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2007/05/31

雨降りお月さん

Photo_43
 雨降りの お月さんて どんな月なんだろう

 お嫁に行くとき 彼女は 気持ちを決めたのかな

 でもたった 「一人で からかさ さして行く」 なんて

 どんな覚悟をして お嫁さんに行ったのかな・・・・・・

 からかさ が なかったら それでも

 「シャラシャラ シャンシャン」
 「鈴つけた」
 「お馬にゆられて ぬれてゆく」

 なんてさ・・・

 お嫁さん 幸せになったのかな

http://www.duarbo.jp/versoj/v-douyou/amefuriotsuki.htm

 ※雨降りお月さんの写真を今夜撮ろうと思ったけれど、お月さんがでませんでした。だから庭の水槽の水紋です。(もうすぐ梅雨がきますね)
 
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堕落論

Photo_42
 ひとは「堕落」するものだと思う。

 最低のものしかない生活の中でひとは、多くを求めることがない。体が健康であれば、毎日空腹を満たすだけの食べ物と、凍えないだけの服と、雨露に濡れない住まいがあれば、ひとは生き延びられる。

 テレビや携帯電話やパソコンがなくてもひとは生きていける。ただ、この国の周りを見渡した時、ひとには「欲」がでる。

 ひとは大金を目の前にすると、それが欲しくなる。高級で美味しい料理が目の前に出されると食いつく。昇進の可能性をちらつかせる上司の前では卑屈になる。

 「堕落」というのは「自分を見失うこと」であり、そして「分かっちゃいるけど止められない」という自分の欲望に負けることだと思う。

 ひとというのは、つくづく「因果な商売」なのである(^^)

 欲望のまま、本能的に飛びつきたいものこそが一番飛びついてはいけないなんていうのは、「動物の中の一つの種として本来は失格」なのである。

 「ドラえもん」の最終話を勝手に作って販売し、それで儲けていた男が「ごめんなさい。もう二度としません。漫画家を辞めて田舎に戻ります」 なんていうのが典型的な「堕落症状」だと思う。要するに著作権とかを知らなくて書いていたというのなら、彼は謝る必要はまったくない。ただもちろん、この国の法律がたまたまそうなっていたということで、不本意ながらも裁きを受けることにはなるだろう。しかし、彼の場合はそれが「いけないこと」と知っていたから、指摘されたときいとも簡単に「ごめんなさい」と謝ることになってしまったのである。

 同様に、「万引き」が悪いとはまったく思わない人間がこの国にいたとして、もし万引きで捕まったのなら、それは当然裁かれはするが、彼は「無知とかバカ」かもしれないが「純粋」なのであって、たぶん「堕落」はしていないのである(^^;) 「ドラえもん」の話と同様である。

 「しかしこんなことを偉そうに書いているわたしも、同じ意味でほとほと堕落した人間の一人」だと認めざるを得ないのである(^^;) 私同様、たぶん世間の多くのひとたちは、「堕落する存在」だと思うのである。

 つまり「ヒトというのはすべからく堕落する可能性のある存在である」といっても良いのではないか!? 「性善説」は、私も希望するのだが(笑)まずはこの世にはあり得ないのではないか?

 政治の世界では昔から自分は知らなかったと秘書のせいにして、秘書を自殺に追い込む話をよく聞くが、それは問題外だとしても、政治家や役職をもった人間たちが事件の際に頭を下げる時、つまりは謝罪会見の時など、必ず弁明するありがちな便法は「私の知らない場所で、しかも私がこの職にある前に起こったことだから、その責任者を厳しく処分します。でも私も自らの責任を痛感しています」という、よくあるストーリーがある(失笑)。

 要するに「私には本来責任はないのだが、でも立場上しょうがないので、一応責任を認めます」ということであるのだ。これは本来は全く謝罪会見でもなんでもない。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 話が脇にズレてしまったが(^^;)、いろんな意味でわたしも「堕落者」の典型であると確認した次第だ(トホホ) そして「ひとはすべからく堕落する」と思って接しなくてはいけないのだと・・・自省を含めて再確認したのである(~^;)


 ※庭先の「ハマナス」(ナスではなく、北海道で有名な、バラです)


 自分が堕落していると思わない方は、押してみたりしてください(笑)

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2007/05/30

とりとめのない話

010
 最近本当に気分が暗くなる話題ばかりが毎日のように起きる。それは以前と変わっていないのかもしれないが、なぜかとても気になる。

 「殺したり、傷つけたり、自ら死を選んだり、暴行したり、盗んだり、騙したり、いじめたり」 テレビをつけると、そんなことばかり朝から晩まで放映している。

 テレビ朝日の古舘伊知郎さんも『報道ステーション』では、松岡大臣の死に鞭を打つようなことを「メディアやニュースはあえてしなくてはいけないのだ!」という意味合いのことを話して、自らの立場を弁護していたが、いくら格好をつけてみても、昨日書いたように、メディア・マスコミというのは、所詮「ゴシップ」であり「パパラッチ」という側面をぬぐい去ることはできないに違いない。

 昨日のブログ記事の中で、

「 そしてそれが仕事だから仕方ないのかもしれないが、テレビなどで、声高に松岡さんのことや坂井さんのことを取り上げて、ゴチャゴチャ、ペチャクチャほじくり出してしゃべるマスコミの連中の姿を見ると、彼ら彼女らの職業は「死者をエサにして生きる賤業だな!」って、フト思った。」

と書くときに、マスコミの彼らを「死者をエサにして生きるハイエナと同じだな!」って、フト書こうとしていた自分がその時いた。でもちょっと考えてみたら「ハイエナ」って「死肉をあさるおぞましくて、浅ましい獣(けだもの)の代名詞」のように思われているけれど、実際には全くそんな動物ではない。獣というか動物の生態のこととかを多少なり理解していれば、そんな言葉は使えないはずだった。自分に嫌気がさした。

 借り物で紋切り型の言葉を、そのまま使おうとしていた自分がバカだって思った。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そんな時道ばたに咲く花や野の花を見て、心の中でわたしは話しかける。

 言葉に出して話しかけたら「あの○○さんの家のイチロさんは、以前から変だったけど、とうとうおかしくなっちゃったようだ!」という噂が、2~3日くらいで近所中に広まってしまうので、声は出せない(^^;)

 「君の名前はなあに?」と聞く。この日本には名前のない花はほとんどないし、もちろん名前とは言ってもそれは「人間が勝手に付けた名前(種名)」で、植物にすれば迷惑な話だ。でも、名前をつけるっていうことは、その花に興味を持つことに通じる。毎日通る道端に咲いてくれる花も、名前を付けなければ私の記憶には決して残らないだろう・・・。

 だから、花の名前にこだわりたい。

 一本一本の花に「さゆり」とか「花子」とか「陽子」とか「一太郎」とか「健次郎」とか「杏樹」とか、個体名をつけて愛でることまではとうていできないけど(笑)「ラッパ水仙」とか「黄色いアイリス」とか「黄色い日本タンポポ」とか、それだけ分かるだけで、そろそろ6月になると「アヤメ」があそこに咲くころだなって思えば・・・楽しみになる。

 まったく、とりとめのない話で失礼しました(^^;)

 


※紫色のシャクナゲ(栽培種)


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2007/05/29

松岡農林水産相とZARDの坂井泉水さんの死 または -1本のたばこと、負けないで-

Irisu
 松岡利勝・農林水産大臣(62)と、ZARDの坂井泉水(40)さんの死のニュースに接して、人はやっぱり「死ぬときは一人なんだな」って、しみじみと思った。

 松岡さんの自殺を聞いてまず思ったのは、同じ農水族だった故「中川一郎」さんの自殺のことである。1983年だった。「北海のヒグマ」とまで言われ、殺しても死なないような中川さんの自殺は当時私にとってはショックだった。でも「人って強がっていても本当は弱いもの」だと、この年まで生きてきて、多くの人とつきあって見ると分かる。

 人ってのは、そんなに強いもんじゃない・・・。

 松岡さんの死は現職の閣僚という政治家の自殺で、そこにはいろいろな陰の面が隠されていて、それらが何も説明されないままに本人が死を選んだという意味で、これをもって「一件落着」というわけにはいかないだろう。野党も私たち国民も、彼の死をもって幕引きとしてはいけない。

 しかし、人が死を選ぶというのには、やはりそれなりの道筋があったのだと思う。彼は2日前、熊本での懇親会で「1本のたばこ」を吸ったという。一年に1本くらいしか吸わないという彼が、その時たばこを吸ったというのは、覚悟をすでに決めていたのだと思う。

 私も妹に、父がもう助からないという話をするとき、妹に1本のたばこを勧めたこと思い出す。今では私も妹もたばこは吸わないが、人がある決断をするときには、そんな装置が必要なのである。お墓参りもそうだと思う。死に行く前に、父や先祖が眠るお墓の前で手を合わせる。その時彼は何を祈ったのか?

 「もうすぐそちらに行くからな。待っててくれ」と、告げたのだろうか?

