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2007/10/29

シモフリシメジの、鶏肉ダンゴ鍋

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 息子が帰ってきて、またあさって帰るという。

 「何が食いたい?」と聞くと「あの鶏肉のダンゴの入った鍋が食べたい」という。ありがたい(笑) これで「国産牛のステーキ」なんて言われたら、困ってしまうのである(アハハ)

 でも、たぶん息子も経済事情を分かっているので、気を遣っているのだ。

 鶏肉ダンゴ鍋は、簡単にできて、カロリーは低く、でも結構ボリュームはあって、女性も安心して食べることができるヘルシー鍋である。

 以前も確か書いたと思うが、もう一度材料をご紹介しておきたい。

 1,鶏のひき肉+長ネギのみじん切り+ショウガのみじん切り+ショウガ汁+ゴマ油+醤油+片栗粉+タマゴ1個をボールでよく練る→これをお皿に伸ばして、それをスプーンですくって鍋に入れる。

 2,野菜はあるモノで、たまたまあった白菜+にんじん+もやし+長ネギ+ニラ。

 3,それと、昨日もらった天然の「シモフリシメジ」「チャナメツムタケ」を追加。

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 ちなみに「シモフリシメジ(画像)」Tricholoma portentosumチャナメツムタケ「Pholiota lubricaです。 両方とも似た毒きのこがあるので、要注意です(^^;)

後は、鍋物の要領で普通に作るだけ・・・・・・。

 鍋物というのは、この時期になると温まって良い。最後は卵を入れたおじやでしめる。


 体が温まると、心も暖まるね・・・。


 ※画像:上=鶏肉ダンゴ鍋。 下=シモフリシメジ(霜が降る遅い時期に生えるから名前がつきました)


 2007-10-29

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2007/10/28

次の電信柱まで走ろう・・・

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 昨日は、弱音を吐いてしまったが、わたしは将来の先のことをあまり考えないことにしている。10年後のことなんて考えてみてもしょうがない(^^;)

 だから、30m先の「電信柱」のことを考えてみる。

 素人マラソンで走るとき「次の電信柱までたどり着こう」と考える。遠いゴールなんて考えない。次の「たったの30m」走れたら、その時次のことを考えよう。次の電信柱まではまた「30m」

 それを繰り返していたら、途中で倒れるかもしれないけれど、もしかしたらいつか「ゴール」にたどり着けるかもしれない。

 ゴールなんてあるかないかも分からないけどね・・・。


 惠莉さん、ありがとう。 ななをさん、九龍公さん、め娘、Ichiroさん、みなさんありがとう。

 元気がでました(^^)

 ※セセリ蝶?の仲間と花

 2007-10-28

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なんだか疲れたな・・・

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 死んだりなんてしないけど、なんだかつかれちゃた(^^)

 ふと、数年前自宅で自殺してしまった、近所のお父さんのことを思い出す。5~6人いる顔見知りの息子達が可愛そうだった。

 会社が行き詰まって、自分の保険金でけりをつけようと思ったらしかった。

 ※菊の仲間

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2007/10/26

容易く生きている人と、やっと生きている人

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 容易く生きている人と、やっと生きている人

 人にはその二種類があると思う。別にそのどちらが良いとか悪いとかは思わないが、そのどちらに属するかで、人の一生は、たぶん変わる。

 ネジがゆるめか、ネジがぎっちり締まるかだ。

 わたしは、生来「たやすく生きてきた」。でも人生はいつ何時、どう転がるかは分からないもので、ある日転落した(アハハ)

 そして、それから這い登るのに四苦八苦しているのがいまの私である。

 まあ、少なくともご飯を食べることができている私にとっては、そんなことはどうでも良いのだが、そfれが「明日からご飯も食べられない」ってなったら、あなたはどうしますか?

 「私はそんなことしないから、関係ねえ!」って、切り捨てますか?

 最近思うのは、人はいつどん底に滑り落ちて、餓死するか分からない!

 ってこと・・・・・・。

 他人事じゃないよね(^^;)

 年金問題を見ていても分かるが、この国はいつからこんなに「無慈悲で冷たい国」になってしまったのだろう ?

 お腹がすいていた人が「お腹空いたのでおにぎりください」って言ったら、ご飯位上げたら良いんじゃないの? 冷凍のご飯だって、余ってるじゃんかい(^^;)。 なんでそんなことさえできないのかな?って、ボクは思うな・・・・・・。そんなこと「惜しんでどうする!」って、思うな・・・。

 人って、一人で生きてる訳じゃないって本質に、なんで、気がつかないかな・・・・・・。

 
 日本人もそんなことさえも分からないようになってしまったのかな・・・。

 勘弁して欲しいよ(^^;)

2007-10-26

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失敗した、明太子うどん・・・

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 先日の「明太子スパゲッティ」は、誰もが「美味しい!」っていってくれたけれど、今日作った「明太子うどん」「大失敗」だった。

 冷凍うどんが、40%引き「5玉で199円」と安かったので買ってきた。いつものように普通のうどんを作れば「普通に美味しいうどん」が、できたはずだった・・・。

 しかし今日はゴマ油で作る、初めての「明太子うどん」だったのだ。

 明太子と長ネギのみじん切りなどを用意して和風の味付けのためにダシなども加える。それをフライパンで軽く暖めてうどんを入れる用意をする。

 冷凍うどんが鍋の中でゆで上がった。

 その時、私はその茹で上げたうどんを、そのまま暖めたゴマ油のフライパンの中へ入れるという、初歩的なミスを犯してしまったのだった(トホホ) どうしていったん水にとってうどんを冷水で締め、更に表面の粘りを除くことをしなかったのだろう・・・・・・。それを怠ったせいで、今日の明太子うどんは、半分ドロドロになってしまった。

 とっても、悲しかった・・・。

 森田 童子の歌う『僕たちの失敗』を聞きながら書いていると、なんだかよけいに寂しくなってしまった(^^;)


 ※画像:失敗した「悲しき明太子うどん」 わたしの大失敗料理が、またひとつ増えました(泣)

  ①生臭いカマカレー

  ②青臭い生春巻き

  ③悲しき明太子うどん


   合掌 


   2007-10-26

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2007/10/25

ピンクのマイバスケット

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 よく行くスーパーマーケットで買い物をしてレジに並んだら、前の人が「ピンクの買い物用バスケット」を持っていた。そこのスーパーで使われている「通常のバスケットは緑色」だから「あれっ?」と思った。

 すると、レジの女性の方がそのピンクのバスケットに紙を貼った。すると前の女性は、そのバスケットを持ったままスーパーから出て行ってしまった。 

 (あれれのれ・・・・・・???)

 そこで何にでも興味を持つ私はレジの人に「あのピンクのバスケットって何ですか?」ときいてみた。すると「あれは、マイバスケットと言って、そのまま持ち帰りができるカゴなんです。グリーンスタンプの券1枚と、サービスカウンターで交換できます」という。

 (やった! これだ!)と、私は心の中で手を打ったのだった!

