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2007/08/30

労働組合を、今日考える・・・.。

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 今日では「労働組合は流行らない」

 そういう言葉で表現することが、今日の「労働組合」を一番的確に表現していると思う。

 しかし今日わたしは、労働組合を再評価したいと思う。

 「日本国憲法の第二十八条」では、

 「勤労者の団結権・団体交渉権その他団体行動権」として、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保証する」とうたっている。

 耳新しい話としては、最近の北海道での呆れた食肉会社のデタラメな経営でクビにされてしまった社員達が労働組合を作って訴訟を起こした話が思い起こされるが、もともと「労働者」「弱者」であるという観点に立てば、働く側が「団結」して、使用者側と交渉する形というか権利は「基本的な人権を守る」という意味で当然存在しなくてはならない。

 ハッキリ言って、こうしたネットで遊ぶことができるというか、パソコンを使える私たちのような人間は、ある意味で一定のレベル以上の人間だと言って良い。もちろん別に自分の自慢をしたいのではなく、事実を述べているだけだ。パソコンを嫌いな人もいるだろうが、パソコン自体を知らなかったり使えない人は、年齢にもよるがたくさんいると思う。

 関係ないが一つ例を挙げてみたい。

 わたしの職場では本をお客様にお送りすることがあるが、代金を現金書留で送って欲しいと言っても、それができない方がたくさんいるのだ。

 本代が2000円だとすると、送料は郵便局の冊子小包で290円、足して2290円。それに現金書留代560円を含めると、2850円である。2000円の本を買うにも、850円の料金がかかるのだ。しかしそれを宅急便の代引きにすると更に料金は増えて3000円を超してしまう。しかし車いすで外に出ることができないお年寄りは、現金書留さえも送ることができないので、3000円以上払っても宅急便の代引きにして欲しいというのである。

 とんでもなく話がズレてしまったが、とにかくひとりではどうしようもないということがあるのだ・・・・・・ということを話したかった。

 そんな意味でも、これからわたしは「労働組合」はもっと注目されなくてはいけないと思うのだ。今の時代は経営者側というか資本家側が、結構やりたい放題で、働く側もその論理に取り込まれている。

 もっと、かつての時代にさかのぼって、働く側の権利を主張しないと、やられ放題になってしまう。もっともタチが悪いのは「銀行(金融)業」だとわたしは思う。あんな連中をタダ儲けさせるようなことは、絶対にあってはならないと思う。

 銀行業は「この世のダニだ」と、わたしは思っている。

 今では労働組合というと「連合」くらいしか思い浮かばないが、彼ら大組織の幹部は逆にかなり腐っているんじゃないかと思う(^^;) 中小の「労働組合の再編」が、人と人との結びつきを復活する意味でもこの国の将来を占うのではないか。

 勤労者=労働者が元気でない資本主義社会には未来がないと思う。経営者=資本家のみなさんも、その辺は充分にお考えいただきたい。


※ヤマハハコ


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2007/08/29

女性の暴走と、セクハラの基準

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 セクハラとか痴漢とかのニュースが毎日のニュースで絶えないが、私は「男と女を対比的に扱うセクハラという定義」について、かなり疑問を持っている。

 一番気に入らないのは「痴漢やセクハラは、男が女に対して行うもの!」という考え方である。「DM=ドメスティックバイオレンス=まあ夫婦間暴力」も、私は男から女へという思いこみは間違っていると、最近では確信している。

 「セクシュアル・ハラスメント」は、された方が「セクハラ」だと感じたら「セクハラ」であるというのは良く言われるが、そんなまったく科学的ではない感情論でセクハラを定義するから、えん罪が絶えないのだと思う。

 そこには、根底的に「女性は弱いもの」「男は強いもの」・・・「女性は受動的」「男は攻撃的」という、今日的にはハッキリと間違った偏見が底辺に横たわっていると思う。

 たとえば、日本のような、今日的な近代社会では「体格とか体力」ではなく、文化的な「立場」があるので、肉体的な力があるからといって「社会的」に強者であるとはまったく言えないのである。体重45kgで身長150cmの妻に、体重100kg、身長185cmの夫が「ごめんなさい」とひれ伏して謝ることも想像に難くない。

 こうした意見は、男の側の「悲鳴」として聞いていただいて良いのだが、女性の暴走はとどまるところを知らない。

 セクハラの話から少し離れるが、仕事をしていても、最近の女性の暴走には辟易することがある。とりわけおばちゃんといわれる人間は真っ二つに分かれる。 「控えめでしっとりとした膝をしっかりとつけている女性」「足をガバガバと開いて、ガハハ!と笑う女性」である。後者の女性(おばちゃん)には、恥を知れ!と言いたい!!(アハハ)

 だが、いくら言ってもそれは無理というものだ(^^;)

 セクハラの話に戻すが、私だっていつセクハラのえん罪で逮捕されないとは限らないのである。だって「された方がセクハラだって思えばセクハラなのである。こんなんだったら、女性達はその気になればいくらでもセクハラを演出して気に入らない男達を失脚させることができる」

 さて、質問です。

 1,職場の女性が虫に刺されました。彼女がその指された腕に、虫さされの薬をポチッとつけました。それを見た男性の上司が「ボクが塗ってやるよ!」と言って、彼女の腕にその薬を塗り込みました。

 2,自分(男)の部下にあたる女性が、結婚しました。結婚披露宴で「たくさんの子どもを作って、少子化で苦しむ日本を元気にしてください」と祝辞を述べた。

 3,管理職である女性上司が、10才年下の部下に、右耳に虫が入っちゃったみたいなの。この綿棒でちょっとみてくれない?と言った(下心はない)。

 いずれも、相手が「セクハラだと思うか否かが基準」だとしたら、セクハラか否かは、とうてい判断できないのだが・・・・・・。

 しかし、わたし的な一般常識的に思うに・・・1と3は、男女に関わらず「有罪」だと思う(^^)

 2は微妙である。それを聞き流せるか、聞き流せないかの感情論で「有罪・無罪」を決めるのは、ちょっとむごい話である。何ら科学的な根拠がないからだ。そんな法律は、ハッキリ言って法律ではない。

 ただ思うのは、「キス」も含めて、相手の「肌に触れる」というのは、親と子ども、そして恋人同士、あるいは気持ちを通じ合った男と男、女と女という関係性の中でしかあり得ないので、それ以外は「セクハラ」と言われても仕方ないのかもしれない。

 最後にわたしが思うのは、わたしは男だから書くのだが、女性は昔の女性のように、もっと男を「上手に操ったらいいのに!」ってこと・・・・・・。

 

※コスモスの種なんです・・・・・・。
背景のレインボーのボケを、美しいと思ってくださったら、どうか押してください(ペコリ)
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2007/08/26

