというのは「もや・霧・かすみ」という意味のラテン語である。

 学名の読み方は「クリトシーベ ネブラリス」である。ラテン語は死語なので、誰も読み方(発音)を知らない。日本のローマ字読みが一番本来の発音に近いと言われている。

 この時期になると、わたしの家にはきのこを持った方々が相談に訪れる。今日も仕事から帰宅すると、玄関先にこのきのこが置いてあって、家族に聞くと「近所の▽△さんが名前を教えてくれって置いていった」という。こんなのばっかしで、しょうがないけれどわざわざこちらから電話して教えてあげる。

 近所の知っているお爺さんだから「電話代くれ!とも鑑定料よこせ!」とも言えず(笑)仕方ないので電話をして「これは食べる人もいるけれど、2~3日前にも中毒した人がいるから、食べない方が良いですよ」と丁寧に教えて上げる。

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 人に鑑定結果をわざわざ無料で教えてあげて、その結果中毒したから「訴えてやる・・・!」なんて言われても割に合わないので、少しでも疑いのあるものや疑問の残るものは「食べない方が良いですよ」と教える。そして「もし食べるなら自己責任で食べてください」と念を押す。もちろん「死亡例のあるきのこ」については「絶対に食べちゃダメ!」と念を押す。

 この「ハイイロシメジ」は、ダシが出るので田舎の直売所などでも売られていることがある。茹でこぼすことである程度毒成分が抜けるので食べる人がいるが、実際にはネブラリン・レクチンという毒成分を含むので食べてはいけない。それに煮ていると、とても嫌な匂いがする。無理をしてまで食べる必要はない。

 まあ食べても「吐いたり下痢をしたりする位」で、2~3日すると回復する。死んだりはしない。

 「毒々しくないので食べられそうだ」という安易な気持ちで食べるのが、一番危険である。


 ※ハイイロシメジをネットで調べると「わたしは美味しく食べました。中毒なんてしませんでした」などというブログがあるけれど、信用してはいけません。

 ※画像 上:笠と柄。下:裏のヒダ

 2007-11-03  イチロ

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2007/11/02

日本の子どもたちのこと

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 以前から何度も書いているように、わたしは子どもが好きだ。 そして「子どもは小さくて未熟な大人」だとは思わない。

 しかし、未熟な大人でなくても「子どもというのは未熟である」ことには変わりないから、当然大人は子どもに寄りかかってはいけない。そこは大人達がキチンと支えてあげなくてはいけない。

 子ども達をめぐる環境は、日々厳しくなっていると言わざるを得ない。小中学生の子ども達を守るために、大人というかボランティアのおじいちゃん・おばあちゃん達がパトロールをしたり、親御さんが学校の送り迎えをする学校もあるという。

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 アルベール・カミュの『異邦人』という小説がある。主人公のムルソーは、言い争いになったアラビア人を射殺する。その理由をムルソーは「太陽が輝いていたから」と説明する。

 それを不可解な理由だとして「異邦人」という本のタイトルがつけられたのだろうが、今の日本では理由なく「殺される人・子ども達」が後を絶たない。不可解も何も、日常的にそのようなことが、あたりまえのように起きるような時代が今、なのである。

 「オタク」「ストーカー」も、新宿駅で「あなたは神を信じますか!」と大声で叫ぶ若者も、みんな「異邦人」だ(^^;) 世の中には整合性がなくなって、全てがシャッフルされて、アトランダムに物事が突発する。そこに「理由(わけ)」を与えることは、とっても困難である。

 しかし、そこには必ずや何らかの理由があるはずである。それが・・・・・・、

 1、科学的な理由:つまり食生活、あるいは残留農薬、環境ホルモン、大気環境等々の物理的な理由によるものなのか?

 2、歴史・文化的な理由:人類史の飽和状態から来る、ネズミが集団自殺するような? ヒトという生物が、歴史的・文化的に崩壊の時期を迎えている時期の予定現象なのか・・・。

それは分からない。

 しかし、子どもという次世代を担う、本来は十分に保護されたり守られなくてはならない世代の人間が、ナイフでいきなり殺害されたり襲われて暴行を受けたりといったことが日常的に起きている今の日本の現状は、やはりおかしいし、ひとつの「ヒト」という生物への警鐘であると思う。

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 以前にも何度か書いたが、他人の子どもでも、彼らや彼女達を抱きかかえて普通に「ハグハグ」できない世の中が間違っているとわたしは思う。おじさんが可愛い子どもを見つけて抱きかかえて「高い、高い!(^^)」ってやる姿を、その子のお母さんが隣でにっこりと笑って見ている光景が「ヒトという種」の、元々本来の自然ではないのか。