 私はスーパーで買った品を「レジ袋」に入れるのが、以前から本当に大嫌いだったのだ。その「時間の無駄」と、しかも袋だと寿司や刺身が横倒しになって見るも無惨で悲惨な状態になってしまうこともままある(^^;)

 そしてまた、家に帰ってから再びそれを袋から取りだして冷蔵庫のそれぞれの場所に入れる・・・。なんて無駄なことなんだろうと、ずっと前から思っていた。不要な段ボール箱に放り込んで持ち帰っても良いが、その段ボールがまた資源ゴミになって、行ったり来たりしなくてはならない。

 もちろんレジ袋の節約にもなるのだ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そして今日、自宅にあった「グリーンスタンプ」を1枚を握りしめて(笑)、そのスーパーに買い物に行き、さっそくサービスカウンターで「ピンクのマイバスケット」を手に入れた。それで買い物を始めたのだが、途中で気がついた。

(あれっ、このピンクのバスケットで買い物をしたらレジの時、緑のバスケットに移し替えられるから、再びピンクに移さなくちゃいけないじゃないか!?)

 どうやら正解は、ピンクのマイバスケットの上に店の緑のバスケットを重ねた状態で買い物をして、レジではピンクのバスケットに会計の終わった商品をいれてもらう、というものらしかった。

 会計が終わると、写真のように紙を貼って「会計済み」の表示としてくれる。それをそのまま持って車の座席に乗せればいいのだ。とても楽である。まあ、人によっては中身が丸見えなので敬遠する方もあろうが私は気にしない。そのまま店内にあるマクドナルドに行って、ハンバーガーを買い、それも一緒のバスケットに放り込んで持ち帰ることもできる。

 ただこれは、そのスーパーマーケットの近くに住んでいる人か「自動車で買い物に来る方」向きの道具であり、そして比較的田舎向けでもある。このバスケットを持って「山手線の満員電車」に乗るのは、私も遠慮したい(アハハ)


 ※ちなみにバスケットの中身は、冷凍さぬきうどん・合い挽き肉・かまぼこ・ちくわ・缶ビール・赤ワイン(358円)・ペットボトル・半額の白菜四つ切り・・・などである。締めて1,595円でした(^^;)

 2007/10/25

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2007/10/24

好きだった同級生 (再掲) 

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 ※  03/01/31(金)に書いた文章です。

 中学生のころ、好きな女の子がいた。

 美人顔だが気取ったところのないホッとするようなやさしい表情の子だった。
スマートなスタイルで男の子からもてていた。当時その子からピンクのハートマ
ークの年賀状をもらって舞い上がった記憶がある(以前書いた)。でもきっとそ
れは私だけに送られたものではなかった。その年賀状は友達みんなに届いたのだ
ろう。彼女には下心などはなく男の子達一人一人に心を込めて、きっとそのピン
ク色したハートマークを時間をかけて何枚も書いたのに違いない。そして受け取
った男の子みんなが、それぞれに胸をときめかせたのだ。

 その彼女に何年ぶりだろうか?。昨年の同級会で会った。不思議なもので長い
時間がたっていても、目が合った瞬間に「あれっ?○○○!?(彼女の名前)」、
「あれっ?いちろクンなのぉ!」と即座に分かってしまうのは、中学時代の同
級生ならではである。多感で不安定な時代を共有したという一体感や信頼感があ
るからであろう。

 しばし昔話を語れば、その後はお互いにリラックスしてくる。だんだん当時に
タイムスリップして行く。

 いつの間にかその頃のやさしかった彼女を思いだしていた。そして私の目の前
にいるのは昔と変わらない彼女だった。それはやさしいまなざしのせいでも柔ら
かな表情のせいでもなく、彼女の変わらない話し方と気遣いのせいだと後で気づ
いた。

 ふと彼女は ”今、幸せなんだろうな” と思った。

 彼女は中学時代の思い出を次々にしゃべり続けた。そのほとんどが私の記憶に
も残っている。同級生のよしみである(^^)。同級生というのはたぶん多くの人に
とって懐かしくそして心を許せる仲間に違いない。呼び捨てやあだ名を平気で気
兼ねなく言いあえる。たいてい同い年だから・・・。

 彼女に聞いた。

 「旦那は何やってんの?」

 「銀行員なの」
 「へえ、いい人と結婚して良かったじゃん。安定してるみたいだし」
 「ヘヘヘ・・・(^^;)」
 「どこの銀行?」
 「○○○○の○○支店にいるの」
 「もう偉くなってんだろ」
 「うん、支店長やってる」
 「へえ~!旦那さんは支店長かぁ!。すごいね。そうか、良かったね」
 「ねっ、いちろクン。○○支店ごひいきにしてね(^^)」
 「うん、お金貯まったらね(笑)。○○○(彼女の名前)もすっかりいい奥さ
  んになったな」
 「二次会は行けないからこれから帰るけど、いちろクンどうする?良かった
  ら方向同じだから送ってくよ」
 「ありがと。でも二次会あるから」
 「また会いたいね」
 「うん、そうだね」

 変わらず気持ちのやさしい彼女だった。

 この話に落ちはない。その後、銀行支店長夫人の彼女と意気投合してホテルに
直行とかいう話は・・・全くない(笑)。

 ただ、久しぶりに会えて嬉しかったのだ。

 ※ 「赤いホウキグサ」

 end

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お腹にやさしい、タマゴどんぶり

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 なんか最近、お腹の具合も、頭の具合も調子よくなくて我ながら「お疲れ気味」なのである。

 わたしは、頭の回転がよいと「体の調子も良いんだな・・・」って分かるタイプ(その逆じゃない)である。

 特にものをしゃべる(講演とかトークとか司会)の時、良い意味で「相手を呑み込める状態」=良い意味で気分的に「相手の上段に立って話ができる状態」)が、最善の状態である。調子が良くないと、相手に呑み込まれてしまって失敗する。

 文章も同じである。

 文章は一発勝負で人前で話すわけではないので、修正が効くからかなり気が楽だが、気持ちが弱っていて読者の上段に立って書けないと失敗する。

 文章も話も「自分がこの世で一番話が上手。一番の書き手!」だと思って話したり書かないと「良い文章は絶対に書けないし、話せない」。それは幻想でも、思いこみでも良いのだ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 だから料理も、肉も何も入っていない、今日のこんな「タマゴどんぶり(タマゴ+タマネギ+長ネギ+もやし+パセリ)」でも、気合いで「こんな旨いタマゴどんぶりはないで・・・!」というパワーで作れば、こんなんができるんやで・・・(^^;)

 美味しかったけど・・・、お後がよろしいようです(アハハ)。


 end

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2007/10/23

なぜ、死んだ女の子の画像を繰り返し流すのだ!!