ひとりで生きることと、ともに生きること

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 つるんだり、徒党を組んで生きることが好きではない。いつの頃からか、私はそういう生き方をするようになった。子どもの頃は友達仲間からはじかれることが怖くて、友達や近所のおじさんにお愛想を言っていたのだが・・・。

 この種のテーマについては、これまでも何度か書いた。今回は角度を変えて書いてみたい。

 ※長文ですのでご注意ください(ペコリ)

 私の回り(職場という意味ではない)にも、もちろん多くの仲間達がいるが、ほとんどの人達は、その集団内のひとりが「△×て、◎◎なんだって!」というと、ほとんど8割方の仲間達は深く考えることもなく反射的に「そう? そうなのぉ? へえぇ・・・!!」と、とにかく「肯定的イエス」の反応を送る。大抵の人間関係ではよくあることではないだろうか? 学校でも、職場でも、特定のグループでも・・・。とりわけ「その集団」の中の階層では比較的上の人が発言した時には「イエス度がアップ」すると思われる。事の真偽ではなく「とりあえずビールじゃないけど、とりあえずイエス!」

 こうした反応は強制されたものではなく、多分に心理的というか「集団という組織を優先する」一つの「社会的・文化的」スタイル(傾向)によるのだろう。

 ちょっと話をズラす。

 それは「茶髪ブーム」にも典型的に現れている。また、女性のあの独特なイントネーションで鼻にこもった、たとえば乙葉ちゃんだったか?がそうめんつゆの宣伝に出ているけれど、マンションのお隣さんが「明日も来るね」といった時「ダメですぅぅ・・・」という発音にも見られる、あれ!あれ!あれ!(^^;)

 どうして統制国家でもないのに、みんな「茶髪」「甘え言葉」に総じてなっちゃうのか?! 不思議である。私の回りでは、ほとんど70%以上がまだ「茶髪(部分茶髪を含む)」なんだけど・・・・・・戦後の「パーマブーム」と同じことが今日でも繰り返されている。

 なんで???

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 しかも「女性」の方が徒党を組んで「ブーム」を作ることが多い。「ミニスカートブーム」だってそうだ。・・・・・・まあヒトラー含め、戦争中のあの雰囲気を思えば、もちろん女性だけの現象ではない。

 しかし、どうして人は「人と同じ事する事に、快さを覚えるのか」・・・・・・。あるいは、そのことで理性を封じて間違った道をあえて選んでしまうのか・・・??。

 ※なんだか話がかなりズレてきたので、話を戻します(すみません)


 要するに、組織とか集団とかいうのは、基本的に「安倍晋三ちゃん内閣」と同じで「お友達内閣」であり「仲良しクラブ」であり「縁故的部族集団」なのである。

 私は、いつの頃からかそうした「仲良しクラブ」的な雰囲気があまり好きではなくなったので、イエスマンをやめて「自分の考えを正直に発言」するようになった。その結果として生じた現象は、

 イチロは、
 
 1,変わっている(変人)。
 2,頑固だ。
 3,つきあいが悪い(「協調性がない」)。

 として距離を置かれることだ。しかし、場合(人)によっては次のようにいわれる。

 1,周囲に流されず自分の頭で考えて自分の意見を言えるのはイチロさん位だ。
 2,あそこまではっきりものを言えるヤツはいない。
 3,対立している二つの組織の間に立って調停できるのはあいつしかいない。

 別に自慢したいのではない。ただ私はそういう生き方しか最近ではできないという、決して生き易くはないあり方についての周囲の単なる感想である。

 しかしそんな生き方は、リスクの方がかなり多い生き方である。イエスマンで生きた方が、この日本という国では、なんといっても生きやすいのだ。多少なり周囲に異論を唱えれば、日本という究極の「部族的村社会」では「あいつはトラブルメーカーだ!」としてのレッテルを貼り付けられる。

 でもそれでは、この国は絶対に良くはならない・・・。

 なんちゃってぇ・・・・・・(アハハ)

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 そんな天下国家のことではなくて・・・、不利になっても多少損しても「自分の正直な意見を言いたい!」という衝動を、単に抑えられないだけなのである(笑)

 しかし、賢明な皆さんもおわかりの通り「多くの人が言えない自分の意見を言う」というのは「協調性がない」のとは違う。何よりもその「属する「集団なり部族」を愛するのだとすれば、はっきりと言うことこそが最終的には「ひとりで生きる道を選択することではなく、共に長く生きること」なのではないかと思う。

 ただ、長々と書いてきたが、異論をみんなに言うにしても、テレビの主人公みたいな傍若無人なあり方ではなく、そこには一定のルールがある。仲間というかみんなの意見を尊重するという気持ち、相手を説得するだけのすじの通ったフキみたいな理由と、そして穏やかな話し方と、最後に自分を信じる気持ちである。


 ※ しょうもない長文を読んでいただいてありがとうございました(ペコリン)

   画像を3つサービスしました(エヘヘ)

   1,アキアカネ?(トンボ)とまっているのは、タムラソウのつぼみ
   2,コバギボウシの花(葉っぱは春先食べられます=うるい・こーれ)
   3,名残のヨツバヒヨドリ。フジバカマの親戚です。アサギマダラのごはん(^^)

 お花がちょっとキレイだと思われたら、押してください。
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2007/08/23

秋風が立ちました

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 暑い日が続いていましたが、今日は5度以上最高気温が下がって、スーッと秋風が立ちました。もちろんこのまま、秋になるとは思えませんが、残暑と涼しい日を繰り返しながら季節が移ろって行くのでしょう。

 でも、今年は7月が結構涼しかったせいで、冷夏かと思う位日照不足だったのでしょうか? 8月の猛暑で復活したのかもしれませんが、水稲は「出穂」(ふつうは「しゅっすい」と言いますが、地元では「でほ」と言います)も遅く、高原では平年並み以下の収穫になるかもしれません。

 明日はまた、残暑みたいです。


 ※高原のヤナギラン(右下の白いのはイブキトラノオ)


ずいぶんランクダウンしてしまいました。良かったら押してください。
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2007/08/22

オ○コ花

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 火曜日、母親がマレットゴルフに連れて行って欲しいというので仕方なく行った。ゴルフ場にはマメ科の黄色い花が咲いていた。とても可愛い小さな花である。

 この花は別名「オ○コ花」という。

 でも、あの・・・・・・関西の方では「オ○コ」というと、結構インパクトがあるのでしょうか? 私は、東国住まいだからその言葉には、あまり深い印象はない。

 「オ○コ」って、放送禁止用語ではないですよね?? 知りませんが・・・。

 別な意味での隠語である「○○○○」という言葉は、私も使うのが恥ずかしいので、伏せ字にする(^^;) 

 この花は標準和名では「ミヤコグサ」という名前を持っている。学名はLotus corniculatus L.var.japonicus Regel」という。日本という変種名(バラエティー)を持っている花である。しかし、図鑑によっては別名「オメコ花」と、ハッキリと記載されている。

 ミヤコグサとオ○コ花(草)では、地方によってはその印象が天と地との違いがあるのだろうが、どこからそんな名前がついたのだろうか?