 ZARDの坂井泉水(40)さんの死も事故とか自殺とか取りざたされているが、それは結局本人しか分からないことだろう。彼女は病気と闘いながら前向きに生きていたと思うけれど、私は、彼女が歌う「負けないで」という歌を聞くと思いが分かるような気がする。

http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/makenaide.htm

> 負けないで もう少し
> 最後まで 走り抜けて
> どんなに 離れてても
> 心は そばにいるわ
> 追いかけて 遥かな夢を

 この歌は「人々を励ますために歌っていたんじゃない」って思う。彼女はこの歌を自分のために歌っていたんだと思う。人というのは弱いっていう本質を分かっていて、自分に向けて自分を励ますために歌っていたからこそ、この曲はヒットしたのだと思う。

 私も何人もの友人や家族親戚の死を見て、送ってきたが、いつでも死の後には、ただ静寂だけが残る。

 そしてそれが仕事だから仕方ないのかもしれないが、テレビなどで、声高に松岡さんのことや坂井さんのことを取り上げて、ゴチャゴチャ、ペチャクチャほじくり出してしゃべるマスコミの連中の姿を見ると、彼ら彼女らの職業は「死者をエサにして生きる賤業だな!」って、フト思った。

 そして、そんなテレビを見ている私も、同様に卑しい存在なのである。

 そして人は、やがて必ず一度だけ、死ななくてはいけないのだ・・・。


 ※ジャーマン・アイリス(イリス)の一品種 (Iris cv.)

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韓国・朝鮮人たちのこと

037
 私は「侵略」という言葉を使って「め娘」からいつも罵倒されるが、でも、日本としての誇りは持っている。それは「韓国人や朝鮮人たちと同様に、民族性を尊重したい」からである。

 でも、韓国や朝鮮人民の過激な反応には、時に違和感を覚えることがある。

 確認しておきたいが 「朝鮮人」という言葉は、差別語だと言われることがあるが、私は「日本人」という意味と同じで「朝鮮人」という言葉を「差別語」だとは思わない。

 それは「民族」を現す言葉だからだ。

 ただ、正直言って韓国や朝鮮人の皆さんの感情を理解できないことがある。

 私の心情と違う、彼らの激しい心情や、かの戦争に対しての深い「怒り」が、激しすぎて理解できないことがある。それは考え方として、確かに甘いからかもしれないが、私はかの太平洋戦争や朝鮮戦争も経験していないので、自分の感情として感想を述べることができない。

 それを「君は日本人だろ!反省しているのか!!」という理由だけで非難されると、やっぱり頭にくる。

 「おれはあんたに直接なにもしてないやろ!! 因縁つけんな!」とやっぱり言いたくなる。

 怒りは分かるが、相手の気持ちを思い遣って穏やかに話すことはできないのだろうか? 相手が、自分の母を直接殺した相手だったなら、時によっては殴りつけたとしてもそれはかまわないと思う。

 でも、ただ日本人だから「かつての侵略者」だったからという理由で、睨まれても困る。

 私は、自分が受けた痛み以外のことで激高できる感性は、ちょっと冷静にしてほしいと思ってしまうのだ。そんな思いって間違っているだろうか? これを読んだ韓国の人たちがいたら、感想を聞かせてほしいと思う。


 ※クモの糸とタンポポの綿毛


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2007/05/27

ちょっと言いたいことがある!

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 わたしは、いい加減で不器用だけど、仕事上で心がけているl事が二つある。

 一つ目は、

 1,人が嫌がることをすすんでやること。

 たとえば「クレーム処理」とか、「草取り」とか、誰でもやりたがらないことがある。でも、そういった事って、やってみると結構おもしろいというか、勉強になったりする。とりわけクレーム処理には、率先して乗り込んでいく(^^;) なぜって、クレームを言う人には必ず理由があって、その疑問を解くのが楽しいからだ。

 人が「文句を言う」のには、必ず理由があるからである。何にも理由がないのに難癖をつけるのはただの「変人」であって、そういうj人は相手にする必要がない。文句には必ず理由があって、その理由が分かると納得するのである。

 以前、お客さんから怒鳴られたとき、理由も分からなかったが、お客さんには責任があるはずもないので「原因はこちらにあるんだろうな?」と思って謝ったことがあった。

 そのお客さんは、出がけに「さっきは大きな声を出してごめんなさい」と逆に謝ってくれた。理由を聞いたら、私たちの声が大きくて気に障ったのだという。「こちらこそ、ごめんなさい」と言ったら、お互いに気持ちが通じた気がして後味がスゴク良かった。

 2,仕事中は歩き回ること

 私は、一日一万5千歩以上歩いていると思う。じっとして、たとえば「受付嬢」さんなら、座ってお客さんの接待をしていれば、それで一日の仕事は過ぎてゆく。でも、お客さんがいない時にまで座っている必要は無いはずである。暇なら、フロアを歩けば、ゴミや女性の長い髪の毛が、もしかしたら落ちているかもしれない。それを拾うだけでも、その会社のイメージは0.1パーセントくらい上がるかもしれない。

 そんな「0.1パーセント」が会社を救うこともあるのだと思う。それを導く「雰囲気」が、その会社にあるかどうかが、問題だと思う。

 社員を縛る「規則(社則)」ではなくて、その会社の「雰囲気」が、一番の問題なのである。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ただ、そんなことができない人もいる。

  「人の嫌うことを絶対やらない人」である。たとえば、職員としてトイレが汚れていることを見つけても、知らないふりをして掃除をしない人がいる。

 汚れを見ても、自分で掃除するのが嫌なので「見て見ぬふりをする」のである。

 私は思うが、トイレが汚れている会社は、まったくダメだ(将来性がない)。誰がやっているかはわからなくてもトイレを誰かがきれいにしている会社には、未来があると思う。

 同じ一日の仕事時間、何もしなくても8時間。64時間分くらい働いても一日。

 楽して何もしないで生きても人生、一日をフルに動き回っても人の一生。

 まあ、死んじゃったら同じだけどね・・・・・・(笑)

  ※田植えが終わったよ(^^)

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2007/05/26

ペットって、家族なの?

Nora
 最近のペットブームにあえて苦言を呈してみたい。

 というのは、犬やネコを溺愛する方が「都会」で増えていると聞いたからだ。動物を溺愛するのは都会的な現象だと、私は思っている。

 その原因は、人と人との関係が希薄になって、人同士のつきあいができなくなった結果として、動物が選ばれたからではないかと思うからである。

 犬やネコを家族と同様に可愛がることを他人がどうのこうのということはもちろんできない、それは確かに「個人の自由」であり「嗜好の自由」である。

 でも、明らかに生物としての「種」の違う動物を「家族」というのは、間違っていると思う。

 ペットはやはり距離を置いてつきあって、可愛がるのが良いのかなって、私は思う。

 ペットの彼らは、必ず未知の細菌というか寄生虫も含めた菌を保因している。これは99.9%確かなので、犬やネコさんとキスして唇を舐めあうのは、できれば絶対に避けてほしいと思う。

 舐めあうのなら、お互いのパートナーとか、子どもとしてほしいのだと思うのである(^^)


 ※庭の野良猫


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いたいた! 今年もいたよ(^^)

Tyou_1
 今日はお休みで、さっき、暖かい光に誘われて庭を散歩してみた。

 記憶が定かじゃなかったけど、去年の今頃、庭にある平らな石をひっくり返したら「メスグロヒョウモン」というタテハチョウの仲間の幼虫が隠れていた。その蝶はやがて庭を舞っていた。

 もしかしたらという期待とともに、同じ場所にある同じ石を、なんとなくひっくり返してみた。まさかいるなんて思わなかった。

 そしたら、また今年もいたんだよ・・・(^^)

 トゲトゲの幼虫がさ・・・(^^)

 でも去年と違って、背中にオレンジ色の筋が2本。しっかりと調べてはいないけれど、どうやら「ミドリヒョウモン」らしい。

 「どうしておまえはココにいるの? 去年の子とは違うんだね。日陰で休んで、立派なチョウチョになるんだよ。君の食草はスミレだけど、庭にはいっぱいあるから、たくさん食べて、大きなチョウチョになるんだよ!」

 「命」というのは不思議なものである。去年とは違う種の蝶が、同じ石の下にこっそりと隠れているなんて・・・。

 写真を5カットくらい撮って、つぶれないように、そっと石を戻したのでした。


 ※画像:「ミドリヒョウモン」の幼虫だと思います。


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2007/05/25

エキスパートモードという、かじりんさんのブログのこと

042
 ちょっとロリコンっぽい「かじりんさん」(笑)という方が主宰されている「エキスパートモード」というブログがある。

 そこは、ダントツの人気があって、参照数もずば抜けている。「人気ブログランキング」「子育て日記ランキング」でも、1位2位を争う人気ぶりである。

 私は、彼の日記を読んでいつも舌を巻いている。

 というのは、彼の使う日本語が秀逸だからだ。本当に日本語というモノをよく知っていて、日本語ってこんなに「軽妙な言葉なんだ!」って、思わせる。

 たとえば本日の掲示「みどもの使い」を引用させていただく。著作権法にさわらない範囲で文章も引用もさせていただきたい。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kajilin/

>おのれコンビニめ。CMで流れるフレンドリーなキャッチフレーズを信じて今まで買っていたのに。何がセブンイレブンいい気分だ。ものすごい嫌な気分になったではないか。何がまちのホットステーションだ。ボッタクリステーションではないか。

セブンイレブンの宣伝文句である「セブンイレブンいい気分」というキャッチを、逆に「嫌」として、うまく使っている。

>どうもスーパーというものはオバサンの聖域のように感じられ、ひとりでラーメン屋や牛丼屋に入れない若い女の子のように、僕もスーパーに近付けなかったのである。

このたとえ話もうまい。

>これで僕もやりくり上手だ。やりくり上手にて夜はやりまくり亭主。これで嫁にも馬鹿にされなくなるだろう。

こんな事を書いていることを、彼のお嫁さんは知っているらしいが(^^;)、ちょっとエッチがまぜこぜで「やりくり」「やりまくり」の対比も秀逸(ウマイ!)