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 兵庫県加古川市で小学校2年の女の子(7歳)が刺殺された事件のことが、胸に刺さって抜けない。

 「・・・の葬儀が19日、加古川市内の斎場でしめやかに営まれた。降りしきる雨の中、親族をはじめ○○ちゃんと親しかった同級生やその母親、近隣住民ら約100人が参列。○○ちゃんの棺に手を合わせ、最後の別れに涙を流した。」 (10月19日16時11分配信 産経新聞)

 なぜ? どうして? 彼女が殺されなくてはならなかったのか? 家族や親族の皆さんだけでなく、学校の同級生や先生方も、その理由が分からないだけに、気持ちの持って行き場がないのも良くわかる。

 たとえば同級生は今7歳だから、これから80まで生きるとして、これからの「73年間」この思いを背負って、彼女や彼らは生きて行かなくてはならないのである。


 それにしても、今日書きたかったのは、マスコミという連中あるいは業界の連中の感性のことである。

 その女の子の名前を、テレビなどで繰り返し発言するだけでなく、過去の入学式の時の画像を手に入れて、並んで歩いている子ども達の中で、その女の子の部分だけを鮮明に写して、他の子ども達の部分にはぼかしを入れて報道している。

 わたしは、本当に胸がつぶれそうになった。

 それを見た家族や親族はどう思うのだろうか・・・!。タダでさえ自分の大切な娘が自宅の玄関前で無惨な形で殺されて、その犯人も捕まっていない。そんな中で、マスコミは娘さんが生きていた当時の元気な姿を「映像」として繰り返し報道する。

 「事件や事故という、人の不幸を仕事の題材にする」あるいは、根本的に「人の死(殺人事件など)をネタにして、お金を得る」という、そんな本質がマスコミや報道業界に、昔からどうしてもある。

 だからそんな業界には、弁護士や検事レベルの高い「倫理意識」が本当は必要なのだろうが、そんな人はいるのかいないのか・・・?というくらい、デバガメ体質が蔓延している。

 亡くなってしまった(殺されてしまった)被害者が毎日毎日、画像(映像)として報道されるということは「殺されたあと、何回も人権を蹂躙されるということと同じ」ではないかと、わたしには思える。

 殺された子どもさんを、画像として繰り返し放送する必要は実はまったくない。 

 そんなテレビを遺族のみなさんが毎回見るとは思えないが・・・、あまりにも無神経で無責任で、マスコミの中のその分野は「ユスリ・タカリ」とたいして変わらない。

 報道に携わる人間は、自分の娘が殺されたらどう思うかって振り替えって、そして自らがその立場になったらどう思うかってことをいつでも自省して、研ぎすまされたプライドを持って、仕事をしてほしい。


 end

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2007/10/22

明太子スパゲティが今、できたよぉ・・・・・・(^^)

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 自慢でもないけど、今日「明太子スパゲッティ」が、上手にできたんだよぉ・・・(ニコニコ)

 やっぱり「明太子スパゲッティ」のコツは、火をつけたレンジで和えたらダメなんだね(^^;)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 おいしい博多の明太子を送ってもらったので、娘も好きな「明太子スパゲッティ」を今日作った。

 まず、シソの葉(大葉)を刻む。そして、塩をたっぷり入れた鍋でパスタをゆでているあいだに、フライパンにオリーブオイルをたっぷり入れて、ニンニクを焦げないように炒める。その間に焼き海苔をチンしてパリパリにする。

 さばいた明太子を用意する。

 フライパンのオリーブオイルとニンニクを暖める位にしておいて、火を止めて、そこにゆでたパスタをそのまま入れる。今回胡椒はなし。上から刻んだシソの葉とほぐした明太子をたっぷり乗せて混ぜる。マヨネーズをチョッピリ入れてみたりする。

 お皿に盛って、最後に生の明太子を乗せてシソをふり、最後に海苔の細切りを振る。

 どうぞ、召し上がれ・・・。

 自分で食べても美味しかったよ(^^)

 end

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2007/10/21

亀田大毅のトホホと、「子どもの権利条約」

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 1,亀田大毅 問題

 2007年10月11日、世界ボクシング(WBC)フライ級タイトルマッチで、チャンピオンの内藤大助選手(33歳)を持ち上げて投げ飛ばすなどの反則プレーを繰り返した亀田大毅さん(18歳)に対して、日本ボクシングコミッション(JBC)は10月15日「ボクシングを冒涜し、ファンの信頼を損ねた」などとしてして一年間のライセンス停止処分を科すことを決めた。

 その後、

「一年間の出場停止処分を受けた亀田大毅選手(18)=協栄=が十七日、父の史郎トレーナー(42)とともに東京都内の日本ボクシングコミッション(JBC)事務局で試合後初めて記者会見した。しかし、頭を丸刈りにした大毅選手は無言を貫き、精神的に参っている状態との理由で、二分ほどで会場を後にした。チャンピオンの内藤大助選手(33)=宮田=へ明確な謝罪はなかった。」『中日新聞』2007年10月18日 朝刊

 こうした一連の報道を読んだり聞いたりしていて、まず思ったのは「亀田一家トホホ」ではなく、 「日本ってトホホ」といいう気分だった。

 日本って親の言うことを良く聞く子ばっかりで、それが「よい子」みたいに思われているけど「あんなクソ親父に育てられると息子(子ども)って、こんな体たらくになるんだなあ・・・」という、半分哀れみにも半分は溜息になる切ない気分に襲われた。

 わたしはボクシングファンではないけれど・・・・・・、だってさ、亀田大毅選手って「父親である史郎さんの慰みもの」だったんじゃないかな?って位の想像は、一般常識的な心理学の知識があればできる。要するに「18歳の大毅くんには『自我』が育っていなかった」ってことだ。

 無頼でデタラメな父親史郎氏のやれと言うことを信じてその通り生きてきた。その結果反則負けして、ペナルティーを食って、普通の18歳なら泣いてでも「ゴメンなさい」と言うべき所、それさえも言えない状況に父や周囲からがんじがらめになって、2分足らずで無言で退席してしまった。

 まったく日本人の18歳だと思った。本当に「トホホな会見」で、何のために開いたのかも分からなければ、開かなければ良かったような気もする位だ。

 そんな亀田大毅選手に対して、テレビのワイドショー番組のキャスターやコメンテーター達の中には「18歳の未成年なんだからしょうがない」という発言をする人も多かった。

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 2,児童の権利条約(「子どもの権利条約」)

 外務省のホームページを見ていただくと分かるが、この条約の日本名は「児童の権利条約」である。

 「児童の権利条約(児童の権利に関する条約)」
 児童の権利条約は、18歳未満を「児童」と定義し、国際人権規約において定められている権利を児童について敷衍し、児童の人権の尊重及び確保の観点から必要となる詳細かつ具体的な事項を規定したものです。1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効しました。日本は1994年に批准しました。」(外務省HP)

  (※ 「敷衍」なんて言葉、省庁のホームページで使うか!? 官僚もいい加減にしろよ! )

 私は、この条約を日本国が批准する前に、英語の原文を手に入れたが、その条約のタイトルは、

 「CONVENSION ON THE RIGHTS OF THE CHILD」 である。

 100人が100人、どう訳しても「子どもの権利条約」である。「児童」なんて言葉をわざわざ使う必要はまったくない。いかにも「官僚が考えそうな・・・」というのは、つまり日本の言葉の使い方では、「児童」とすると「小学生」のこととなり「生徒」である中学生や高校生にこの「条約に対する問題意識が起きにくいようにしたいという姑息な命名」としか言いようがない・・・・・・(これもトホホだ)。

 先の外務省のホームページからの引用にもあるが、日本国はこの条約を「1994年に批准」している。しかしそれは、

 「世界各国では百二十七国が批准し、その実施状況をすでに国連人権委員会に報告する国まで出はじめている。しかし日本は、いまだに批准していない。ついに先進国と言われる国ではもっとも批准が遅れている国となった。」 (永井憲一「審議始まる「児童の権利条約」 「子ども・・・」とすべき訳名」『朝日新聞』1993年4月11日号)