 知り合いの女性漫画家さんが、「おこめ券」というのがあるんだけど、それって「関西ではちょっと間違えると大変なことになるのよ・・・」って、彼女が言った意味が私にはすぐには分からなかったのだけれど・・・「め」「こ」を入れ替えると、関西では大変なことになるのかなって、後になって気がついたりしたのだった。

 ※ミヤコグサ


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2007/08/20

朝青龍問題を考えてみる -もうやめたら・・・-

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 たかが、相撲の問題で何で日本中がこんな大騒ぎをしているのだろうか?

 「相撲は国技」だから「品格」が必要だとかいうが、相撲なんて私はあんまり見ることもないし、興味もないし、今日では日本人で「歌舞伎」だって一度も見たことがない人だって、多いはずだ。

 国技だと威張るのなら、モンゴル人とかハワイ人なんて受け入れなければいいのに、彼らを頼りにしながら、スポーツマンシップとか、相撲倫理がなんたらかんたらとか言ってみても、無理なんじゃないの?って言いたくなる。

 朝青龍はモンゴル人で、日本にただ「出稼ぎ」に来ているだけで、日本という国を好きでも、愛しているわけでも何でもないと思う。彼は、あのサッカーの様子を見ても、モンゴルの草原で走り回っているのが好きな「普通のモンゴル人」なのである。そんな彼に日本の若者でさえ理解のできない「日本の国技の精神を分かってほしい!」とか、「横綱の品格を持って!」なんて言ってみたところで、そんなの無理じゃん!!!(^^;)

 ただ、私が思うのは、日本という国に「出稼ぎ」に来て、そして彼は日本国で成功して、億単位のお金を日本で稼いだのだから、それは「日本や日本人に少しくらい感謝しても当然じゃないのかな??」ってこと。あんたを稼がせてやった日本や日本人に対して、多少の敬意を払ったって良いんじゃないのかな??って・・・こと。

 偉くなっちゃうと、人って感謝とかありがたいっていう気持ちを忘れるのはありがちだけど、朝青龍は若くして鼻高々の「天狗」になっちゃったんだね。もう引退して国に帰って、事業でもやったらどうかな? あの憮然とした「ふてぶてしいにもほどがあるような帰国時の顔」を見たら、誰だってみんな、引くよ・・・・・・(^^;)

 でもその基礎を作ってくれたのは「日本のお陰」だって、分かんないだろうな・・・。恩を売る訳じゃないけど、彼には一生分かんないだろね・・・・・・。

 わたしだったら、モンゴルで成功したら「モンゴルみなさんのお陰です!」って絶対思うから、こんな事を書いてみました。


 ※外国の、青いアサガオ


 朝青龍は引退してモンゴルにお帰りくださいと思う方は、押してみてください・・・。
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2007/08/18

生きることと、死ぬこと・・・温かい血

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 8月は死の匂いがする。

 私は戦後生まれだが、やはり8月15日の戦争のイメージが強い。そして8月10日は、55才で死んだ父の命日である。

 16日は仕事が終わってから夕方、涼しくなった時間を見計らって、母と墓参りに行った。普通お墓参りは夕方行くものではないが、朝が忙しかったので致し方ない。母が用意した卒塔婆・線香・マッチ・菊の花・フタのないヤカンに汲んだ横井戸の水・お菓子を持って墓へと向かう。

 途中、アブラゼミがうるさい位に鳴いている。1週間で死んでゆくセミたちの合唱である。

 ヒマワリが咲いている。

 お墓に着いて、新聞紙を燃やして線香に火をつける。まず、先祖の墓から回る。それはもう、江戸時代なのだろう。先祖がこの地に住み着いた頃作られた墓だ。そこから姓が分かれ、墓石は扇状に広がって谷へと向かって広がっている。その一つ一つに線香を立て、お菓子を供える。

 最後に、父が建てたお墓にお参りする。父は、自分で建てた墓に自分から一番最初に入ってしまった。あの年も暑い夏だった・・・。

 母は元気だ。いまだにスポーツに興じ、大会では優勝したりもする。畑も作る。でも、年にはかなわない。そんな母に私も夕飯を届けることも多い。「今日夕飯いる?」と聞くと「いらない」と断ることは、まずない。それだけ食事作りも最近は億劫になってきているのだろう。

 母は私の作る料理が、昔から好きなのだ・・・。

 もともとあまり料理が好きではなかったのかもしれない。。。「元々女性は料理好きなのだ!」というテーゼは、たぶん間違っていると思う。たまに「お前の作ったビーフシチューが食べたい」とか「お前の雷干しはおいしいよ・・・」とか言うのだ。私は「どこの家(うち)に、息子の料理を食いたがる母親がいるんだよ!」と半分照れながら茶化すが、ちょっぴり悲しい気分になる。

 50才を超えたばかりで夫を亡くして、本当に一番辛かったのはもちろん母だったのだろう。そんな愚痴を私にこぼすことは、これまで一度もなかったが、その後ずいぶんと苦労もあったと思う。でも気丈に生きてきた姿は立派だと思う。

 人は、いつか一生に一度は、死ななくてはならない。

 夏が来ると思い出す・・・。

 「生と死」は裏と表ではなく、DNAと同じように、螺旋というスパイラルに編み込まれていると思う。だから、死を極端に畏れることはないけれど・・・・・・、でもやっぱり怖い。

 ただ、やっぱり生きていたい。そして好きな人には生きていてほしい。人の痛みは私には5%も分からないだろうし、私の痛みも、きっと人は5%も分かってはくれないだろう・・・・・・。でも、やっぱり生きていること・・・。