>僕が「子供の使い」でした。

この結論も、ポンと落ちてスッキリ(^^)

 そして、

>問題:さらに追い討ちをかけたむごいことは何だったでしょう?

と、人気blogランキングへをクリックさせてポイントを稼ぐ、巧みな誘導。もう見事としかいうほかない。

 何気ない日常の夫婦生活や子ども達とのエピソードは誰が読んでも嫌みがない。

 本当に「巧みな日本語使い」である。センスと深い教養がなくては、こんな文章は書けないと思った。


 ※雨後のチューリップ


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2007/05/24

パンティー・ストッキングの謎

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 なぜ女性は「パンティ・ストッキング」をはくのだろう? 「パンスト」というのは、男にとっては、実に不思議な存在なのである。

 私が生まれる前だが「戦後強くなったのは女性と靴下」という、笑えない「標語(笑)」があったという。破れない靴下やストッキングは確かに、実用価値があるのだろうが、なぜ「パンツ」「ストッキング」が一緒になってしまったんだろうか?

 アメリカ人の中には、パンストだけで、その下に「下着(パンティ)を穿かない女性」が多いと聞くが(実態は調査していない)、日本の女性の中には「生パンスト」の人は、ほとんどいないだろう(これもまた調査したことはないけど・・・(笑))。

 ・女性には冷え性が多いため?
 ・ファッション?
 
 以前つぎのような文章を書いたが、その謎は、未だに解明されてはいないのである。女性というのは不思議なのである。


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   パンティーストッキングのこと

 今朝の朝日新聞に『「なま足」女性を狙え むれないパンスト』という記事があった。東レが若い女性のパンティーストッキング離れを食い止める切り札として「むれないパンスト」を開発したという話題である。パンストというのは下着なのか上着なのか、男にはよくわからない代物だが、記事によれば「ここ数年、パンストをはかずに素肌を見せる若い女性が増え、パンスト市場は縮小の一途をたどっている」のだという。

 パンストは、よく解らない商品である。足を美しく見せるためだけならストッキングでいいはずだし、パンストは汗を吸うわけでもない。下にパンツをはくのであれば、わざわざ「パンティー」ストッキングである必要もないように思ってしまう。「むれる?」のならよけいに必要ないと思うのだが・・・。

 ところで、記事には「パンスト市場は一九九二年の約十憶足をピークに、九六年には七憶足まで縮小した」「素材の耐久性が増して買い換え需要が減っているという事情もある・・・」とあった。フムフム、しかりである。

 ”破れないパンスト””伝染しないパンスト”というのは、日本の技術力をもってすればできない話でないと思う。しかし、企業はそんなパンストは絶対に発売しないだろうね。そんなのが出回ったらパンスト売れなくなっちゃうもんね。一生に一枚の伸縮自在のパンストなんてのがあったら、買う方は万々歳だけれど、企業にとってはマイナス以外の何ものでもない(と思う)。

 それと同じで、「虫歯を99%防ぐ歯磨き」「100年は壊れないエンジン」「一回はいたらほとんど減らなくてしかも乗り心地のいいタイヤ」「2ギガの容量があるのに1枚200円死ぬまで使えるリムーバブルディスク」とか、きっと出来るはずだと思うんだけど、そんなのまず出てこないんだよね。でも虫歯にならない歯磨き粉があったら、歯医者さんはほとんど失業だろうし、ライオンさんも倒産しちゃうかもしれない?。

 でもでもやっぱ、研究者の意地でそんなの開発して欲しいと思うよね。

   1996‎年‎5‎月‎3‎日


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「生足、生パ○ティー」で良いと思うんだけど、女性ってのは、やっぱり何らかの理由があって「ナイロンのパンティストッキング」が好きなのかなって、思ってしまったのだった(^^;)

 理由を知っている方がいたら、教えてくださいネ(^^;)


 ※庭に咲いている「テッセン」の花です。「パンスト」とは何の関係もないです(笑)

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2007/05/23

5月の風

Onizenmai
 5月が一番好きだ。

 すべてが柔らかくしなやかで、人でいうなら中学生から高校生の低学年くらいかなぁ(^^) 草も木も、いろいろな若葉が芽吹いて葉を広げる。

 銀毛をつけたドングリの新葉。若草色のシラカバが柔らかな葉を少しずつほぐして、そして陽に透けるカラマツの細かな若芽が目の中で、パチパチとはじける。

 吹き渡る風。

 そんな、薫風の中でも死んでいった知り合いのことをふと思い出した。でももうそんな思いも、月日とともに風の中に舞っている。

 11年前に書いた文章があります。よかったら読んでくださいますか?

 (すでにお読みの方は、パスしてください・・・ペコリ)


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  「若葉の頃」

 ビージーズの「若葉の頃」を耳にしたら、学生時代を思い出した。

 学校も決まり、4月になって鍋釜抱えて(何時代のこっちゃ)上京した私を待ちかまえていたのは赤や青のヘルメットだった。思い詰めたような表情をした彼らは、紋切り型の文章で埋め尽くされた、とうてい読む気を起こさせないビラを新入生にばらまいていた。でも、彼らはそれなりに真剣だったし、問題意識のない連中よりは話していても刺激があって楽しかった。

 キャンバスは春爛漫、見るもの全て新鮮で初々しかった。岡田奈奈ちゃんの「坂道の古本屋・・・」を聞きながら、初めての一人っきりの生活を楽しんでいた。そして一日一日と日がたって、5月を迎える。

 この頃になると誰しも精神的に不安定になる。いわゆる5月病というやつである。かつての同級生と無性に会いたくなり、公衆電話で呼び出して喫茶店で待ち合わせたり、下宿に押し掛けて他愛のない話にふけったものだ(当時、下宿には電話もなければテレビもないのが当たり前だった。でもそんなに昔のことではない)。初めての孤独な生活に慣れはじめた頃ちょっと感傷的になる。「人間はなんのために生きているのか」「私はどこへ行くのか」そんなことを真剣になって考える時期だったかもしれない。卒業してすでに働いている同い年の友人にすれば「ヒマ人の感傷だよな。いいご身分だよ。」などと言われる程度の、甘えたとりとめのない感傷には違いなかったが、真剣だったことは確かである。でも、それなりに人生のことをマジに悩んだ時期を経験したことは、今になれば無駄ではなかったと思い起こしたりもする。

 東北地方の学校に行った友人が遊びに来たとき、中央線の赤い電車の中で、ごちゃごちゃと立ち並ぶ町並みを見ながら「仙台には、こんな憂愁はないよね。」と、しみじみと言ったことを覚えている。東京というのは確かに独特な雰囲気を持った都市だった。

 そんな若い時期に、自ら命を絶った知人が何人かいる。その胸の内は私には計り知ることは出来なかったが、生き延びてほしかった。いいヤツばかりが死ぬ。そして身近な人間に害悪ばかりもたらす、どうしようもない奴等がのうのうと生き延びている。これが世の中というものかもしれない。

 でもそれでも、青葉若葉の頃はいいとあえて言いたい。悩んでも苦しんでも、そうした時期を乗り越えてほしい。十代から二十代にかけての多感な時代を生き延びて、図太くて図々しいおじさんやおばさんになったらいいじゃないかと思う。

 俺も五月病かあ??       1996/05/07


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 11年が経っても、何にも変わっていない自分の文章を読むと、ひとっていうのはいかに成長しないか!ということが分かる。でも・・・・・・それは私だけなのかもしれない(笑)

 でも「三つ子の魂百まで」という「ことわざ?」「格言?」を、私は信じている。抱きしめて育てた子どもは、大きくなってから自分の子どもを抱きしめて育つと思うし、人生の5月の頃、優しい風に吹かれて育った子は、人に対して優しい風を送るだろう。

 ただそんな子どもの頃を送ることができずに、たとえば「虐待されて育った子ども達」も多いに違いない。そんな彼らが大人になって、みんな自らの子どもたちを虐待するとはまったく言えない。逆に自分のことを思えば「やさしい家庭を必ずや作りたい」と切望する人も多いはずである。ただ「虐待されて育った現実を、結果として良かった」という形で肯定してはいけないと思う。

 私もまた、抱きしめて慈しまれ、常に肯定されて育ったとはいえない・・・。

 葛藤という意味でこんな事を書いてみる(^^;) 平等に育てていると思っていたとしても、結果としてそうではなかったり、自らの葛藤を、知らず子どもに投影するお母さんやお父さんは多い・・・というか、親というのはもともとそんなふうに未熟な存在だと思う。

 ただ私は、大人になっていつの日からか「5月の風を爽やかだって思える」ようになった。「若葉を通ってくる光を自分の心で感じてきれいだ」って思えるようになった。そんな頃から、自分のゆがんで育った傷つきやすい心を、ひとのせいにすることが少なくなった。

 林の中を吹き渡る「5月の風」には、そんな力があるのかもしれない。

 「柔らかいということは弱さではなくて、しなやかであることの強さ」だって、フト思ったりする。柔軟さを失ってかたくなになった心は、頑強で強固だが、もろい・・・・・・。

 ※「オニゼンマイ」:普通食べませんが、食べる人は食べます(^^;)


 青葉若葉の新緑の中へ、出かけてみませんか?

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2007/05/21

サラダうどんは、いかが?