 なんと、日本国はその当時でも127カ国が批准し、世界の先進国のほとんどが批准している中で、この条約を批准をしなかったのである。その理由は明確ではないが、私が想像するに「日本的な家族制度や社会規範」と、この条約の先進的な内容が、あまりも乖離していたためではないかと思う。

 この「子どもの権利条約」「子ども」はいったい何歳なのか皆さんはご存じだろうか。まあ、上の引用の中に、すでに書かれてしまってはいるが・・・・・・。

 ・・・・・・はい正解です(^^)

 「第1条」
 「この条約の適用上、児童とは、18歳未満のすべての者をいう。ただし、当該児童で、その者に適用される法律によりより早く成年に達したものを除く。 」

 英文の原本では、

 「Article 1」 
 「For the purposes of the present Convention a child means every human being below the age ob 18 years unless, under the law applicable to the child, majority is attained earlier.」

である。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 3,亀田大毅問題と児童の権利条約=「子どもの権利条約」の接点

 もうみなさんにはお分かりでしょうが、この児童の権利条約=「子どもの権利条約」 の批准が遅れた日本の体制と、マスコミの「亀田大毅は18歳の『未成年』なんだからしょうがない」という発言、そして「18歳を未成年にして無知のまま置いておきたい日本という国の愚民政策」、そして日本の伝統文化でもある「親の言うことを聞くよい子」という歴史的・文化的な相乗効果がもたらしたひとつのメディア的な賜が、「亀田大毅選手」ではないのか・・・・・・という、ひとつの仮説である。

 世界各国を見ると「18歳で選挙権を認めている国は113カ国」ある(1990年データ)のだが、日本の保守的な自己保身に命がけな官僚達は、若者のパワーとか、革新的な思想信条が自分たちを脅かすことを嫌って「成年20歳」という、従来の年にこだわったのだろう。

 今後に残された課題は「亀田大毅選手」「親離れ」できるかどうかということである。「史郎」という親父さんの更正は、まずもって期待できないから(笑)、如何に父親の呪縛を断ち切るかが「亀田大毅選手」の、文字通りの正念場になると、私は信じて疑わない。

 最後になるが「子どもの権利条約」の日本語版を、みなさんは読んだことがあるだろうか? 

 はっきり言って、スゴイ条約である!

 日本の国内法なんてチョー飛び越えて(笑)、子ども達(18歳未満)の権利に踏み込んでいる。今日は長くなりすぎたので内容まで紹介することはできないが、ネットで検索していただくと「ユニセフ(国連児童基金)のHP」があるので、どうかそこで斜め読みしてほしい。きっとビックリすると思う。20年になんなんとする以前に、このような条約が作られていたのだ。

 もっと、この条約を私は「この日本をこれから背負って立つ子ども達」が読んで理解して自立する中で「世界のために生きてほしい」と、願わずにはいられない・・・。

 そして「18歳はもう大人」だって私も含めた日本人はもういい加減に気が付くべきだろうな・・・・・・。だから「18歳」で大人だっていう自覚を持てる子ども達を育て上げられない親は「母親・父親失格ぅ・・・」っていう事に、なる・・・(^^;)

 ガンバってね(^^;)


 (英文は自分でタイプしたので、スペルのミスがあったら教えてください)


 ※モミジの紅葉

 end


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2007/10/20

自分の意見を言って悪いか!?

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 わたしは、自分勝手な意見を正直に言ってみては、これまで不利益な処遇を受けてきた(トホホ)

 それは自業自得であって、もちろん、たれに文句を言おうとも思わない。

 閑話休題

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 しかし人は、誰もが「自分の頭でとことん考えた事を、自分の選んだ場所で、自分が思うがままに発言する」こと位は当たり前のことで、あえて分かりにくく言うなら、それは「基本的人権」である。それを止めることは、たれにもできない。

 「生理食塩水」を飲んだことが、君はあるだろうか?

 確か「1リットルの水に食塩 9gくらい」を溶かした塩水である。 塩が小さじ何杯か計算しないと分からないけれど、人の体の中にある体液と同じ浸透圧の生理食塩水を保水されるだけで、アフリカの黒人の子ども達連中が助かるのだという。さらにそこに「砂糖」を入れる。何度か作って飲んだけれどとってもまずい水だった。でも「たかが下痢で死ぬ」なんて日本では考えられないが、それだけで助かる命が確かにあるのだ。こんなまずい食塩水だけで数百万人子どもが助かるのだという・・・。

 理由ははっきりしないが、下痢の予防になるのだろうか。


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 こうしたことを含め、この国の日本人は、私が今書いたような意見を嫌うのだ。

 子どものことになるのに、どうしてかなって?首をかしげたくなる。

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 自分の意志で、自分の力で生きて行こうとする人間達を規制したり慰留して、一律な国家をこの日本国は作ろうとしているのかもしれないけれど、でもそれはちょっと違うと思う。

 街角で聞くインタビューの話を民放などで聞くと、おじちゃんもおばちゃんもねえちゃんも(^^;)、テレビ受けを狙ってる。日本人の良いところだけど、もっと「自分の頭で考えた本音」を言っていいんぢゃないかな?

 自分もそんなところがあるから気をつけているけど、日本人って「究極のバカ」かも???

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 日本人にはこだわらないけど、日本というひっくるめの国土?にはどうしたってやっぱりこだわる。だって、この国が好きなんだよ(^^)

 だから、やっぱり言いたい本音を言わなくちゃいけないな。ストレスが溜まっちゃうしね。


 ※クサボケ(じなし)が漬かった画:東京の学校に行っていた時、母が送ってくれたのと同じに作ったつもりなのに、100点満点で、3点だ(トホホ)。

 end

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疲れたけど、悪いか!

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 今日も疲れたわ! 悪いか!?(^^;)

 わたしは生来自分勝手な性格なので、自分の思うように仕事ができないとペースが狂ってしっちゃかめっちゃかになる。言われたことだけをやるのではなく、全てを頭の中でシミュレーションして、ひとつの有機体みたいに落ち度がないよう組み立て上げる。

 だからそこに外部からのチャチャが入って、一部分だけでも変えられると全てが狂ってしまう。こうなるともう「ガタガタ」である。あまり注文が多いと、いくら施主の依頼でも「今日は、帰らしていただきやす」といって職場放棄する職人さんみたいなものである。

 「だってさ、やってらんねえよ!」


 つまり、言い換えると「もろい性格」なのである・・・。

 しかも二つ以上のことを同時に頼まれると、わたしはパニックを起こす(^^;) 「イチロにモノを頼む時は一個ずつにしろ!」というのが鉄則(アハハ)

 今日的な競争社会では生きていけないタイプの典型だなって、溜息をつきながらも自覚する。
 
 あと二日間、まだ仕事だなぁ・・・。

 あーあ!!