 子どもは「親と学校と地域が一体になって育てるのが望ましい」なんて、標語ばっかりで、実際に地域のおじさんが子ども達を抱きかかえると陰で「あの親父、セクハラだから要注意」なんてお母さん方から言われたら、手も足も出ない状況に、これからより深く陥っていくように思う。

 「ロリコン」という、特殊な業界用語?が、マスコミやメディア・マンガ雑誌の物見遊山な喧伝によって「異常なモノ」として蔓延したのは事実だと思う。それによって特に年上の男性が女の子に触る=抱きかかえる、頭をなでる、肩に触るといった行為でさえ、セクハラじみたニュアンスを持つようになってしまった。

 実におかしな現象であると言うしかない。

 最近「私とハグしませんか」というプラカードを持って、公園とか道端で、見知らぬ人間との「ハグハグ(抱き合い)」をすることが「流行?」しているらしいが、それはこうしたあまりに行き過ぎたプライベート感覚に対しての、カウンターパンチなのだと思う。

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 子どもにとって一番大事なのは・・・今回偉そうに言ってしまうので勘弁してほしいのだが、以下のとおりであってそれ以上でもそれ以下でもない(ペコリン)

 「君を頼りにしているよ」「君がいてくれなくちゃ困るんだ」「君はここにいて良いんだよ」 である。

 ほとんど子ども達の情緒障害とか、家庭や学校や地域でのトラブルの原因は、基本的には「親子関係」から起きていると私は思っている。親が、子ども達の存在を認められないところから問題が起こってしまっているのではないかと思う。つまり、親が子どもの存在意義を認め「この子が生まれてくれて良かった」と思える親御さんの家庭では、問題は起きない。

 嬉しいな(^^) 「いずれは総理か大臣か?」って、過分に過剰だってでも(^^)そんなに期待して思える親の子どもさんは、ストレートに育つような気がする。

 「自分を乗り越えていくのが子ども」だって思うことができないで、 「自分を超えてほしくないと思う親(ある意味で嫉妬なのだろうか?)」という複雑な感情の元で育てられた子ども達に、トラブルが起きるように思う。

 なぜかというと、私はリンゴ農家に生まれたが、東京の学校まで出してもらってこの年になって、子どもを学校に出してからやっと感謝できるようになったが、その親を、ある意味で「乗り越えたという充足感」を今持っている。それは親を卑下するとかではまったくなくて、自分の自信としての満足感であって、両親にいろんな意味で感謝する感覚である。たぶん親達が、わたしを乗り越えさせるよう、あえてハードルを低くしてくれたのかもしれない・・・。

 だから、私は自分の子ども達にも「乗り越えた感覚!」を持ってほしい。乗り越えるのに苦労するような、たいした親ではないのだが・・・・・・。

 親を乗り越えた!!って思えなくっちゃ、子どもだってやってらんないよ・・・!(笑) 過去の人間は闇に没して、次の世代が、より道を開いたって思えなくちゃ、発展はない。  

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 それは、お年寄りでもそうだ。「年寄りを早死にさせる」には、

「おじいちゃん、おばあちゃん、何もしないで良いから、私の作ったご飯を食べて長生きしてね!」という言葉=生活が、決めて!(^^;)だと思う・・・。

 「あなたには期待しません。リタイアしたんだから、どうぞ自分の好きにしてください! 楽して良いでしょ!」 そんなこと言われたら、人って生きていけないよ。

 じいちゃんばあちゃんの「知恵」をもらって、これからのこの国を良くしていこうという、プラスな考え方を若い連中も持てば、その相乗効果で「国力?(国民総生産(GNP)だか、国内総生産(GDP)だか」だって、絶対に上がるよね・・・・・・(^^)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 他人の子を抱きしめることを最近躊躇するが、思い切ってそれをやってみようかって思う。

 最近のこの日本という国は「家族」とか「個人」ばかりが尊重されて、スローガンと内容がまったく伴っていない。日本国という擬制の国家に思い入れはないけれど、この国の国土と四季には未練がある。

 子どもって「日本の宝だっていう、古めかしい考え方」って、間違っているのかな? 生まれてくる命を大事にできない社会とか生き物って、生き延びていけないよねておもうけどね・・・(^^;)

 何でもセクハラとか、3歳児を抱いたら強引にエロオヤジのレッテル張りするような、鈍感で紋切り的な感覚はやめて、国民みんなで子ども達を育てる環境ができたら、この国はもっと元気で活気のある国になると思う(^^)

 ※菊花展をやっていました。晩秋になりました(^^)


 2007-11-02  イチロ

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2007/11/01

メシの写真ばっかでゴメンなさい(^^)

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 きつねうどん

 ダシは、コンブとかつお節とシイタケ。

 うどんは冷凍うどんだけど、冷水にとって良く洗った。

 息子が学校に帰った。

  2007-11-01

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