 「温かい血が毎日流れている」ということ。やっぱり、その方が良い。

 だから、まだしばらく生きることができる人は・・・・・・、自分も含めて、生きなくてはいけないし、生きていてほしいと思う。


 ※母が干した「ユウガオ」・・・かんぴょう


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2007/08/16

「花火・賛否論」-花火なんかやめちまえ! vs 花火は必要悪?-

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 仕事場に行って愕然とした。

 庭一面に「紙のカケラ」が散らばっていた。その径は数ミリ~10cm大。なだらかにカールした「紙」と言えばみなさんもうお分かりでしょうか。

 花火の「玉」に巻かれた「紙のカケラ」である。花火玉の爆裂と同時に、中の「星」と呼ばれる多数の火薬玉が飛び散って、菊のようなあの花火が夜空に咲く。

 その爆裂力を高めるためにもきっちりと回りに巻かれる「紙」は燃えないので、ほとんどが花火の爆発と同時に飛び散って、地上(水上)に降り注ぐ。

 1時間~2時間で「数万発を打ち上げる大型花火大会」では、その飛び散る紙の量は半端ではない。風に乗って、ありとあらゆる家の屋根や庭や道路や畑に降り注ぐ。庭を掃除しても2時間もすると屋根の上に乗っていた紙片が、風に乗ってまた地面に舞い降りる。全ての紙が地上に落ちるまでそんなイタチごっこが続く。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実は、わたしは昔から大の花火好きで「パッと開いてサッと散る花火と地響き」「お祭り好き」な性格も相まって大好きだったのだ。でも、最近こうしたゴミの多さを見るにつけ少し複雑な気持ちになっている。

 それに、花火は一瞬で燃え尽きる「消費イベント」である。それはある意味で「兵器というか弾丸やミサイル」と同じ「使い捨て(消費的?)?」性質を持つといっても、こじつけとは言われないだろう。

 そしてそのきれいな画像は、心や写真・ビデオに映像が確かに残るかもしれないが、一瞬で数百・数千円~数十万円の火薬が燃え尽きるのである。そして地元でも花火大会の運営費は「軽く1億円を超える」。企業や個人の寄付金だけですでに、7000万円を超えている(^^) 具体的な計算ができないのでハッキリとした数字ははじけないが、たったの「2時間で数千万円が一瞬に燃え尽きる」というのは、確かな事実だ。

 そんなお金を、もっと別な場所で使ったらと考える人達も少なくない。というか・・・無駄遣いだと考える人がいてもおかしくはない。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ちなみに「花火に対する違和感を持つ人」は、以前から多い。

 1,戦争を連想するから(戦争経験者) : あの音と火薬の匂いで、かの戦争を連想するから嫌いだという人は確かにいる。

 2,花火大会会場の近所に住む人の声 : 乳飲み子や高齢者、そして犬などのペットのいる家庭では、あの大音響で泣き出したり、パニックになったりする。犬などは走り回る。「セミ」も爆発の度に「ギー」と鳴く・・・(笑)

 3,環境保護団体 : エネルギーの無駄遣い。河川や湖などから打ち上げる際には、魚などの水生生物への悪影響。ショックで魚が浮き上がるなど。

 一方でのプラス効果

 1,観光客の入り込みによる経済効果 : 花火好きな日本人は多いので、有名な花火大会を連チャンするような人もいる。観光客がたくさん来てくれると宿泊客で旅館・ホテルが潤い、おみやげ屋さん商店が潤う。つまり地元にお金が落ちる。地元が活性化すると、地域経済が上昇傾向になって、結果として生活水準が向上する。

 2,目に見えない「発散効果」 : これは実は「花火という無駄遣い」を容認する、最大の効果・理由と言って良い。つまり「花火でわたしも含めた庶民・国民が、ホッと息抜きをする!」という事である。つまり「お祭りの論理」である。日頃の鬱憤や鬱積を、花火という、あの振動と大爆発音で溜まった思いを浄化するのである(^^;) まああまり健全なストレス発散法とはとうてい言えないが、そこでどんちゃん騒ぎのバカ騒ぎをして、結果としてスッキリして、あしたからまた日本経済を支えるために働く気分になるという効果である。

 この「2」の効果が「花火反対派」を常に排除してきた一番の原因だと言っても良いのかもしれない。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しかし、今日の職場周辺は、花火の紙吹雪被害以外にも、あたり一面に「生ゴミ」の匂いが充満し、アスファルトの庭や道には至るところに汚いシミができ、数百に及んだ多数の「露天(屋台)」あとには、食用油があちこちにベッタリとしみこみ、酔っぱらいが吐いたゲロが散乱し、ガムや場所取りのガムテープやブルーシートがそのまま残されていた。わたしが出勤した時には、地元の無償の清掃隊が掃除した後だったから、ほとんど80%片づけてくださってあってなお、この状態である。

 さっきテレビを見ていたら、朝早くお祭りの片づけに参加した小学生が言っていたぞ!

 「きれいな花火を見る人達が、どうしてわたしの町をこんなに汚くするの?」 って!

 「旅の恥はかきすて!」じゃなくて、子ども達が「ステキ」って思える祭りが良いなってさ・・・ネ。

 ※せめてさわやかな「風立ちぬコスモス」


 さわやかな夏に・・・。
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2007/08/15

吸い殻を捨てていく、茶髪ロン毛のネエちゃん

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 今日も仕事だった。

 私の地元では8月の15日は、お祭りの日である。だから多くの人は仕事を休んで(仕事が休みで)お祭りに興じる。だが、私にとって終戦記念日でもある8月15日は、1年で一番忙しい日である。

 朝からガンガン飛ばして、仕事が終わったのは夕方6時過ぎだった。今日の記録は過去最高だった。

 それにしても祭りともなると、マナーの悪い連中が一気に押し寄せる。祭りで目立つのは次のような行為だ。

 3位:酔っぱらい 私は酔っぱらいは基本的に許す。自分も飲むからだ。日本の酔っぱらいはマナーが良いことで知られている(ホントかどうかは定かではない(笑)) 酔っぱらって人にからんだりするのは最低行為だ。

 2位:ゴミの置き去り・ポイ捨て 自分が飲んだり食べたりした焼きそばの入れ物、ペットボトル、ビールの空き缶をちゃんと捨てる場所があるのに、あたりに置き去りにしたり投げ込む。

 1位:たばこ吸い

 これについては、一つのエピソードをご紹介しよう。

 お祭りのさなか、私の職場の立ち入り禁止場所で20代前半の茶髪のチャラチャラした姉ちゃん2人が、地べたに座り込んでたばこを吸っていた。脇を見ると、1本目に吸ったらしいたばこが座っていたアスファルトに押しつけられて、フィルタが立っていた。

 私は見た瞬間思った。( 「なんだよ。このネエちゃんたち! 立ち入り禁止の張り紙がある場所に入り込んで、しかも吸ったたばこはポイ捨てかよ!」

 「あの、申し訳ないけど、分かってると思うけど、ここは立ち入り禁止場所なので移動してくれますか? しかもそのたばこの吸い殻もあなた達のだよね。片づけてネ・・・」というと、多少不満そうな顔をしたものの「はあ~い」といってダラダラと立ち上がった。他の人の対応で気をとられている間に彼女たちはいなくなったが、一人の彼女は、自分の吸った吸い殻のフィルタをアスファルトに立てて押しつけたままにしていなくなった。

 道を見れば片手に缶ビール、片手に歩きたばこなんていう光景があちこちに見られる。私も、2年前まではたばこを吸っていたが、そこまでマナーは悪くなかったぞ・・・(^^;) お祭りという雑踏の中で、小さな子ども達だって歩いているのだ。そこで「歩きたばこ」はないだろ!