 やりたようにやらせてもらって、その結果を見て評価してくれんないかな。ダメだったらクビでも良いからさ・・・。


 たぶん今時、流行んねえんだよな、こんな生き方ってさ・・・・・・


 ※画像:クサボケ(ジナシ)
      薄切りにして蜂蜜に漬けるとノド荒れに効いて、リラックス効果もあります。


 end

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2007/10/16

タカノツメの赤という強さ

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 唐辛子のタカノツメの花は白いが、その実は緑からやがて熟し、赤くそして辛くなる。

 白い花が熟して、赤くなり、辛みを帯びる。

 人は年をとると「赤」を好むようになるらしい。

 年をとると派手好みになるというのは事実だ。

 若い頃は「赤」という強い色を使いこなせない。だから、地味な色をオドオドとして使う。しかし齢を重ねると「赤」という強い色を使えるようになる。

 タカノツメという唐辛子の「赤」は、そんな強い赤である。


 だがタカノツメはただ辛いだけでなく、甘みもある・・・・・・。

 END

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2007/10/15

やさしいって罪かな?

 唐辛子の「タカノツメの花」である。細くて白い花弁の花だが、これが赤くてとても辛い唐辛子になる。

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 最近悩んでいる事がある。

 やさしくするって罪かな?

 わたしは気が強くないから、たぶん人に優しいって思う。でもそれって本当は人のためにならないのかもしれないんだ。そのことで逆に、その彼らや彼女達を傷つけてしまっているのかもしれない。

 わたしはやさしくして、結果感謝されて自己満足したいとは思わないけれど、でも、辛く当たって悲しませようとも思わない。

 白い花を咲かせる唐辛子が、赤い実になる。

 やさしいってことが、赤く怒った色になるならちょっと残念だけど、でも、赤くなっても良いよね(^^)

 やさしいって、安易とか昔から責められるけど、


 やさしいってことは、本当に罪なのかな・・・?(^^)

 end

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2007/10/14

「都会の連中」はバカばっかり! トリカブトとかのこと・・・。

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 わたしの住まう場所には、毒のあるものがたくさんある。ドクツルタケ・タマゴテングタケ・植物ではトリカブト、動物ではマムシとかオオスズメバチとかなど、食べたり襲われたら命を落とすものがたくさん自生している。

 日常的にそうした植物やきのこと接しているが、それを駆除してほしいとはまったく思わない。なぜなら、彼らは自ら人間に対して害毒を及ぼすわけでもないし、スズメバチもマムシもむやみに人間を一方的に襲うわけではないのだ。

 以前トリカブト殺人事件があって、トリカブトが悪者にされたことがあった。トリカブトにはいろいろな種があってそのどれもが猛毒を持っている。葉、茎、とりわけ根茎といわれる根っこには、猛毒成分が強く、食べると死に至る。

 でも、それは食べた人間が悪いのである。

 そこの所を勘違いして、毒があるものを駆除しようとしてはいけない。逆にその毒が「薬」になることもある。

 トリカブトはきれいな花を咲かせる。

 都会の連中は植物とか虫とかのことに知識が少ないから、スズメバチの巣があると、それを「駆除して!」と、区役所や市役所に抗議に赴く。そんなの「虫たちの勝手だろ!」ってわたしは思うが、「毒のある生き物を放置するのは行政の怠慢!」のようにお町(都会)の人達は思うらしい。

 「バッカじゃないの(苦笑)!!」 あんたのために、みんな生きてんじゃないんだよ!

※ヤマトリカブトの花

END

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2007/10/13

きのこ採りに行ってきました

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 腰の重いわたしですが、きのうはきのこ採りに一人で行ってきました。

 30分ほど車で走って、山に入りました。

 ここに来ていろんなきのこが生えはじめたのでしょうか?

 画像は採ったきのこの一部ですが、上の段、左から「ホテイシメジ・ハナイグチ(じこぼう)・黄色い実はきのこではないけどクサボケ(地元ではジナシ)、次のまん中の段は、横になったカラカサタケ、下の段の左の黄色いのはカベンタケ(花弁茸)右の5個は、サケツバタケです。

 全部食用で、昨日食べました。

 無事でした・・・(アハハ)

 きのこの鑑定をしているのに、自分が間違ったら、シャレにならないですよね・・・(^^;)

 ※ちなみにジナシ(クサボケ)は蜂蜜漬けにしました。

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2007/10/12

絵は描けないが、文章は書ける・・・

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 人には、与えられた「素質とか資質」というのが、きっと運命的にあるんだろうね。

 わたしは絵を描くのは苦手だが、文章はたとえ下手でも、毎日だって綴ることができる。

 俳句→短歌→詩(ポエム)→散文→随筆→小説→写真(画像)→動画

ってな感じがあるのではないか?

 つまり後に行くほど、安易で楽って事だけど・・・・・・。叱られるかなぁ・・・(笑)  ポエムが一番難しいとも思ったりもするなぁ・・・。

「小説」の位置がちょっとおかしいけど、ダラダラ書いたら小説になるって・・・ね(アハハハ)

 絵には「水彩画」「油絵」「日本画」「水墨画」とかいろいろあったり、色も自由に使えるが、文章は規定の言語以外で書くことはできないという制限がある。文章に色はないからその分難しいはずだ。そんな限られた中で綴るという行為は、結構シビアである。

 油絵は、絵の具とキャンバス(カンバス・あるいは板)と油と専用の筆がないと描けないけれど、文章は記憶でも書けるし「削ったトンボか三菱の鉛筆1本」があれば、文字はいつでも書ける。

 絵は直裁に心に届くが、文章は、過程を経て最後まで読まないとその意味も分からないし、その善し悪しの判断もできない。

 そんな風に考えると「文」とか「文章」ってすごい世界だと思う。

 色もないのに、読者に色彩さえも想像させる世界を、表現できる。

 それは、ヘアヌード写真(画像)のインパクトと、裏腹な空しさと一緒である。アソコのオケケとか、ついに「中身(アハハ)」まで見せてしまったら、その後がないよね・・・。

 それを見せないで「暗示」と「想像力」をかき立てる、文章というものの力強さを思うな・・・・・・。 「見えそうで見せないストリッパー」みたいなものだ。

 画像・映像は否応なく現実を共感させやすいが、文章は何通りにも想像力を喚起するという、その違いだろう。

 そんな文字というか「文章」というか「活字」の力を、わたしはこれからも信じていきたいと思う。

 ※「オオデマリ」の紅葉。きれいなものは、確かにいつでもきれいだ。

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2007/10/11

心が弱くなる時

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 人は誰しも、心が細く弱くなり、ボロボロになってしまう時がある。

 こんな鈍感そうに見えるわたしでも、夜になって切ない歌を聴くと涙がこぼれることもある。ティッシュが山のようになることもある (でもわたしは、翌日それをふたたび乾かして使うのだが・・・アハハ)

 でもそれはわたしにとってのストレス解消なのである。弱音を吐いてこうした文章を綴って、それを読んでくださる皆さんに同情して頂いたり、無理矢理読んでもらって、ストレス解消をさせてもらっている。それに付き合ってくださる方が何人もいてくださる。本当に、本当にありがたいことである・・・(ペコリ)

 何もかもを跳ね返すような強い人間は、この世にはいないとわたしは思っている。歴史上、どんなに権力を持って、数百万人を虐殺してきた人間でも、自分の胸元に刃が突きつけられたら「命乞い」をする。それが愚かにも人間だと思う。