Photo_40
 きょうの夕飯は、うどんにしました。

 きょうは一日結構暑くて、サッパリ目の夕飯が食べたかったんです。そこで単なる「ざるうどん」も良いかなって思いました。シイタケと昆布とカツオ節のダシで、ネギとショウガをたっぷりに、冷たいうどんをツルツルッと・・・(よだれジュルッ) とりあえずつゆだけは、午後になって醤油・みりん・酒・砂糖・昆布・かつお節・干しシイタケを戻したもので仕込んでおきました。

 でも、夕方になったらちょっと涼しくなってきました。かといって、熱々の「味噌煮込みうどん」気分でもないし、冷蔵庫を見たら、野菜が何種類かあったので「サラダうどん」にしました。勝手に名前つけただけだけど・・・・・・(笑)

 だいたい、私の周りにはダイエット族ばかりが多くてホントに困ります。夜7時過ぎたら食べないとか、8時過ぎたら食べないとか、この地球上に、満足にご飯も食べられないで亡くなっていく子ども達のことを思うと、罰が当たるってホントに思うのだ。

 帰宅時間を見計らって、野菜をさっとゆでる。きょうは、アスパラガスとホウレンソウとブナシメジである。次に「冷凍讃岐うどん」をゆでるお湯を沸かす。

 ちょうど良い頃合いで、帰宅ラッシュである(笑)

 つゆを一応「ソバチョク」につぎ入れて、面倒なので長ネギとショウガのおろしは入れてしまう。

 讃岐うどんがゆだった頃合いで、温かい湯にとってジャブジャブと洗う。きょうはあまり冷たくしないようにした。うどんを盛り分け、アスパラとホウレンソウとブナシメジをトッピングして、さらにトマトと半熟卵を載せる。あとの海苔とかゴマはお好み次第。チョコにつけて食べても良いし、どんぶりに盛ってあるので、つゆをぶっかけて混ぜて食べても良い。

 美味しかったよ(^^)


 ※追記:私の写真の見た目は結構大きいと思いますが、容量はあまりないんです(^^;) 3~4メガで大きく撮って、ペイントの「変形機能」で切り取ると、思いのほか容量が小さくなるんですよ。なぜでしょうか?? 今回の画像は909×768という大きさですが、重さは87.1 KB (89,195 バイト)しかない。小さい画像でもけっこう重たい画像をお使いの方もいらっしゃいますが、なぜなんでしょうか?ちなみに今回のカメラはフジフィルムのコンパクトカメラ「ファインピクスF710」でした。


 ブログのランクです(ペコリ)

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存在証明 -または名刺のこと-

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 あなたは自分が何者か、その存在を証明することができますか?

 あなたは人から「あなたって何者?」って聞かれたときに、何と答えますか?

 「私は会社員です」
 「ぼくは高校生です」
 「おらあ フリーター」
 「僕はプロ野球選手です」
 「中学校で教師やってます」
 「主婦(夫)です」
 「無職で悪いか!」

こんな答えが多いに違いない。

つまりその「職業が自分の存在証明」になっている方が、きっと多いに違いない。でも中には、

 「わたしは 仏蘭西人で~す!」
 「あたしゃ 神様だよ!」
 「僕は さすらい人です」
 「難民です」

なんて、答える人も多少はいるだろう。まあ「神様」も職業っちゃ職業ではある(^^;)

 その存在証明の証明としてあるのが「名刺」である。以下、2003/09/01(月)に書いた、名刺についての文章があるので、お時間のある方はお付き合いください。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     「名刺」 /イチロ

 あなたは「名刺」を持っていますか。「名刺」を持たなくちゃいけない職業ですか。それとも必要としませんか。

「名刺」を持つというのはひとつのステータスなのだろうか。

 今日そんなことはあろうはずもない。単なる、自分にかろうじて勤務先があるという、危うくも脆い証明書にしかすぎない。世間のサラリーマンやビジネスマンで名刺を持たない人間はほとんどいないに違いない。それは自分のギリギリの存在証明のようなものだ。

 たかが一枚の名刺、でもそれは重くてそれ以上に哀しく切ない。

 私も名刺を持っている。勤務先と肩書き、名前と住所、電話番号を記載した横9.1mm×縦5.55mm位の紙きれ(横書きだから)である。

 印刷所に頼むと100枚でも数千円かかるから、自分のレーザプリンタで打ち出す。エーワン(株)の両面印刷用レーザープリンタ・インクジェットプリンタ・熱転写プリンタ共用の用紙がお気に入りである。虚勢を張るための名刺であっても(笑)せめて鉱物質な印象のレーザプリンタで打ち出したい。インクジェットプリンタの水っぽい名刺はあまりにも安っぽすぎていただけない。写植とは言わないが、せめて水が飛んでも滲まないレーザプリンタにしてほしい。

 ちなみに国会議員から名刺をもらうことがあるが、その名刺の表はたいてい16~20ポイント位の大きな文字で「衆議院議員 ○○××」などと記載されている。ほとんど宣伝のための名刺だから連絡先などはあまり重要ではないのだろう。住所や議員会館の電話番号は、裏面に6ポイントくらいの小さい字で分かりにくいように印刷されている。

 一方学校の先生は名刺を持たないのが地元では普通である。教員は校長と教頭以外は基本的にみんな教諭だからであり、それが教員のステータスでもあるらしい。「私は教員だから名刺は持ってないのぉ」と誇らしげに言う女性教諭を見かけたことがある。まあ確かに身分が保証された学校の先生(教育公務員)は、名刺という形の自分の「存在証明」を必要としないのかもしれない。サラリーマンや国会議員といった不安定ななりわいの職業と、学校の「先生」という職業との違いであろうか。

 一方、官僚は名刺を必要とする。

 こう考えると、名刺を必要とする人(仕事)というのは「肩書き」を重んじる人(仕事)だと気づく。だって、肩書きなど必要としない主婦・農家(百姓)・大工・学生・看護婦などはほとんどが名刺を持たない。看護婦さんは資格や肩書きが必要だが、ナースキャップと白衣が名刺代わりであろうか。

 商談に訪れた3名の人間が名刺を相手に差し出すのは、3人のうち誰が課長で、誰が係長で、誰が平社員かを相手に明らかにする必要があるからである。相手もそれが分からないと、誰から先にお茶を出して良いのか困ってしまうのである(笑)。年が一番若くても、東大を出ていて彼が課長かもしれないしネ(^^;)。

 私も仕事上名刺がないと困る立場である。自分の「存在証明」というほど重いものではないけれど、肩書きで仕事をしているというか、その肩書きを仕事上演んている以上、やはり名刺はなくてはならないのだ。

 そしてそんな肩書きで仕事をしてきた人は、定年になって自分の「名刺」=「肩書き」が無くなるとガックリくることが多いと聞く。「肩書き」は自分がそれを演じていることを認識しているうちは良いが、たとえば「社長」という自分
の肩書きを「自分自身」であり「自分の本質」だと勘違いし、そしてその職を失った時、すなわち「名刺を失うことが自分をなくすこと」になる・・・。怖いことである。

 私はそうはならないつもりだが(^^;)ただ国会議員ほどではないけれど、自分の名刺の文字は普通より大きくプリントしている。人によっては虫眼鏡で覗かないと読めないような小さな文字で印刷している人がいるが、あれは謙遜のつもりだろうか。私のような大きな字で印刷してあると、もらった人は「なんかこの人自己顕示欲強いんじゃないの?」と思うかもしれない。でもそれはそうではなくて、お年寄りには小さな文字が読めないからである。読めない名刺は名刺の意味がない。渡された名刺にふりがなが振ってある名刺を見ると、ちょっと涙が出そうになる。その人の人格まで察せられるのである。「オレの名前を知らないのか!」「読めないのか!」という態度の名刺とは明らかに異なる。だから、どうせ渡すのなら、名刺の文字は大きくて読みやすい方が良いのだと私は思いこんでいる。

 たかがペラペラな名刺でも、そこには人間関係の悲喜交々が凝縮されている。

 あなたの名刺は、どんな名刺ですか?。

               03/09/01(月) イチロ

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 でも、名刺はいくらでも偽造できるし、だまそうと思えばいくらでもその肩書きや氏名は詐称できるのである。そして、私は今でも名刺で仕事をしているが、いつか名刺がなくても仕事ができるようになりたい。

 また、今の安倍内閣で先日「教育改革3法案」が可決され、成立することになったが、その内容は平たく言うと、要するに「先生達に名刺を持たせる」法改正だと、私は思っている。安倍さんは、国の根幹に関わる法律を、国民的な議論もない中で、圧倒的多数の与党の人数に頼ってドンドンといじくり回しているが、一国の総理総裁として「内閣総理大臣 安倍晋三」の肩書きが、果たして彼に相応しいものかどうか、私は大いに疑問である。

※画像:親戚の駐車場でジャーマンカモミールを車のタイヤで踏みつけたら、とってもよい香りがしました。


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2007/05/20

お経が下手なくせに、字も下手な、トホホな坊さん(苦笑)

Photo_39
 昨日は、親戚の「23回忌法要」だった。

 集まった親戚は8人だけ。ほとんど75歳以上のお年寄りのおばあさん3人と、おじいさん1人。あとは我が家のメンバーだった。

 11時にお坊さんが自宅に来てくれるというので、10時半に親戚の家に着く。私は「葬儀屋さんになったらどうなの?」と言われるくらい気配り屋さんなので(笑)、部屋の準備や料理の用意をお手伝いする。