 ※「メマツヨイグサ」:お祭りにも参加する気力もなく、自宅でコンビの弁当をチンして食べたわたしでした。明日も仕事かぁ、トホホ・・・・・・。 (深夜なので、先ほどストロボ発光のオート撮影しました)


 夜は更けて今、お祭りが終わった今、恋人達は深夜どこで何をしているのだろうか?
 「よけいなお世話だ! やることは決まっている!(^^;)」と思った方は、押してみたりしてください(アハハ)
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2007/08/14

「盆の迎え火」の叫び

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 盆の入りの迎え火を焚きました。いつもより遅い午後7時15分頃でした。もうあたりは暗闇です。

 昔は自分の田んぼで作った「稲ワラ」だったのですが、田んぼをやめてから「シラカバの皮」に変えたのです。

 買ってきたシラカバの皮は、油分が多いので良く燃えます。家の入り口にある角の道端で、赤い炎を上げて燃えます。

 この光が、300mほど先の共同墓地に眠る先祖の霊に届くのでしょうか・・・。

 「おじいさま おばあさま この明かりでおいでなして おいでなして」「おじいさま おばあさま この明かりでおいでなして おいでなして」と、口々に歌います。

 そのうちに近所の不良息子が、暗闇の坂を上ってきました。

 「お帰り・・・」と声をかけようと思って、迎え火に浮かぶ顔を見たら、スケボのボードをかかえた「うちの不良次男」でした(トホホ)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その後、ご先祖様という「精霊」を背負って、母屋へ「よっこらしょ!」と運ぶのが、我が家の昔からの慣わしである。

 息子が言う。

 「重いよ重い!背中に100人位乗ってんじゃないの。 たまんねえよ(笑)」

 私は聞こえないよう独り言で答える。 「精霊が重いか・・・・・・」

 そりゃあ、重いだろうな・・・・・・。

 「精霊や世間や墓地や仏壇や地域を背負って生きる」のは「たとえば民間会社というの厳しい現実」の中で生きる以上に、「ずっしりと重い」「修羅の道」だからだ。

 やがて「精霊達」は、しつらえられた場所に「どっこいしょ」という言葉とともに、子ども達やみんなの背中から下ろされて(降臨されて)「カトギのゴザ」のある場所に、盆の間鎮座する・・・・・・。


 ※「盆の迎え火」の、いきなり燃えさかり吼えるような雄叫びは、先祖の「精霊」「ティンカーベル」みたいな「妖精」ではないことを十分に実感させるものだった・・・・・・。


(もっと恐い「炎の雄叫び写真」がありますが、文字通りの心霊写真と同じで、恐すぎてアップできません)


 だから、精霊達にはまんじゅうの天ぷらを上げ、ナスの牛とキュウリの馬を用意するのだろう。盆の間、精一杯精霊をもてなし、そして「送り火」とともに、安らかに休まれる場所にお帰りいただくのである。

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2007/08/12

アシナガバチの巣

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「アシナガバチのお母さん」が、野外トイレの軒先に巣を作った。

 まだ小さな巣で子ども達も数匹しかいないらしいが、巣にはフタができているので、まもなく新しいハチたちが生まれるのだろう。

 写真を撮るのは、べつに恐くない。

 「アシナガバチ」の仲間は何種類かいるが、いずれもとってもやさしいハチである。私が写真を撮ろうとして、レンズを50cm位まで近づけると、羽をふるわせ「これ以上近寄らないで・・・!」と、わたしを威嚇する。でも、飛んできて刺したりはまずしない・・・・・・。まずしないというか、今まで刺されたことがない。

 また裏庭の屋根には「キイロスズメバチ」が直径40cmくらいの巣を作って、そこは私の車の駐車場で、車の戸をバタンと閉めても、ハチたちは私の目の前を「ブーン」と蜜集めに舞っていくが、一度も刺されてはいない。

 最近では「ハチは危険な動物(昆虫)」だと言われ、遠足に行った子ども達が刺されて新聞にも載るけれど、あれは人間の子ども達が、彼らハチたちのお家に近づきすぎたからであって、その非は「子ども達というより引率した先生方」にあるのかもしれない。

 庭の水槽で野菜を洗っていると、アシナガバチが水を飲みに来る。そんなときは、普通に野菜を洗っていればよい。知らんぷりしていると、わたしの腕にとまることもある。汗の塩分を舐めているのだ。そんな時のハチは100%刺したりはしない。

 「ハチはむやみに人を襲うものだ!」という、都会の連中のまったく科学的な根拠もない思いこみほどやっかいなものはない・・・(^^;) そこでギャーギャー大騒ぎをして、手を振ってハチを追い払うから、彼女たちも時には興奮して場合によっては刺されたりする。

 ものを知らない都会の連中ほど度し難いものはないのである(苦笑)

 市区町村の役所には「ハチの巣を退治して!」という依頼がたくさん入ると聞く。場合によっては撤去する必要があるケースも当然あるだろう。しかし、彼女たちハチさんの生態を理解すれば、ヒトと共存できるのだという基本は、理解しておきたい。

 刺されたり噛まれる「危険性(可能性)があるというだけで駆除すべし!」という考え方は、わたしは、ハッキリ間違っていると言いたいと思う。

 ※まだまだ子育てはじめの、アシナガバチのお母さん(^^)


 ハチだって生きてます。
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2007/08/10

おいしい、ハヤシライスを召し上がれ(^^)

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  「ハッシュドビーフとハヤシライス」の違いが、いまだに分からない私である(誰か知っていたら、どうか教えてほしい・・・)。

 わたしは「おいしいハヤシライス」というものを、これまで一度も食べたことがなかった。お店で食べるハヤシライスの事ではない。

 その理由はハッキリしている。

 市販のルーで作る「ハヤシライス」は、どのメーカーもそうだが、指定された分量どおりに作ると、味が濃すぎて=くどくて、甘すぎる。どうして、あんなに濃すぎる味付けにしたのだろうか?? 食品メーカーらしくない味付けである。

 だから、今日はアレンジハヤシライスにした。

 サッパリ「ハヤシライス」を作ってみたいと思った。肉はオーストラリア産の牛肉の薄切り260g。450円。タマネギ2個(指定は3個)。

 まずタマネギを5mmくらいに適当に切る。肉も3cmくらいに切る。そして、サラダ油で炒める。ニンニクのみじん切りなんかも入れてみる。

 これからがアレンジである(^^;)