 ヒトは「生もの」だから、そんな感情の起伏があって当然である。そんな時「甘えるんじゃネエよ!ボケ!」と拒否されるのか、それとも「そんな甘えを黙って寛容に受けとめてくれる人がいる」のかの違いで、その後の彼や彼女の未来もまた、決まってしまうこともあるのかもしれない。

 tomさんの書いたことにも通ずると思うが、本意として「人にやさしくできない人は、人からやさしくされたことがない人」だと思う。 「抱きしめられて育てられた人は人を抱きしめて育てることができる」 でもそれを反面教師として、大切な人にやさしくできる人がいることも事実なので、一概に決めつけることは、もちろんできない。

 やさしく抱きしめられなかったことは不幸なことだ。やさしくされたことがないと、人を励ましたくても、どうやさしく慰めたらいいのかが分からないので、ぶっきらぼうになってしまうかもしれない。でも、真摯であったなら、その思いは必ずや通じると思う。

 そんな、誠意を分からない相手だったら、そんな人間とは争わず、即座に決別するが良い。そんな人間は付き合う価値がない。

 価値のない人間と付き合うと、あなたが汚れてしまう。

 仕事で、何人もの20代の連中と付き合ってきたが、彼ら彼女達にいつも言ってきた事は「自分を大事にしなよ!」ということだ。まず、とにかく自分の事を第一に考えろ!ということ。

  「自分を大切にしない人間は、人も大切にできないし、自分の身の回りを最初にまず完全に整えることで、初めて人への貢献とか思い遣りも実現できる」んだって・・・こと。


 ※半分の月

 END

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2007/10/10

賛美歌第320番  『主よみもとに近づかん』

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 先ほどテレビを見ていたら、この曲が流れていた。

 アニメ 『フランダースの犬』の最終回の最後に、ネロと愛犬パトラッシュが、共に天国に召されていく時に流れていた曲だったのだ。別などこかで聴いた曲だった。

 思わず涙がこぼれた。

 番組でそれが「賛美歌第320番 『主よみもとに近づかん』」だと知った。
 
 ネットで検索して、MIDIで聞いてみて思い出した。映画『タイタニック』で、沈むタイタニック号と共に、演奏家達(弦楽四重奏だっただろうか)が、最後まで弾き続けた曲だった。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/sanbika/sound/syuyom_k.htm

 宗教がどうとか、思想信条がどうとかは別にして、絵画や音楽はそれだけで人の心に波を立てる。

 それに感動できた自分を祝福したいと思う。私の心は、まだ乾いて固く萎縮してはいないのだと・・・。

 美しい夕焼け空を見て「ああきれいだなあ」と思い、「清楚な女性を見てキスしたいなと思う」

 実行するわけではないが、どんな年になってもそんな心の揺らぎ(動揺)がある限り、人は若さを失わないと思う。

 心が震えず、波立たなくなったら、この世に生きながらえる価値がないような気が、私はする。


 ※タカノツメと、しましまの美しい米ナスと、ズッキーニ(きれいでしょ)

 END

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2007/10/09

「淫行」=みだらなことをしては、いけないのか!?

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 先日、北海道の小学校の教頭さんが「児童買春・ポルノ禁止法違反の容疑で逮捕」されたという。

 それを聞いた私が思ったのは「お互い納得して、合意の上での未成年者や生徒さんとのエッチなら良いけど、この教頭はまずいよな!」っていうものだった。

 でも、雑誌への投稿で1800万円も投稿で稼いでいたんじゃ、シャレにもならないし、弁解もできないよね(^^;) 教師なら、それなりの安定した収入が保証されていたはずなのにね。

 「淫行」という言葉は、微妙なニュアンスである。何がみだらな行為でなにがやって良い公認の行為なのかの境目はないのである。男と女でも、男と男でも、女と女でも良いが「淫らな行為」かどうかを「メディアや社会が決める」のはいかがかと思う。

 好きあった相手なら、いくら淫らな行為をしてもそれは「淫行」とは言われない。

 することの行為自体は「淫行」でも「合意の上のエッチ(SEX)」でも、やることは変わらない(^^;) でも、場と状況によって二つに分かれる。

 教頭さんのやった行為は、社会通念上間違いと言われるが、でも「お金の欲しい女の子」と、完全な合意の上で事に及んだ(写真撮影とかSEXとか)のだとすれば、彼が結婚していたとすれば社会的には「不倫」になるが、そこで、彼は誰も傷つけてはいない・・・・・・。彼の相手をした女の子達が傷ついているとは、私には思えないのだ・・・・・・。

 そんなふうに考えてしまう私の率直な認識は、間違いなのだろうか?

 この生物界(動物界)において、男と女・雄と雌・プラスとマイナスがあって、そのあいだで「交接(SEX)」が行われるのは、種の生存のための戦略であって、それを否定したら命の連鎖が繋がらないという意味で、男と女のエッチは究極に否定することはできない。セックスに喜びが伴うのは、快感があるからまたエッチしたいって思うから子どもたちが生まれるのである。

 女性のパンツ(パンティ)が大好きで、買ったりもらったりして、部屋の中で頭にかぶって悦に入って快感を感じることを私は否定しない。それは人としての限界内にある。しかし夜中に他人の家に忍び込んで、パンティやブラジャーを盗むと、それは「窃盗罪」になる。

 なお、念のため書いておくが、私にはそのような趣味はない・・・(笑)

 いくら幼くて未成年でも、自分の意志で「エッチがしたい!」と思う女の子(女性)、あるいは男がいて、お互いの合意の上でエッチをするなら、それは「法律や市区町村の条例」などで縛るべきではない、と私は思う。それは年齢を問わず「基本的人権」の問題である。

 合意の上での「淫行」をいっぱいやってもらわないと、私の愛するこの「日本という瑞穂の国」もまた、近いうちに滅びることだろう。

 ※今日の夕飯:「ラタトゥイユとチーズのスパゲッティ」です。

end

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チョウセンゴミシを35度の焼酎に漬けました。

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今日は、真菌類鑑定会の2日目でした。

 ひがな1日、山でとった菌類を持って鑑定にやってくる方で賑わいました。

 食べられるきのこもあれば「1本食べただけで必ず死ぬ!」という猛毒のきのこもあります。顕微鏡で胞子を観察しないと名前がつかないきのこも多いのですが、一方見ただけで簡単に名前が分かるきのこもあります。

 そうした皆さんから放たれる言葉の中で「一番多い意味不明な言葉」は何だと思いますか?

 私が、

 「このきのこの名前は分かりません。」と言います。

 (きのこの仲間は現在では、大きく括って「約2500種類に名前がついています」が、それ以外の2倍から3倍のきのこには今でも名前がついていないのです。つまり未だに名前がついていないきのこが「5000~7500種類」もあるという計算になります)

 するときのこ鑑定にやってきた皆さんはガッカリした口調で「じゃあ、このきのこは毒ですね」と言うのです(笑)

 これって、おかしいでしょ・・・・・・(アハハ)

 わたしは、サイエンスは単なるひとつの学問分野に過ぎず、それを絶対視するような、以前から根強くある風潮には大きな疑問を抱いています。科学の上には哲学がなくてはいけないと常日頃思っています。でも「科学的な物の見方考え方(思考方法あるいはスタイル)」は、近代以降、人という無知蒙昧で、迷信を信じやすく、容易くエセ宗教に騙されやすく、煽動に弱い人間にとって、科学(サイエンス)というのが、マリア様の救いの手のように人を導いたことは否定しない。