 住職さんが家に着いて、お茶を出す。しばらく世間話をしていたら、おばあちゃんたちがせっかちにも、もう別室から部屋に集まってきた。年寄りとはどうしてこんなにせっかちなんだろう。「老い先が短いんだからもっとゆっくりしたら?」って、私は思うのだが・・・(笑)。住職さんも仕方ないので、お茶を止めて立ち上がって、袈裟の準備を始めた。

 この住職さんは、昔からお経が下手でしかも筆字も下手と来ているから困ったモノである。近所のもう90歳になる檀家さんなどは「わしゃ、あの坊さんのお経に送られてあの世に逝くのだけはいやだ」と、以前私に話したくらいである。

 お経が始まった。

 お経からしてどうも「浄土宗系」らしいが、聞いていてイライラするほど「ブツブツに途切れたお経」なのである。普通お経には一つのリズムがあって、まるで音楽のように流れてゆくモノだが、その住職のお経は、たとえば「山(間)川(間)里(間)海(間)」というように、単語と単語の間に「間」があって、一つの連続した「経」になっていないのである。

 はっきり言って「素人以下」である。私だってこれよりはうまく「般若心経」を唱えることができる。どうしたらこんなに下手にお経を唱えられるのか!と、一度問いただしたいくらいである。

 そして仏壇の下に立てかけられた「卒塔婆の字」。これがまた、最悪に下手で、私が初めて知った20年も前から一向に変わらない下手くそさである。地面に刺す下の尖った部分にまで小さな字で戒名が書いてあるという、お粗末さ。

 「プロだったら、少しは練習するとか、精進しろよ!!」と言いたくなる。これで61歳だと言うからあきれ果てる。

 そして法要が終わった後、お昼を出すとこれがまた、のらりくらりチンタラ食べていて、一向に帰らないのである。そして食べ方もクチャクチャと汚い。これから親戚一同が故人を偲んで昼食を食べる事くらい明らかに分かっているはずなのに、たわいもない話をダラダラとしていて腰を上げない。

 お経の時からいいかげんムカついていたが、お坊さんを追い出すわけにもいかないし、ブチ切れて大切な親戚の法事をメチャクチャにするわけにもいかないので我慢していた。

 そして45分後くらい経って重い腰を上げた彼は、軽自動車で帰っていった。本当なら「お布施」を受け取って帰ってくれたら一度で事は済むのだが、彼はその場では絶対に受け取らず、必ず後で届けさせるのだという。仕方ないので、彼が帰ってから5分後に、親戚の喪主と一緒に、今朝築地から届いた写真の「宮崎県産マンゴー」や菓子折、そして「お布施ののし袋」を持ってお寺まで歩いて届けたのだった。

 61歳になっても子どもみたいな、まるで田舎のぼんぼんが坊主になったような、しようもないトホホな坊さんを見ていたら、私の方が出家したくなったのだった。


 「宮崎のマンゴー」は、まだ食べていません。完熟らしいです。食べてみたい方は押してください(笑)

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2007/05/19

「パッチギ」って、ホント「バカな映画」

Photo_38
 言わずとしれた「井筒和幸監督」の映画です。いつか見たいと思っていましたが、今日の日本テレビで、初めて見ました。

 確か「ちろるさんから一度見てみて」って前から言われていましたが、やっと今回初めてテレビで見ることができました。

 なぜみたいと思ったかというと、二つめの理由は「イムジン川」が流れていたからなんです。

http://www.duarbo.jp/versoj/v-folksong/imujingawa.htm

 この歌については、以前2回ほど、ここでも書いた覚えがあります。

http://ichiro.txt-nifty.com/suillus/2006/10/post_29d7.html

 「パッチギ」という映画を見た感想は「ホント、バカばっかりがよくこれほど集まったバカな映画だ!」ってことです(笑)

 バカとバカとの殴り合いである。この映画を見たら、誰も「国と国」とか、そんな偉そうなことを言う気にもなれない。ただ、誰にも大切なモノがあって、そして粋がって殴り合う。お互いに彼の戦争で直接に戦いあった訳でもない若い連中が、近所関係をしょって、学校をしょって、地域をしょって、国をしょって、精一杯ケンカする。

 なんか、今日は一杯泣きました(^^;)

 涙もろい私は、普段もよく泣くのですが、今日はホントにポロポロ泣けました。

 理由は自分でも分からないです(^^;)

 ただわたしも、同じ「バカ」だって思いました。ちろるさんが「見てみて」って言った理由が少し分かりました。


 ※ただの「卵どんぶり」 作りました。

 
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2007/05/16

日本タンポポと、女難の相?

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 わたしは生き方がいい加減で、でたらめな部分がある。計画性がないし将来性もない(笑)。でもキチンとしているところは、自分で言うのも何だがずいぶんキチンとしている(^^;)

 人の心は分かるし、涙もろくて流されやすい。そして一方では、誰もが分かることが一向に理解できない。とくに女性の気持ちが読めない。そんな背反する性格がゴッチャになっているので分かりづらくて、一方ではあまりにわかりやすいという、分かりにくい性格らしいのである(^^;)

 おばちゃんに「私って女性を見る目ってないのかな?」と恐る恐る聞くと、「本当にそうだよね!!」と即答される。そして「一度神社で女難の相を祓ってもらってきた方が良いよ!?」って言われた位だ(トホホ) それほど、女心と秋の空は読めない。

 だれか、わたしの「女難の相」を祓ってくれないだろうか?(^^) お礼に祈祷料5000円を差し上げます(笑)

 ちょっと「破滅型タイプ」かもしれないなって、自分で思う。

 あらゆることに興味を持って、そのいずれもがモノにならない。そんな風にチャランポランだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本のタンポポと、西洋のセイヨウタンポポやアカミタンポポとは、本当に生き方が違っていて、それはまるで日本人と欧米人との相違と、微妙に一致しているのかもしれない。日本のタンポポは遠慮がちで、西洋のタンポポは実に積極的である。

 「セイヨウタンポポ」は、人の足や車のタイヤに付いて全国各地に広まり、道ばたや造成地に繁殖する。一方の「日本タンポポ」はそういった場所には、絶対に生えない。昔から住んでいる場所にこだわって、その場所が宅地化などで造成されると、文句の一つも言わないで滅びて、その場所には二度と生えることはできない。

 潔いというのか、人が良いというのか、バカなのか・・・・・・。

 そして風に吹かれている風情も日本タンポポは、どこかはかなげで、セイヨウタンポポはもりもり元気いっぱい。セイヨウさんは、自家受粉でどんどん増えるから、それをしない日本タンポポに勝ち目はない。

 でもわたしは、頼りなげに風に吹かれ、花も一杯に開かず遠慮がちな日本のタンポポが自分の性に合う。わたしの地元の日本タンポポは、ほとんどが「シナノタンポポ」だから、彼だか彼女に向かって語りかける。

 (以下、一行ごとにイチロとシナノタンポポとの会話です)

 「どうして君は そんなに控えめなんだい? 国際競争力に負けちゃうぞ!」
 「えっ?」
 「だから もっと強引に自己主張しないと この世から駆逐されちゃうぞ!」
 「そうなの?」
 「ホント 君は脳天気だな!」
 「意味わかんない・・・(^^)」
 「ったくもう この場所が耕されたら 君の居場所はなくなっちゃうんだよ」
 「そうなの?(泣) でもわたし何もできないから ただ春になって お花を咲かせて 実を結んで そして熟した綿毛を風に乗せることしかできない」
 「そうだよな 君はこの場所から自分で動くことも 逃げることもできないから」
 「ええ でも私たちの仲間は 必ずどこかで生き延びます」
 「うん」


 実を結んで閉じた花が揺れているシナノタンポポと話していたら、わたしも本当はこんな不器用で遠慮がちな日本タンポポみたいな生き方しかできないって思った。ある場所に根付いたら、結局は昔からの生き方で自分にこだわって、ネイティブとして生きて行くことしかできないって・・・・・・。

 それは人の生き方の問題。

 セイヨウタンポポの強引さより、シナノタンポポのエレガントさに魅せられた私の・・・負け?(笑)

 ※画像:「シナノタンポポ」。「信濃」といっても別に「長野県」のタンポポではなくって、各地に分布しています。やさしい「エゾタンポポ」みたいなお花です(by,Croccoレンズ)。


 日本のタンポポが好きな方は、よろしかったらクリックなんかしたりしてください(^^;)

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2007/05/14

花は、いつか散る

Photo_36
 「散る桜 残る桜も 散る桜」という思いを胸に、62年前の戦争で、特攻機に乗っていった若者たちがいた。

 「同期の桜」ではないが、ぼくは「国のために散る」のは嫌だ(^^;)

http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/doki.html

 (リンクが許可されていませんので、カットアンドペーストで聞いてください)

 でもこの歌を聴くと涙が出る。なぜかというと、その思想信条とか、軍国主義が良いとか悪いとかいうそんな地平ではなくてこの歌は「友との友情」をうたっているからだ。もちろん、何かに「より所」を求めなくては、人は一人では生きていけない。この歌を胸にして「国のため」死んでいった方々を責めたり、愚かだと笑って否定したりすることはとうていできない。そこには「本当の誠」が確かにあったからだ・・・。

 そんな意味で言えば、この歌は「究極の反戦歌」なのかもしれない・・・。


 閑話休題


 今日は休みだったので、庭に出てみた。節操のない母がむやみやたらに植えた花が(笑)、いろんな色の花を、咲かせていた。でも、もうすでに花期を終わっている花もたくさんあった。そこには派手やかな色合いも、みやびな風情もない。ただ、黙って風に吹かれていた。

 でも花って、必ずいつかは散るんだ。そしてそれが実を結んで草花は将来に命をつなげる。

 でも「ひと」って、生まれ落ちて、ほとんど多くが実を結ばない「花」なんだろうなって思ったりする(^^;)。だいたい「ひとにとって実を結ぶ」って、いったい何だろう?