 その後畑から採ってきた、水につけてアクを抜いた「ナスのイチョウ切り」を入れて炒める。水を700ccの指定だが、多めに1リットル入れる。月桂樹の葉っぱを二枚入れ、オレガノもパラパラ。沸騰直前にアクをしっかりととり、その間に畑で採った新鮮な「トマト3個」をざく切りにして入れる。これで、あの味のくどさを中和したいと思った。再び沸騰したら、またアクを取り「S&Bのハヤシライスのルー」一箱(8皿分)を入れる。

 最後に「ピーマン」二個を細切りにして加える。

 「毎日でも食べたい、おいしいハヤシライス」ができました(^^)

 だれもナスやピーマンが入っているなんて気がつきません。それに、トマトが3個も入っているなんて・・・・・・(アハハ) でもさっぱりして酸味のある「ハヤシライス」は、とっても好評でした(ニコニコ)

 私も初めて「ハヤシライスがおいしい!」と、思えました(ニコニコ)

 トッピングはキムチです。おいしいかも??って思えたら、押していってください・・・(^^)
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なぜ、原爆を許せないか・・・ 長崎原爆忌

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 「なぜ原爆を許せないか」などと、大上段に立って、本当はわたしなどが偉そうに言えることではない。

 これまで原爆についての自分の気持ちを、いろんな場所で何回も書いてきたけれど、それはいつでも情緒的で多分に実証に欠けていた感は否めない。それは今日でも変わらない・・・(スンマセン)。

 しかし今日8月9日、62回目の長崎原爆忌を迎えるにあたり、それを「他人事」とは、相変わらず考えられない。長崎とは遠くの地に住まう私だが、以前にここで書いたように「久間防衛大臣の、原爆しょうがない発言」には、愕然とした。

 こんなヤツが日本の防衛大臣をやってるんだ・・・・・・。「言葉のあや」だって本人はいうけど「バカ」か! 呆れて口がふさがらないって・・・こんな時に使う言葉ですね(^^;)


 閑話休題・・・


 わたしは頭が悪いから、即断はいつも苦手デス。だから自分の頭をコツコツ叩きながら、いつでもしばらく考える。

 「原爆」-「核」-「核弾頭」-「原子力発電所」-「アメリカ合衆国」-「同盟国?」-「核武装」-「インド・パキスタン」-「チェルノブイリ」-「きのこ」-「核汚染」-「イタリアのトマト」-「戦争」-「子どもたち」-「広島8月6日」-「長崎8月9日」-「終戦記念日8月15日」-「東京大空襲3月10日」-「原発」・・・・・・

 こうした連想はいつまでも延々と続く。そして、思う。

 「自分が経験したことがないから分からないというのなら、戦争や痛みは永遠になくなることはない」ということ。

 自分の家族のこと自分の地域や社会のこと自分の県のこと自分の属する国(国家)のこと。それを大切にすることは大切だが、でもたとえば戦争が起きた時、ある意味で「敵となった連中を殺すことをやむを得ない」としても、それを私は肯定できない。

 「肯定できない」というのは、「殺さないで胸を開いて自らが、殉教者として相手に殺されましょう!」ということではない。肯定できなくても相手を殺さなくてはいけないときは向き合った相手を殺すしかない、そんな事態は良く分かる。しかし「殺した!」ということを「肯定的に肯定したくない」ということ・・・。やむを得なかったが、否応なく殺してしまったって・・・。これは通常は弁解と受け取られがちだが実はそうではないのである。「個人と国家」との大きな問題なのかもしれません。

 戦争という一つの時代(体制・渦?・流れ?)の中にあって、人を殺すことが罪だとか何だとか、そんなことを言いたいのではない。

 「なぜ原爆を許せないか・・・」

 「殺す」ことが「政治的には制度上許されて良い」という意見がある。正当防衛もその範疇にある。

 そしてそれが「国際法上間違っていないから正しい」という意見も実際にある。私はそれは、でもちょっと違うと思う。「原爆を許せない」というのは「殺すな!」「戦争はいらない!」「人を傷つけるな!」ということと同じで、それ以上ではない。

 「原水禁」とか「原水協」とか昔聞いた覚えがあるが、そんな組織の問題でもないし、問題は「核(核兵器)」にあるのではなくて「戦争というか殺し合いということを認めてはいけない」ということなのであると思うのだ。

 アメリカ合衆国の学校の先生達が、日本への原爆投下を「戦争を終わらせるために必要だった」と、子ども達に教えているという。

 そこには「日本の現実の被爆者を見ない(見たくない・・・見なくていい!)」というメッセージが感じられる。アメリカ合衆国という、この「地球という星の未来を先導する」という意志さえも持っているようなおごった国の連中の愚かさがチラチラと見え隠れする。そして何よりも「戦争」ではなく「自分たちの利益」とか「地球が滅んでも「個」である自分たちだけが死ぬまで良い思いをすればいい・・・!という、この国にもいっぱいいる、国会議員みたいな考え方しかない。そんな考え方が席巻しています。

 私が学校の先生だったなら、子ども達には「戦争はしてはいけない。原爆は二度とどの国にも投下してはいけない。地雷は埋めてはいけない。それはお前達!考えたら分かるだろ!自分が戦争・原爆・地雷の被害にあったことを頭の中で想像してみろ!痛いぞ~~~・・・!。痛いなんてももんじゃない! 手首が吹き飛んだり、足が千切れたり、目玉に爆弾のカケラが飛んできて目玉が吹き飛んじゃったとかって想像してみないか? 埋めた地雷を誰が取り除くかってことまで、お前達考えてみろよ! とにかく想像してみろよ!」って、話したい。

 1mm位のトゲが刺さっても痛いのに、手首がとれたら痛いなんてもんじゃないし、どのくらい痛いのか・・・・だって、どうすんだよ!!! 手が、手首からなくなっちゃうんだよ!!! どうやって生きていくんだだ! 真っ赤な血だっていっぱいでるしさ・・・・・・。

 それを「想像」してほしいと思う。


 「原爆が戦争を終わらせた」なんていう思いで「人殺し」を肯定なんてしてほしくない。

 原爆投下を「良かった」っていう意見は、どう考えてもおかしいよ。アメリカ合衆国の女の子の口からその言葉を聞いた時、泣きたくなった。

 その可愛い女の子に言いたいのは「自分の頭で考えてね・・・」

 ※画像:真っ赤なトマトさん達が「もう採って! お願いぃ!」って言ってました(^^;)
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2007/08/09