 話はズレるが、わたしは今日の日本人ほど物事を科学的かつ冷静に見て判断できる連中はいないと思っている。それはもちろん、人種としての日本人という意味ではなく、もっと曖昧なひとつの括りではあるのだが・・・。

 話を戻す。

 「じゃあ、このきのこは毒ですね」の話である。

 そのきのこが毒か食べられるかは「種名」が確定しないと答えはできない。だからわたしが「このきのこは名前が分かりません」と言った時点で、当然そのきのこは当然「毒か食べられるかも分からない(食毒も不明)」なのである。そこんところを私としては即座に分かって欲しいのだが、しかし相談に来た方達の多くの方々は、それをいやおうなく「毒きのこ」にしてしまう。その飛躍が私は怖い(^^;) 冷静沈着で論理的な日本人も、きのこ(=食=しょく=食い物)のことになると、理性を失うらしい。

 こうした思考過程は、科学的な筋道とはまったく異なり、ハッキリ間違った論理課程である。

 でも、それが普通に人生を生きて、毎日の飯を苦労しながら食って生きてきた人間の「性(さが)」なんだな・・・とも思う。もちろんそんな在り方を、責めることは私にはできない。迷信を信じる人間を愚かだと嗤うことはできない。

 でも毎年、そういった姿を目の当たりにして、こうした指摘をいつもしてきた。それはとても偉そうな言い方になるけれど・・・、きのこを通して「日本に住む人達の民度がもっと高くなって欲しい」という密かな願いを持っているからだ。 「偉そうな発言をする前に、イチロの『低レベルな民度』を上げた方が良いんじゃないのか???!!!」と言われるだろうが、

 でも最後に「名前が分からないきのこだから食べられるか毒かも分からないんですよ・・・!ご理解くださいね。」というと、たいていの人は「あっ、そうか!」と、その時点では分かってくれる。

 この国も捨てたものではない・・・。

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 まあそんなんで・・・、鑑定が終わり暗くなりつつある中、野菜を少しと、珍しく「チョセンゴミシ」という野生の果実を売っていたので買ってきた。こいつは、本当に不思議な木で、学名にはチャイナ=中国という名前がついていて(画像のラベル)、でも標準和名は「朝鮮」で、でも日本に自生しているという3カ国にまたがった妙な赤い実である。

 思うに、果実酒にして一番美味しいのはこの「チョウセンゴミシ酒」を置いて他にないと、私は思っている。10年位前一度現場で作ってみんなで飲んで舌を巻いた覚えがある。

 今日漬けたから、漬かった頃合いが実に楽しみである。何日かすると35度の焼酎の色が、ピンクか赤い色になって、まだまだ若いが飲めるようになる。半年位すると熟成するというが、それまで待てるだろうか?

※チョウセンゴミシの果実酒:(上は、今日漬けたばかりビン、下はチョウセンゴミシの果実、緑色したのは「不稔果」です)

end

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2007/10/08

自分の性格、知ってますか?

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 自分の性格って人間社会で生きていくのに「良いか?悪いか?」って、一番把握しにくいものだと思う。だって誰しもが自分がこの世の中で一番「常識で正しい」と、絶対的に信じて育ってきたから・・・(笑)

 私は、家族からは「変わってる!」って言われ続けてきたけれど、ずっとそれを認めることができなかった(^^;)

 でも、最近になって我ながら「人への気遣いとか心配りが欠けている」という点で「変わっている」ということが理解できてきた。「事実を指摘したり、本当のことを言ってはいけない、追求してもいけないという思い遣り」を持つことが、私はこれまで出来なかったのだった。

 つまりふくよかな女性に対して「あなたは、太っていますね!」と正直に言ってしまうことが、いかに間違った発言なのか一向に理解できないという意味で、私は「たぶん変人」なのである。

 こんな例も上げてみよう。20年以上前のこと、業界の先輩が「痔(ぢ)」が悪化してしまい、その手術のため入院した。その直後に行われたとある会議で、司会の私は「○○さんは『痔の手術』で入院してしまったので欠席です」とみんなの前で彼の病名をバラしてしまった(笑) 今ならこんなへまはやらないが、その当時は下半身のこともおかまいがなかった。

 なぜならそれは、確信犯であって「痔という病気(疾患)」が決して恥ずかしいものではないという認識が私にはあったからだ。しかし、自分は良いが、そこには言われた側(相手・他者)に対する「心配り」がまったく欠如していた事は否めない。

 かように「私は勝手で自己中心的」なのであった・・・。

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 しかし「事実を事実として認める」という意味で、私はいまだに根本的には反省をしていない(笑) 「痔」だってれっきとした病気であって、お尻の疾患だからといって別に恥ずかしがることはないと、私は考えてしまう。

 こんな性格は世間を無難に渡って行くには、ハッキリ言って「マイナス」以外の何者でもない。損の多い生き方である。だから普通の賢い方は、こんな馬鹿げたストレートな生き方はふつうしない。でも、私は自分勝手で自分中心だから、自分が思ったこんなやり方が出来ないと、なんだか「気持ちが悪い」のであ。「スッキリしない!」のである。

 昨日書いた仕事上の話でもそうだが、自分の性格を分析してみて、私は何でも自分の思い通りにならないと本当は納得できない性格なのだと思う。でも仕事では言いたくても我慢して妥協せざるをえないから、ストレスが溜まるのだろうか? 

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 今時、こうした「頑固な生き方」は、化石的マイナーで、きっと流行らないのでしょうね・・・・・・。

 ※今日は相談会出席で、お昼は「鰻丼」「経費」でごちそうになりました(1980円)

 end.

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2007/10/06

男は黙って、発泡酒

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 今日は「ハレ」の日でもあり、一方では心も体も疲労が頂点に達した1日だった。

 この4日間、頭に来ることばかりだった。

 「何で、俺ばっかりがこんなに苦労しなくちゃいけねえんだ。同じ給料もらってる、おれと同じ立場の女の子に頼みゃあいいじゃねえかよ」「何でオレばっかに仕事を持ってくるんだよ!」「そりゃあ、その女の子と比べたら、オレは仕事ができる。できるに決まっている。だって経験年数が違うから、当たり前。オレに頼めば数分でできる仕事も、彼女に頼めば30分はかかる。でもさ、何でもかんでも持ってくんなよ! 人間一度にひとつのことしかできねえんだからさ。あんたみたいに、自分では何もやらないで口だけで『イチロさん、あれもやってね。これもやってよ』って言いさえすれば事が済むって、安気だな。」「自分が気がついたことは、自分で処理するってのが、鉄則じゃないか? 少なくともオレはそうしてこれまで生きてきた。」

 「昨日女の子が、包丁で指を切ったと言えば、これから一番大変な仕事なのに「『まあ大変、すぐに病院に行ってきなよ』という。でもオレが腰を痛めたと言っても(仕事中だから労災である)『この荷物は重いからイチロさん運んでよ・・・』とその女上司は平気で言う。なんなの?なんで同じ立場で働いているのにオレにはこんなに冷遇されるのさ?」

 「しかも、その女の子が来る前は男の子だった。彼は私の重要なパートナーでいつでも片腕だった。しかしそれが単に女の子に変わっただけで、その女の子と以前の彼同様の仕事をしていると『イチロさんは女の子と親しげに話しすぎている』『イチロさんが女の子の後ろに回ってゴソゴソやっている』『私がいないとイチロさんと彼女は仲良くしているに違いない!』などと妄想をあちこちで言っている(全ておばちゃんからの情報)。」「ゲスの勘ぐりとはよく言ったものだ。人間としての程度が知れるぞ」