 ・事業に成功すること?
 ・お金をたくさん儲けて、財産を残すこと? 
 ・結婚すること?
 ・子どもがたくさん生まれて、家族が栄えること?
 ・有名になって、未来に名を残すこと?

 バカな頭をたたいてみても、ぼくにはわかんないや(笑)

 花は実を結ぶために咲くけれど、ひとは何のために生まれてくるのだろう。そしてどこにたどり着くのだろう。

 答えはぼくにはない。

 でも考えてみたら「人って目的のない特別な生き物」なのかも?って思った。「発情期がない動物」ならそれも当然かな?って・・・・・・。「そう思ったら、ひとはこれからどこに向かうんだろう」って、考えた。

 自分のことを自分で決めるということは、ホントは、すごく大変なことだ。だってメカニズム(本能)で目的がインプットされていれば、迷いはあり得ない。でも、ひとは「迷うこと」を運命づけられた「ダッチロールの迷走機」のようなもので、そんな連中が数十億人もこの地球上を席巻しているって、危ないことだらけだ。

 ・・・・・・ただ、散るのは終わりじゃないってことを、言いたかったんです(^^;)

 

 ※クリンソウの花
 

 
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2007/05/13

本当にささやかな、母の日の終わり

Photo_35
 きょうも仕事だった。

 昨日は一応「母の日前夜祭」で、家で夕飯をみんなで食べたけど、それはわたしがつくったものじゃなかったし、ワインを開けたもののイマイチ盛り上がらなかったような状態だった。

 朝から仕事をしながら「ああーあ、きょうはどうしようかな。何かプレゼントでも買いたいけれど、ガキ共に送ってしまってスッカラカンだし・・・」と思って、それでも財布を見てみたけれど、やっぱり「22円」しかなかった。

 昼飯も食えないと思って、職場の机の下にある段ボールを見たら「日清のシーフードヌードル」があった。それと、なぜか「母」が以前通信販売で買って、10缶ほどタダで分けてくれた「クジラの大和煮缶詰」「1缶」出てきた。これは「ラッキ」なのである。一食浮いたのである(^^)。表示を見ると「調査捕鯨で採ったイワシクジラ」だという。戦後の子どもたちがそのおかげで生き延びたクジラ肉を食べることで、余計に元気が出そうな気がした。

 カップヌードルと鯨大和煮でお昼が終わって、午後の仕事になると、わたしの頭は全開状態で、いつもの倍以上歩き回って、パソコン二台を使いながら、3つめの別な席に座っては他の仕事をし、仕事場を歩き回ってはゴミを拾い、挙げ句の果てには、外にてでて、先日植えたシャクナゲの周りの草取りまでした。

 そんな時、またある思いが心をよぎったのだった。

 「母の日なのに、お金がなくて、母からもらったクジラの缶詰で昼飯をすましている俺って、いったい何なんだろう」 

 なんだか、急に悲しくなってしまったのだった。

 「こうなったら、きょうは何としてもプレゼントを買わなくてはいけない!」と、そう思ったわたしは、仕事が終わると休日の銀行ATMへ行った。通帳に記帳してみて愕然とした・・・。なんと「固定資産税の軽減措置がなくなって、いつもの2倍引き落とし」になっていたのである。そういえば、なんか通知が来ていたような気がする・・・(苦笑)。イヤ笑い事ではない!のである。おかげで、本来引き落とされるべき別なローンの決済が引き落とされていなかった。これは信用問題なのである(トホホ)。

 残高は残っていたがもうこの口座から下ろす気にはなれなかった。仕方ないので、ずっと使ったことのなかった別な支店の口座を見ると「9085円の残額」があった。そこで、そこから「8000円+休日料金105円」を下ろすと、残りは「980円」

 その「8000円」を持って、地元でも評判のケーキ屋に行った。「いちごのショートケーキ」を2つと「マンゴーのなんとかという丸いショートケーキ」の計3つを買った。6cm×3.5cm位のケーキが、何と「315円」もするのである(笑)。

 お金はまだ数千円はある勘定だけれど、すべてを今日のために使うことができないもどかしさに、母の日なのにちょっぴりため息がこぼれる(^^;)

 帰宅すると、庭で母が草取りをしていた。

 「やあ、帰ったよ(^^)」
 「おかえり」
 「ほれ! これ」
 「なんだい?」
 「ケーキだ」
 「おお ほうか きょうはあれの日だからな(ハハ) 昨日は ごっそさま(^^)」
 「ばあちゃん 母の日なのに こんなもんしか あげられなくて わるいな」
 「わかってるわい そこにおいといてくれ」
 「高かったんだぞ」
 「分かってるわい(^^)」

 母も、わたしの事情は知っているので「たまには温泉一泊旅行にでも、連れて行ってほしいもんだい!」なんて、言うことはない。

 3個のケーキの中に、わたしのケーキは無い。まあ、わたしは元々ケーキを食うとアレルギーを起こすからネ(アハハ)

 母の日に わたしよりちょっぴり豪華なプレゼントができた方は、発作的に押してみてください(^^;)

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2007/05/12

きょうは「母の日」前日・・・だったのに

Photo_34
 わたしには、昨年から書かなくてはいけない原稿がありました。それに怯えてきました(^^:)

 それはわたしの大切な先生へのお祝いの原稿だったのですが、なぜか一向に書けず、でも、2月になって400字詰めの原稿用紙10枚くらい書きました。確か、締め切りは去年の11月だったはず(トホホ)。

 その頃「それでも待ちますから送ってください」という催促の電話をいただいて、「3月末には送ります」などと、安易な約束をして軽口をたたいたものの、4月に入っても、5月になっても一向にパソコンに向かう気になれないのだ。

 もちろん、XPパソコンが不具合になったことが一つの理由で、新しくVISTAを買い換えたので、やろうと思えばできたのだが・・・・・・。

 その理由ははっきりしていた。

 つまり、その先生との思い出があまりにもありすぎて、何をどう書いて文章としてまとめ上げたらいいのかが、自分の中で自信がなくなってしまったのだ。

 そして、一昨日再度遠慮がちな電話があり「どうしても書いてもらわなくてはと思い電話をかけました。、もう一人○○さんも、いろいろでもう少し待ってほしいという連絡がありましたから、ぜひお願いします」という。もうこうなると、書けませんとは言えないし、何とか以前の原稿が8割方残っているのが見つかったので「書きますから、もう少しだけ待ってほしい」と、電話口で頼むしかなかった。「分かりました。おねがいします」と言って、電話は切れた。もうギリギリらしかった。

 そして昨日は、出張もあって思いがけず帰宅も遅くなり、疲れ切ってしまって早々に寝てしまった。そしてきょうも結構ハードな一日だったが、帰宅して夕飯を食べた後、先ほどまでかかって、つたない原稿を9割方書き上げ、細部を再度校正した。ただ思い出話だけの、気持ちばかりが先行している、文章としてはとうてい誉められたものではないが、気持ちだけで書いたのだった。

 しかし、プリントアウトしてみると随所に気に入らない箇所や、文脈のおかしい部分がある。このままではとうてい発表できる代物ではない。

 明日深夜までには、なんとか仕上げてメールで送りたいと思っている。

 それにしても、その先生についてはいろいろな思いがあるので、原稿なんていくらでも書けると、当初はタカをくくっていた自分の未熟さを、しみじみと思う。あまりにも多くの思いが溢れてしまうと「怖くて途中まで書いたその原稿(ファイル)さえ、1ヶ月以上開いてみる」ことさえできなくなってしまったのだった。

 でも、明日深夜までには、なんとしても仕上げるつもり(^^;)!

 当初予定の半分くらいの原稿用紙10枚の文章にしたいと思っている・・・・・・結局3ヶ月前に一回書いた原稿と同じサイズ・・・・・・。その時に思い切って送ってしまえば良かった(^^;)

 ※昨年からちょっと寝かした「ボジョレ ヴィラージュ ヌーボー」の母の日前日祝いワインも、そこそこに、パソコンに向かいました。

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2007/05/10

蜘蛛と、携帯でんわと、デジカメ

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 写真というのは、本当におもしろい。

 きょう、わたしの携帯でんわに「蜘蛛さん」が来た。天井からスルスルと降りてきて、パソコン脇のボックスにくっついた後、下に置いてあったわたしの「携帯電話」の上に乗った。おもしろくなって、思わず「コンパクトデジカメ」で写真をたくさん撮った(笑)

 なにせ、デジカメの接写だからピントが合っているのかどうかも分からないので、とにかく「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる!」状態で、何カットも撮った。

 我が家では、基本的に室内に勝手に入ってきた動物を殺すことはしない(^^;) 蝿や蚊はやっぱり困るので駆除するけれど、それ以外はそのまま放っておくか「蛾」「ガガンボ」など、人に危害を与えない動物は外に逃がす。 娘などは、自分の部屋で蜘蛛を見つけると、手で包んでわたしのところに届ける(^^;) 

 わたしの携帯電話の上に乗ったこの蜘蛛は、しばらくおとなしくしてくれていて、カメラのレンズをじっと見ていた(笑)。わたしの目を見ていたのかもしれない。その間、この蜘蛛にわたしは何気なく無言で話しかけていた。