精霊の住む家・・・「スイッチョン 夏物語」

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 惠莉さんが少し前、

>以前にも書きましたが

>このクモは イチロさんの守護霊ですって(笑)。

>可愛がってあげているのですね♪

って、いつの間にかパソコンに住みついた「ワカバグモ」のことを書いてくださったけれど、同じような事を、職場のおばちゃんからも以前から言われていたのだった。

 一昨日の夜、パソコン机に落ちてきた黄緑色した「数ミリ」の虫を、私は写真で撮った後、ティッシュでつかまえて外に逃がしてしまった・・・・・・。

 「ウンカという害虫」の子どもだと、瞬間に勘違いしたからだ。

 撮った写真のカットは6カット位。今残っているのは4カットである。

 それは、8月15日のお盆前後に毎年のように我が家に来てくれる「ウマオイ」という名の淡い緑色した「精霊の赤ちゃん」だったのではなかったのかなと・・・・・・・・・後悔した。

 彼は(彼女は)とっても小さかった。 体長は、ほとんど「数ミリ(5~7ミリ)位」だった。

 その後パソコンに取り込んで拡大してみたら、その数枚のカットの中にこの画像があった(↑上の画像)。 後足にトゲがあることが分かってハッとした。どうやら黄緑色した「昆虫の幼生」らしかった。そんな「精霊を私は外に捨ててしまったのか!」と、科学的な根拠はないが・・・思った。

 これで運も自分から逃げていくのかなって・・・情けなく思ったりもした。

 でも盆には、いつでも帰ってこいよ・・・・・・。 いや、そうか帰ってきてください・・・・・・。


 「精霊」はもしかしたらいるかもしれないって思ってくださった方は、良かったら押していってください(^^) 今時、無理かなぁ・・・(^^;)
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2007/08/07

クソ 「め娘」へ・・・! この家庭のカレーを食ってみろ!

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 下の掲示への感想で、

>ボンカレーより不味そうだな。
>50円でも喰いたかねぇよ。

ってコメントがあったが、昨日は「クソガキ」が2人友達を連れてきて(つまり総勢3人だ)。 しかも夜の8時頃だ。 いつでも夕飯に多めに作るから、今日たまたま作ったカレーは十分に残っている。

 これも「50円でも喰いたかねぇ」かよ?

 原材料代は、米以外は全て自前の「夏野菜カレー」だ。 しかも白ごはんとサフランライスは余ったごはんの、店では捨ててしまう冷凍をチンしたものだから、ほとんど0円だ。

 入っているゴロゴロ食材は、ジャガイモ・タマネギ・ズッキーニ・ピーマン・豚肉ロースのスライス(ショウガ焼き用)位だ。豚肉300円以外は全て自前。後の香辛料は数円だと思うから、10人分作ったから40円台でできるな・・・。

 め娘に告ぐが、自分で作ったカレーの皿の画像を一度送ってくれ!

 ここで、公式に公表させていただきたい(^^;) クロコさんも良かったら、並べてアップさせてもらいます(^^;)


 ※あわててしつらえた「夏野菜カレー」

 「一人が、今まで食べたカレーの中で一番美味しかった・・・!」って言ったんです(^^) ホントです。
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2007/08/06

税込み200円カレーと、デジカメの実力

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 ※なんかややこしい、訳の分からない話です(すみません)

 このカレーは某店の期間限定「200円牛肉カレー」である。いや、なかなかどうして、福神漬けもトッピングもあって、ちゃんとお腹一杯になる。ごはんもふっくらだ。

 でも牛肉は「アメリが合衆国産?」で、福神漬けは「中国産?」かなと思ったら、次は頼むのをやめようと思った(笑)

 そしてこの写真を撮ったのは、フジのファインピクスという、わたしのお気に入りの愛用コンパクトデジカメである。

 画像の撮影設定は3Mサイズで感度は400、AUTOの設定である。コンパクトデジカメは「押せば撮れる」ということで、操作するのは接写の時接写ボタンを押すだけで、カシャカシャ何カットも撮る。よほどのことがないとストロボは発光しない。ポケットにもスッと入って、いつでも取り出して撮れる。一眼デジカメではこうはいかない(笑)

 コンパクトデジカメは多少手ぶれしても、カッチリと撮れたように見える。画素数が小さいからピントが深くまで合いやすい。

 こうして撮った数カットの中から、一番状態の良い写真を選んで、それを切り取ってアップする。他のカットは全て捨てる。この画像サイズは85K位だが、最近では画像の縮小をしてデータサイズを下げることはほとんどしない。画像が小さくなると見にくいので、多少余裕を持って撮っておいて切り取る。

 でもこの写真を見ると白いお皿とごはんの部分は「白飛び」してしまっている。また赤い福神漬けもベターっと潰れてまったくグラデーションがない。白が飛びやすいというのは、デジタルカメラの特性なのかもしれない。

 ネットの写真だから良いけれど、本などに使う写真としては「100%使えない写真」といって良い。「白飛び」という、完全に抜けた白色の部分が一カ所でもある写真は、よほどのことがない限り「写真としての価値は0である」

 もちろん個人で楽しむ写真では、まったく問題ないし(^^)、こだわりはないし、今ではいろんなソフトでそれを救済することは可能かもしれないけれど、それは二番手であって、カメラとレンズだけで「使える写真を撮れる」ことがカメラの大前提だと思うのである。

 わたしは他に、キャノンのAPS-Cサイズという、フルサイズに比べると40%位しか画素がない一眼デジカメを使っているが、それの方がやはり「コンパクトデジカメよりはマシ」である(フルサイズの素子のデジタル一眼は値段が高すぎて買えない・・・(アハハ))。でも、一部真っ白い「半夏生」の葉や「マタタビ」の葉を撮ると、他の緑とか土の色とのバランスがとってもむずかしい。絞りを変えて撮っても、何としても満足のいく写真が撮れない。

 白が飛ぶか、緑が暗くなるかだ・・・。何が悪いのだろうか?

 ただ、200円のカレーを撮るのには、逆にコンパクトデジカメで撮ったこの方が「100%に相応しい!」とも、言えますね(^^)

 あんまりむずかしいこと考えるのやめよ・・・(笑)

 チャンチャン(^^)

200円カレー、少し美味しそうだと思ったら押してみてください。
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2007/08/04

ナスとトマトの手抜きミートスパ

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 疲れたので、夕飯は手抜きしました(笑)

 レトルトのミートソースを使って夕飯です。ただ、レトルトだけじゃあまりにも芸がないので、畑から「ナス」「トマト」を採ってきて、ザクザク刻んでいれました。ブルドックソースもちょっとたしました。

 夏ですが、温かい料理って良いよね。

 茹でたてのアルデンテのスパゲッティ。昔は普通の小麦粉がたくさん入っていて「デュラムセモリナ100%」は、とっても値段が高かったけれど、今ではそれが日本でも常識になりました。

 うーん旨い!