 「オレは以前の彼と同じやり方で仕事をしているだけだ。その女の子を『女性』だとして距離を置いていたら仕事にならない。そんな配慮をしているほどヒマな職場ではないというか、あんたが何でもオレに押しつけるせいで昨年より一層仕事量が増えてるんだよ! 『女の子の後ろに回らない』なんて、バカな事を考えている余裕はない。あんた女上司は、そんな時『女(おんな)の目』になっている。仕事をするのに『女』になるなんて、ビジネスマン(ウーマン)として恥ずかしくないのか。というより、今までそんなやり方で世の中をすり抜けて容易く渡ってきたんだな。お気楽ご気楽な生き方だな!」

 「でも、考えてみるとあなたは、出会った時から『仕事ができない人間』だったよ・・・。何かトラブル(問題)が起きると、判断というか最後の決断が自分ではできないから、ありとあらゆる人に聞きまくってきた。そして、事が決まってそれが結果として間違っていた時は『イチロさんが言ったからそうしただけ・・・私のせいじゃない』って、オレのせいにして逃げてきたよな。逆に結果としてオレの判断が正しかった時は、それをあたかも自分が考え出したかのように振る舞ってきた。部下のせいにして自己を保身できる人間という恥知らずなヒトをオレは知らなかったから驚いたものだ」

 「『ぎゃあ、変なハチハチ、蜂・蜂がいるぅ!』って、オレの方を見る。『あんたが何とかしなさいよ!』ってことだ。いい年こいて、と思いながら『はいはい、ただいま参りますよ・・・』と部屋の電気を消す。蜂は明るい外に出て行く」「でも、そうして何でも人に頼っておきながら、あんたはそれが当然な事だと思っている。」

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 「使えない人間(無能な人間)が、一番得をする (これって『マーフィーの法則』?」 「小人閑居して不善を為す」ということわざを、思い出した。


 今日一日の思いを綴ってみた。

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 だが夕方、仕事終えてグッタリして帰宅したら、急遽、帰省していた長男から「オレもがんばってるけんね。だが、面接はキッパリやってきたけん、もうグダグダ言わん!」と報告された時、年上の親なのに愚痴ばっかりグダグダ心の中で考えていた自分がとたんに恥ずかしくなった。今時の若い連中の方が、厳しい状況の中で大変なんだって実感した。

 夕飯は、母が「クリおこわ」「小豆のおこわ」を炊いてくれた。娘(孫)の誕生祝いでもあり、息子(孫)の将来への期待も込めた「赤飯」だったと思う。言葉にならない思いだったかもしれない。母は口べたでトンチンカンだけれど、料理で思いを伝える。長男は私の母を大切に思ってくれている。そして本音で「腹減った! ばあちゃんの栗おこわが世の中で一番旨いよ!」と言う。

 息子と「男は黙って、サッポロビール」ならぬ「発泡酒」を酌み交わした。 「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」ということわざ?もあるが、こうして親というのは乗り越えられていくのかと、一瞬目が覚めたような気持ちだった。

 ※母(息子にとっては祖母)が作った「おこわ=赤飯2種(上が栗・下は小豆)」

end

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2007/10/03

今日の気分

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 最近天気が悪いから、洗濯物も乾かないし、ヒマラヤスギのマツボックリも開かない。

 でも雨が続くと、普段見ている山がたなびく雲をまとって、思わずシャッターを切りたくなる姿を見せる。

 一期一会。

 end

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2007/10/01

め娘に食わしてやりてえ! 今日のマツタケご飯!

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 新潟県は魚沼産のコシヒカリの玄米、しかも今年の新米が届いて、今日、地元の農協へ朝7時、精米に行ってきた。

 私は昔から農協(今はJA=ジャパン アグリカルチュラル クーペレイティブズ)の組合員だが「コイン精米」は初めてだった。結構良い機械で、米の温度もあまり上がらずに、短時間で米を搗くことができた。供出用の紙袋に精米されたコシヒカリを入れて帰宅して、熱を冷ますため米をかき回して袋の口を開けておく。

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 実は昨日、きのこ鑑定会を地元の区から頼まれて行ってきた。地元の役員の皆さんが採った約80種類のきのこのうち、60種類位に名前をつけることができて、地元のおばちゃんやおじちゃん達がきのこ相談に来るのに答えた。仕事以外で、おじちゃんやおばちゃんと話すのはホントに楽しくて、話がはずむ(^^) きのこの鑑定は昔からやっているので、図鑑を片手に説明をしながら、マジックで名前を書いていく。食べられるきのこは「黒」毒きのこは「赤」で名前を書く。

 その鑑定の最中にも、その地区は「マツタケの生産地」なので、高級なマツタケが区民から20個とか、他の食べられるきのこが箱単位で何気なく差し入れられたりしている(^^) みんな太っ腹で、惜しげもなく高級きのこの差し入れが続く(アハハ)

 釜飯の昼食をいただいて、約4時間の鑑定会を終わった2時、わたしはその後は仕事なので席を立つと、組合長さんが「ちょっとイチロさん。事務所によってってよ!」っていう。すると「これ持っていって!」と、マツタケ2本と、ショウゲンジという美味しいきのこをたくさんいただいたあげく、断固固辞したにもかかわらず、無理矢理、講師代まで頂いてしまった(^^;)

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 そのマツタケとショウゲンジを、今日の夕飯用に先ほど炊くことにした。今年初めてのマツタケならやっぱり「マツタケご飯」しかあるまい!! 何はともあれ、今日は精米したばかりの「魚沼産のコシヒカリ」があるのである(^^)

 ホントはまず最初に魚沼産コシヒカリを白米で味わってみたかったのだが、成り行き上仕方ない。

 きょうは「マツタケご飯」なのである(^^)

 新潟のコシヒカリしかも魚沼産なんていう高級米はあまり食べたことがないのだが、米粒が普段食べている米よりも粒が小さいような気がする。丹念に研いで、ザルにあげてしばらく置く間、マツタケとショウゲンジを洗って刻む。マツタケは虫が入っているが、それも愛嬌(^^)。 虫もタンパク質である・・・。

 炊飯器に4合の米を入れ、堅めに炊きあがるような量の水を入れる。上にきのこを乗せる。そこに醤油・みりんとコンブを入れてしばらく置いた後、スイッチを入れる。

 そして炊きあがったのが画像の「マツタケご飯」である。

 味見をするのは調理人の特権(笑)。

 一口ほおばって、うーんと息を飲んだ。今までマツタケご飯は何度も食べてきたが、これほどご飯の力のある、まるで「餅米」のようなツヤツヤとした歯ごたえのあるご飯は久しぶりである(^^) 主役が「マツタケ」ではなく「米」なのである。これぞマツタケ「ご飯」

 これが「魚沼産コシヒカリ」かと! 日本人に生まれて良かったと!・・・・・・そう言う位、感動した(^^)

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 こんな上手に炊けた「純国産マツタケご飯」、め娘に食わしてやりたいが、それもかなわぬ(^^) 

 部屋中、マツタケの香りでむせ返りそうだ・・・。

 end

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