 「おまえ、どこから来たんだよ?「色が白いな!」「何をえさにしてるんだよ?」「体が四角っぽいな!」

 写真をパソコンにコピーしてみたら、その蜘蛛の「お尻から出ているクモの糸」が写っていた。目では全く見えなかったので、とてもびっくりしたのだった。

 その後、放っておいたら、彼は(彼女?は)いつの間にかどこかに行ってしまった。

 写真って「真を写す」と書くけれど、ある意味で人の脳に反応しない事実を写るという意味で「写真」とはよく言ったものである。でも一方で、逆に真実を写さないで、人に別な印象を与えることもある。特に「写真週刊誌」「スポーツ紙」では、あえて瞬間の表情を「この二人はつきあっている」という印象をあえて与える「でっち上げ」をすることがある。


 ※蜘蛛の名前は調べてません。ご存じの方がいらしたら、どうか教えてください(^^;)

 クモが大嫌いな方と、お好きな方はどうか、押してみてください(笑)

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2007/05/09

カップヌードルのプラスチックを洗う愚かさ・・・

Photo_32
 正直言って白状すると、わたしはカップヌードルのふた(紙)とか、入れ物のプラスチックを、資源ゴミとして回収先に出したことがない。すべて燃えるゴミに出している。

 ごめんなさい(ぺこり)

 でも、実はそれには理由があるんです。

 あの・・・・・・、カップヌードルの入れ物を洗うって、洗剤と、そして水道水をどれほど使うか、励行されている人はおわかりかと思います。カップヌードルの入れ物を洗うのに、中性洗剤を数滴使い、そして清浄な水道水を多量に使う。

 わたしの職場でも、燃えるゴミの中にそんな「再生ゴミ」が入っていると、写真入りで指摘されて、メールで注意される状況である。それってちょっとおかしくはないだろうか?。

 一つのカップヌードルの入れ物を洗うのに、使われる水は、たぶん2~3リットルになるだろう。

 これほどの水を使っても、資源を再生せよ!、カップヌードルのプラスチックを洗え!というのは「水はタダ」だという、日本的な発想に過ぎないと思うのは、わたしの傲慢だろうか?

 問題を根本的に考え直すことが必要なのではないのか!

 つまり、プラスチックを使った肉のプレートとか、紙ではないカップヌードルの入れ物とか、ラップとかいう素材を、使わないことにすればいいんじゃないかってことである。国民にその処置を押しつけるのではなく、国(日本国)が、プラスチックの使用を禁止すればいいのである。

 それができないのは、この国の政府が企業と密接につながっているせいだが、もう、そんなことを言っている場合ではないだろう。

 極端なことを言えば、納豆についている「カラシの小さな袋」や「ダシの袋」は、プラスチックの再生品になっているが、あんな小さな袋を再生品として洗え!って、一方的に表示すれば、それで済むという企業倫理が、今問われているのではないか? そんな無茶なことを要求して商品を売るのではなく、そんな袋をなくしてしまえばいいのである。

 カップヌードルのカップを洗って、収集の際、まじめに洗って出すのが、良識的市民のように言われるが、もうちょっと考え直した方が良いんじゃないかな? 水は使い放題だって言われているこの国ならではの、馬鹿げた話だってわたしは、個人的に思う・・・。

  ※ヤエザクラ。

 プラスチックはそもそも止めた方が良いと思う方は、ポチッとね(^^)

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「片山さつき」が、わたしは大嫌いだ!

Haruzion
 先の小泉内閣で「小泉チルドレン」として当選した「片山さつき」さん(衆議院議員)が、わたしは嫌いだ。中川昭一さんと同じくらい・・・(ちなみに北海の熊と言われた中川一郎さんは好きだった)。

 「いつもパイオニア 、改革一筋」と彼女のホームページではうたっているけれど、ちゃんちゃらおかしい。

http://www.jimin.jp/jimin/giindata/katayama-sa.html

「東京大学法学部卒業卒業。学位は法学士(東京大学)。大学卒業後、大蔵省入省。1986年、大蔵省在職中に舛添要一(当時東京大学助教授、現参議院議員)とお見合いで結婚するも、1989年に離婚する。1990年、現在の夫である産業再生機構執行役員の片山龍太郎と出会い再婚(1984年当時交際していたがフランス留学を機に自然消滅。その後再会し90年に再婚した)。政府再編後は財務官僚として女性初の財務省主計局主計官(防衛担当)を勤めた。2005年8月の衆議院議員選挙において、静岡県第7区より自由民主党候補として立候補、城内実を破って当選した。第3次小泉内閣では、経済産業大臣政務官を務めた。現在は自由民主党の広報局長に就任している。」

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

だという。

 なぜ彼女のことをわたしが以前から嫌いかというと、彼女の表情の「醜さ」がある。自分は「わたしって一般人と私は違うのよ!」という、つまり官僚という「選民感覚」が染みついていて、それがプンプンと匂ってくるからだ。

 大蔵省(今は財務省)に入れば、だれでもそんな風になるのかな?(トホホ)

 東大を出たから偉いという、そんな素直すぎる率直な自己主張という自信が嫌いなのである。こういう人間が国会議員になって、この国を多少なり動かしていると思うと、暗澹たる気持ちになる。

 男女共同参画や、女性の登用が昨今叫ばれるのは当然だとは思うが、こんな女性が登用されるのなら、この国は何も変わらない。

 官僚機構という、完璧にできあがった日本国の組織の中に入ったら、そこには本当は「男も女も」ないのである。彼も彼女もみんな「選民」で、一般の国民とは人種が違うのであるらしい(笑)。

 まあ、彼女は不器用で、表情の演技が不器用でマスコミ写りが多少悪いだけなのかもしれないだけで、本当はもっと悪い人間が一杯いるのかもしれない。でも、きょうの秘書がやったという暴行事件に対する彼女の弁明発言も、彼女の表情も、醜いとしか私には思えなかったのだった。

 あの、人をバカにしたような、笑わない「目の表情」は、いったい「どんな教育を受けたら」できあがるのだろうか??

 註:「醜い」と思うのは「私の個人的な感想」です。


 ※野に咲く「ハルジオン」の花


 片山さつき衆議院議員をお好きだったら、押さないでくださいね(笑)

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幸せの青い鳥

040
 ななをさんの「幸せの青い鳥と花の地平線」↓を読みました。

http://plaza.rakuten.co.jp/nanawonosora/

>ほんとうは
>手の中にあった
>幸せの
>青い小鳥のように

 わたしもそう思います。

 「幸せの青い鳥」は、本当は自分の身近に寄り添っているんだって・・・。ただ人はそれに気がつかないだけ。遠い彼方の幸せを永遠に夢見て追い求めてみても、ひとはきっと幸せにはなれない。一億人の人間に祝福される必要なんてないと思います。最後に息を引き取るとき、愛するたった一人の人間の手を握って「ありがとう」って言えたら、わたしは十分に幸せだって思います。


 ななをさんの文章を読んで、昔書いた文章を思い出しました。以前もアップしたことがありますが、もう一度掲示させていただきます。以前お読みの方は、どうかスキップしてくださいね(ペコリ)

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SUB:追いかければ逃げる青い鳥(女の子)/イチロ

 自分が本当に欲しいものは、追いかけてはいけない。「幸せの青い鳥」は追
いかけると必ず逃げてしまう。「幸せになりたいよ。なりたいよ~~。」と願
っている人ほど往々にして逆に不幸を背負ってしまうものだ。人生の不条理で
ある。

 そんな人は少し立ち止まって、ちょっとひと休みするが良い。

 これは私の体験談である。まったく深刻な話ではない。かつて私はとある女
性と付き合っていた。その女の子はあまのじゃく(^^)で押せば押すほど引くタ
イプの女性だった。彼女は私がアプローチすればするほど遠のいていった。女
性の中には押されると弱い方ももちろんいるだろうが(少し前に掲示されてい
た「栗」さんという方も強引さに弱いといったことを以前書いていたような気
がする→別な方だったらごめんなさい)。

 その女の子は当時別な男とも付き合っていた。私に面と向かって「大勢の人
から思われるのが好き。」と言い放ったこともある。そうそう、彼女は
「竹内まりや」の『けんかをやめて』が大好きだった。「けんかをやめて 二
人をとめて 私の為に争わないで~~」というやつだ、なんだか「まりや」の
この歌って頭に来ないか・・・??。

 話を元に戻す(^^)。

 私は押しの強い人間ではないし、しかも面と向かって言われたことを単純に
信用するストレートな性格である(^^)。ゲリラ戦を苦手とする正攻法(正常位
ではない(^^;))しか知らない融通の利かない人間である。いつかも彼女の家を
訪ねたとき、彼女のお姉さんが「すみませんね。妹は今「壁」を塗っていると
ころなの。もう少し待ってくださいね(^^)」と言った。私はそれを真に受けて
「壁塗りですか?大変ですね。いくらでも待ちますよ」とマジで答えた。その
時のそのお姉さんの驚いたような戸惑った表情を忘れることがいまだにできな
い。思い出すたびに冷や汗が出る思いだ。ハハハ。後で解ったんだが「壁塗り」
ってのは「化粧」のことだったんだ(^^;)。

 そんな彼女とはつかず離れずのような関係が続いて、私は地元に帰ることが
決まった。彼女はまだ学生であった。まあ距離的には特急で3時間未満の距離
だったから、会おうと思えば毎週でも会えない距離ではない。しかし、絶対的
な距離が離れているというのは、若い二人の関係を徐々に徐々に変えていった。
それは仕方のないことだった。