 ※ナスとトマトのスパゲティ


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2007/08/03

言葉という魔法

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言葉は人をなごやかにもすれば、人を殺しさえもする。言葉一言で殺されたりもする。

 「言霊」という位で、言葉は「凶器」にもなる。「剣よりペン」とも言われる。

 私は以前ある意味でつきあっていた女の子を傷つけた事がある。つきあっていたと言ってもキスさえもしないピュア?な関係だった。その彼女の思いも知らずに「適当に付き合おう」と私は彼女に言った。言葉にこだわっていた私は、今思えば常識からまったく外れていた。

 「適当」というのは「いい加減」とか「デタラメ」という世間で使われている常識的な意味をあえて否定して「ちょうどいい加減」という、もう一つの意味で使ったのだった。それは単にわたしの自己満足だった・・・。彼女は、当然その言葉に傷ついた。

 人というものを侮っていた若い時のことだった。

 その後、私は言葉を勉強した。別に強制された訳でもなく、きれいで美しい「日本語」を書きたかった。喋り言葉ではなく「美しい日本語」を、文字として書きたかった。

 言葉は一瞬で人を傷つけるけれど、文章なら良く考えて人を傷つけないと思った。

 私は日本語を美しい言葉だと思う。それはどんな国の人も「母語」を愛するのと同様に「美しい言葉」だ思う。だから、汚い日本語を使ったり、潔くない生き方を見ると本当に腹が立つ・・・。

 だから、私は安倍晋三総理に「美しい国日本」という言葉を使ってほしくない。

 「エレガント」ということを、私はしょっちゅう言っては笑われるけど(笑)、言葉には「魂」が宿っていると思う。

 言葉には魔法があると思うから、本当の「詩」を書ける人を、私は心から尊敬する。

 ほんとうの詩を書ける人には「ミューズという詩の神様」が宿っているのだと思う。


 ※夏の女の子・・・。


 言葉という「魔法」を信じる方は、押してみてください・・・。
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2007/08/02

ヌスビトハギ

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 マメ科ヌスビトハギ属の草「ヌスビトハギ」である。

 だれが「盗人萩」なんていう面白い名前を、つけたのだろうか。

 この豆の形が「抜き足差し足で歩く盗人の足跡に似ている」からこの名前がついたと言われる。本当にそうかどうかは多少疑問符???が付くが、昔の人は思考自体が「数字(経済)」ではなく「言葉(文学)」だったんだなって・・・思わせるなんとも「雅な命名」である。

 まだ8月も始まったばかりなのに、台風5号が近づき、気温は高いものの、この花の実を見るともう秋の風情である。この日本の季節はいったどうなってしまったのだろうか。

 そういえば、同じ場所に「ユウガキク(柚香菊」という秋草が、すでに咲いていた。

 地球温暖化のせいなのか? フェーン現象で、富山では38.5度という異常な気温を記録したという。この地球は、これからいったいどうなっていくのだろうか?


 ※画像:「ヌスビトハギ」 (「名もない花」などたぶん1本もないこの美しい国)を、どうしたら、私たちは守れるのだろうか・・・。


 良かったら押していってください。
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2007/08/01

 今日の思い・・・・・・

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 私は昔から、死と隣り合わせで生きてきたのかもしれない。

 強引な結びつけではあるが、ウイーン生まれの「グスタフ・クリムト」という、生と死と性(SEX)を題材とした画家のことを思い起こす。私はクリムトの絵をまったく好きではないし、ピカソやカンディンスキーやゴッホ・岡本太郎が好きなのだが、最近クリムトに親近感を覚える。

 わたしは宗教も信じないし、支持する政党もないが「家」としては、昔から曹洞宗の檀家なので、それを逃れることはなかなかむずかしい(笑)。

 その曹洞宗に「修証義(しゅしょうぎ)」という「経」がある。

 その出だしは「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という文言である。単純に解釈すれば、「生きることを明らかにして死ぬと言うことを明らかにすることが仏教徒の使命である」とかいった意味になるのだろうが、私にはそうは思えない。 「しょうをあきらめ しをあきらむるは ぶっけいちだいじのいんねんなり」というのは、私は「生を諦め 死を諦むるは・・・」と、昔から思ってきた。

 生きることを諦め、死をも諦めること・・・。

 そんなあきらめこそが人生の悟りではないかなと、思ってきた。

 諦めるという諦観というか、そんな覚悟が「人生を生きることではないか!」と思ったりもする。

 「諦める」というのは「絶望する」という意味ではないと私は思っている。

 人はいつか一度は死ななくてはならない。それは、誰にも平等に訪れる運命である。それを否定することは誰にもできない。サクラは、いつか必ずや散らなくていけない運命なのである・・・。

 坊さん連中は言う。

 「命はたまたまあなたに与えられたが、それはまた戻るところに戻るだけ。それは運命である。」
 そうなのかな?

 私という命は、再び生まれ変わるのかな? また生まれ変わってがんばらなくちゃいけないのかな?
って思う・・・。 静かに永遠に、私の命は休んでくれたら良いのになって、ふと思ったりもする。

 
 そう思えたらどんなにか幸せかって思うけれど、宗教で心が救われるとは私は思わない。

 それはとっても悲しいことかもしれないけれど、純粋にピュアに生きられたら「大宇宙の大生命」とかいった「永遠の命にすがらなくても人は安らかに生きていける!」って思うんだけれど、私の考え方は、愚かで間違っているのだろうか・・・・・・?

※ユウガオの花

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左手で作る、カミナリ干しの作り方

 ヨーコさんからも問い合わせがありましたが、カミナリ干しの作り方をご説明します。

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 1,まず朝、縞ウリと白瓜を畑から採ってきました。洗ってから芯抜きの道具で種を抜きます。穴が開いたところに菜箸を入れて、はじっこからウリをクルクルと回転させながら、らせんに切ります。できれば刃渡りの長い包丁が良いです。厚さは、好みで3mmから8mm位に調節します。薄くすると途中で千切れやすくなります。私は左利きなので、左からのスパイラルカットになります(^^;)


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 2,カットした瓜を塩水につけます。しんなりするまで10分から20分漬けます。より美味しくしたかったらコンブを入れても良いです。


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 3,もの干し竿につるします(笑)

 4,あまり干しすぎると噛みきれないので、固くない程度にお日様に干したら、取り込んで適当な大きさに切って、かつお節とお醤油、あるいは梅酢などをかけて食べます。甘みが増してパリパリとした歯ごたえがとっても新鮮で美味しいです。

 本当はおばあちゃんの味なんだけどね(笑)


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