生きることと、死ぬこと・・・温かい血
8月は死の匂いがする。
私は戦後生まれだが、やはり8月15日の戦争のイメージが強い。そして8月10日は、55才で死んだ父の命日である。
16日は仕事が終わってから夕方、涼しくなった時間を見計らって、母と墓参りに行った。普通お墓参りは夕方行くものではないが、朝が忙しかったので致し方ない。母が用意した卒塔婆・線香・マッチ・菊の花・フタのないヤカンに汲んだ横井戸の水・お菓子を持って墓へと向かう。
途中、アブラゼミがうるさい位に鳴いている。1週間で死んでゆくセミたちの合唱である。
ヒマワリが咲いている。
お墓に着いて、新聞紙を燃やして線香に火をつける。まず、先祖の墓から回る。それはもう、江戸時代なのだろう。先祖がこの地に住み着いた頃作られた墓だ。そこから姓が分かれ、墓石は扇状に広がって谷へと向かって広がっている。その一つ一つに線香を立て、お菓子を供える。
最後に、父が建てたお墓にお参りする。父は、自分で建てた墓に自分から一番最初に入ってしまった。あの年も暑い夏だった・・・。
母は元気だ。いまだにスポーツに興じ、大会では優勝したりもする。畑も作る。でも、年にはかなわない。そんな母に私も夕飯を届けることも多い。「今日夕飯いる?」と聞くと「いらない」と断ることは、まずない。それだけ食事作りも最近は億劫になってきているのだろう。
母は私の作る料理が、昔から好きなのだ・・・。
もともとあまり料理が好きではなかったのかもしれない。。。「元々女性は料理好きなのだ!」というテーゼは、たぶん間違っていると思う。たまに「お前の作ったビーフシチューが食べたい」とか「お前の雷干しはおいしいよ・・・」とか言うのだ。私は「どこの家(うち)に、息子の料理を食いたがる母親がいるんだよ!」と半分照れながら茶化すが、ちょっぴり悲しい気分になる。
50才を超えたばかりで夫を亡くして、本当に一番辛かったのはもちろん母だったのだろう。そんな愚痴を私にこぼすことは、これまで一度もなかったが、その後ずいぶんと苦労もあったと思う。でも気丈に生きてきた姿は立派だと思う。
人は、いつか一生に一度は、死ななくてはならない。
夏が来ると思い出す・・・。
「生と死」は裏と表ではなく、DNAと同じように、螺旋というスパイラルに編み込まれていると思う。だから、死を極端に畏れることはないけれど・・・・・・、でもやっぱり怖い。
ただ、やっぱり生きていたい。そして好きな人には生きていてほしい。人の痛みは私には5%も分からないだろうし、私の痛みも、きっと人は5%も分かってはくれないだろう・・・・・・。でも、やっぱり生きていること・・・。
「温かい血が毎日流れている」ということ。やっぱり、その方が良い。
だから、まだしばらく生きることができる人は・・・・・・、自分も含めて、生きなくてはいけないし、生きていてほしいと思う。
※母が干した「ユウガオ」・・・かんぴょう
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コメント
昨日伯父が亡くなりました。
ガンでもうあまり治療できないとは聞いていたけれど
1週間前にお見舞いに行ったときには
リビングまで歩いて出てきてくれたのに。
人の命ははかないなぁとしみじみ思いました。
祖父や祖母の時と違ってまだ60代だったし
自分の親の世代の人が亡くなるのはショックですね。
いとこたちの気持ちを思うと何と言って慰めたらいいか。
親が元気でいてくれることは
ありがたいことだと思いました。
もう少しIchiroさんと母を大事にしようと
思いました。(しかしどうやって???)
投稿: つんちゃんママ | 2007/08/21 10:39
もう おぼんだね。
ことしは おはかまいりにいってくるよ。
イチロもいくんだろ?
投稿: め娘 | 2008/08/04 09:20
ここは ひさしぶりですね
> 人は、いつか一生に一度は、死ななくてはならない。~でもやっぱり怖い。
> ただ、やっぱり生きていたい。そして好きな人には生きていてほしい。人の痛みは私には5%も分からないだろうし、私の痛みも、きっと人は5%も分かってはくれないだろう・・・・・・。でも、やっぱり生きていること・・・。
> 「温かい血が毎日流れている」ということ。やっぱり、その方が良い。
> だから、まだしばらく生きることができる人は・・・・・・、自分も含めて、生きなくてはいけないし、生きていてほしいと思う。
ほんとうに そうですね......
わたくしも ここを ひししぶりに よんで また いきる ちからを いただきました
きょうも いえ ひび こころがけたい きもちが えがかれています
そして イチロさんが いままで かかれた かずかずの ことばたち は みな すばらしい.....
投稿: 惠莉 | 2008/08/05 08:29