 そんなある日、近くの公衆電話から彼女のアパートに電話をした。その時彼
女から「私、東京の試験(就職試験)に受かったの。こちらに就職するつもり
でいるの。」という話を嬉しそうに話した。以前から二人の電話の回数もずい
ぶん減ってきていたし、その就職の話はとても条件の良い話のようだったので
心からそれを祝福した。「就職決定おめでとう。良かったね。君に最適な職場
が見つかってホントによかったじゃないか。でも君も東京に就職してしまえば
もう今までのようには会えなくなるね。じゃあまたね。」といって私は公衆電
話の受話器を置いた。「またね」とは言ったもののその時私は、もう彼女とは
これで最後かもしれないと思っていた。別に彼女を追いかけるのに疲れたわけ
でもなかったけれど、これも自然な成り行きかと妙に納得していたことを思い
出す。

 ところが次の日だったのか数日後だったか?、彼女から私の家に電話がかか
ってきた。その内容は東京に就職するのはやめたという内容だった。私の住む
県で就職試験を受けるのだというのだ。これは彼女から聞くはじめての秘めら
れた告白ではないか。晴天の霹靂とはこのことである。彼女が私に電話をかけ
るまでに、どのような心境の変化があったのかは知る由もなかったが、私が半
ば諦めて別れを予感した直後だっただけにとてもビックリしたよ。今まで「押
して」ばかりいたのに、自分の方が「一歩引いた」結果がはじめて彼女の方か
らの積極的なアプローチを導き出したのだった。

 正直に彼女の就職を祝福した結果がこのような意外な展開をもたらしたとは、
人生ってのは杓子定規では割り切れないと思った。

 でも、私に下心があって別れたくないのにわざとそんなポーズ(演技)をし
たのだとしたら、かえってそんな彼女の心境の変化はなかったかもしれない。
『幸福の青い鳥』は追いかければ追いかけるだけ逃げるものだとその時反射的
に思ったよ。

 ずいぶん長くなってしまったので、それから彼女と私がどうなったのか(^^;)
ここで今書いている余裕はない。いつか機会があれば続きを書きたいが、本音
を言えば書きたくないような気がする。それは良い思い出としてとっておきた
いんだ。

                     1995/10/25     イチロ
/POST 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 一つの疑問

 でも「幸せの小鳥」は、どうして「青」で、「赤」じゃないのでしょうか?


 ※ 「ボケ」の花


やがてボケるのが怖い方は、押してみてください。ボケ防止になります(ウソ)
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2007/05/08

オドリコソウって知ってますか?

Photo_30
 我が家の近くの土手には、毎年「オドリコソウ」という花が咲く。

 先日、アップしたのは外国産の「ヒメオドリコソウ」だけれど「オドリコソウ」の方は、純国産らしい(笑)

 見ていただくと分かるけれど、「踊り子」といっても「外国のバレリーナ」ではなくて、菅笠?をかぶった和服の踊り子さんなのである。

 花の形が、そう見えませんか?

 昔の人は、なんて雅な名前(和名)を付けたんだろう。

 そういえば、娘が保育園だった頃、この花をちぎって蜜を吸わせたものだった。チューチュー吸うと、甘い蜜が出るのだ。それはえもいわれぬサッパリとした味で、花を吸っては喜んでいた娘の姿を思い出す。保育園にも持って行って園児たちが声を上げながら、花を吸っていた姿を思い出す。

 でも今となっては、彼女は、このお父様に向かって「なんだよ! うっせーな!」などと、のたまうギャルになってしまった(トホホ)。そんな子に育てた覚えはなかったのに・・・・・・(^^;)

 お父さんは、昔の思い出に浸って、ちょっぴり涙がチョチョ切れるのだ。

 め娘の娘もブラジルで、なんだか現地の人と仲良くなって、テラピアとかを、むさぼり食っているらしいけど(妄想なので言葉を真に受けないように・・・ハハハ)、「親の心子知らず・子の心親しらず」だよねぇ(苦笑)

 オドリコソウの花を毎年見るたびに、わたしは、一つずつ年をとり、素直で可愛かった娘の姿を、当時のまま毎年思い出すのである。

※画像:オドリコソウ

 花が菅笠で踊っているように見えた方は、押してくださいますか?

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2007/05/07

春の きのこ鍋

Nabe
  先ほど書いた「著作権の話」をじっくりと読んでほしかったんだけど・・・・・・きょうね、春なのにきのこが畑で採れたんだよ・・・(^^;) 通称「ハルシメジ」って言うんだけど・・・。

 それがさ、前にも書いたことがあるんだけど、春に出る「イッポンシメジの仲間」でさ、ホントの名前が、実はないんだよ(ハハ)。

 Entolomaって、属名まではあるんだけど、種名が決まっていないんだわ。イッポンシメジは普通食べられないんだけど、このハルシメジは美味しい食用きのこなんです(^^)

 だからきょうはきのこ鍋にしました。

Photo_29

 豚肉の、すき焼きです。とっても美味しかったよ(^^)


 リンクタグです
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著作権についての 大切なお話

Photo_28

 以前から、著作権についてのお話は、何度も何度も繰り返し書いてきました。

 それは、わたしが著作権に関わる仕事をしているという理由もあるのですが、著作権については、人によって、また国によって考え方が大きく異なりますね。

 とりわけ「中国」という国の著作権に対する、国家としての姿勢には、多いに問題があると思われます。それは、国家としての「品度」の問題であり、中国人たちの「民度」の問題でもある。

 「EXAさん」も書いていらした。

http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41506&pg=20070423

 先日のテレビで見た、ドラえもんやキティちゃんを真似したキャラクターが闊歩する、ディズニーランドをまねた「国営公園」の映像には愕然とした。「これは童話の中のキャラクターです」と言わざるを得ない責任者の女性の苦しい弁明を聞いて、中国という国を悲しく思った。

 こんな体たらくじゃ「中国って、マジ、程度が低~~い!!」と言われても仕方がない。これをお読みになった中国人の方がいらして、もし反論があったら、どうか率直なご意見を寄せてほしい。

 確かに「著作権法」「著作権者の権利をあまりにも保護しすぎる」という意味で、「健全な文化活動を阻害する」という意見には、確かに一理ある。しかし、オリジナルな創造者のそれをパクって、商売をして「人のふんどしで儲ける」ような行為が頻発するから、著作権保護が声高に言われるようになった。

 わたしのブログでの著作権に対する考え方を、ちょっと書いてみたい。

 わたしのココは、リンクフリーだし、注記していない限り、画像(写真)はすべて自分で撮っている。そしてアップした画像は、加工も含め自由に使っていただいてかまわないと思っている。ただ「使いました」って言ってもらえたら嬉しいし、見に行きたいって思っている。それは「基本的人権」みたいなもので、常識的に扱ってもらえたらそれで良いって思っている。

 でもわたし以外の方の著作権については、職業柄もあって、必要以上に厳密に扱うようにしている。

 ただし、ネットのサイトでは「いかなる場合でも無断使用はお断りします」という方もいる。茶化して悪いけれど、そんな人の画像や文章に限って「どうぞ使ってっていわれても使いたくもないイマイチな内容」だったりする・・・(アハハ) 

 だいたい、著作権法を読んだこともなくて「引用の権利」さえも規制しようとする但し書きをしている人がいるけれど「引用」という正当な使用さえも断固断るのなら、なぜネットという場所で、世界に向けて自分の写真や文章をアップするのかな?って思う。そんなに制限したいのなら、人に向けて発信しないで、自分のノートにこっそりと書いていればいいんじゃないかなぁって、しみじみ思う。

 わたしは自分の書くしょうもない文章を、どこかの方が使ってくれたら、それはとっても嬉しいことだと思っている。だってそれは、わたしの書いた、誰にも書けない わたしのオリジナルな文章だから・・・。

 ただわたしの書いたそれをパクって、自分が書いた文章だと、どこかの彼や彼女が偽装したら、それは罪になる。もちろん、著作権は「親告罪」だから被害者が訴えないと訴訟にはならないけれど・・・・・・。

 著作権が「その国の文化レベルを現す」というのは、そういう意味である。「やっても捕まらなければ良いじゃん!べつにかまわないじゃん!という民度」が問題なのである。

 「誇り高く生きる」なんて、きれい事かもしれないけれど「著作権はその国の国民の程度をはかる尺度」だって思う。

 来年のオリンピックを控えて、中国は、もうちょっと考えた方が良いんぢゃないかな。


 ※近所の「ヤエザクラ」(色が濃くてきれいです)


 「著作権」は大切にした方が良いって思ったら、どうか押してくださいマセ。

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2007/05/06

若さに捧ぐ・・・

Photo_27
 若い頃 何も怖くなかった

 自分以上のものは この世にはないって 思っていた
 未熟だということの輝き
 そして 自分に気がつかないことの 無鉄砲な強さ

 刃物を使う度に 指を切った
 カンナで爪を削いだ
 稲刈りをしながら ノコギリ鎌で指を切って 真っ赤な血が
 一杯出た 
 包丁を研ぐ練習をしながら 指をザックリと切った

 でも 何も怖くなかった

 傷が治ると また刃物を使った
 若さという 無鉄砲さと 鈍感さに駆り立てられていた

 いっぱい血を流し
 死にそうな目に遭いながら きょうまで生き延びた

 そして いつの頃からか わたしは臆病になった

 経験という 繰り返される重さに敏感になって
 とっても 臆病になった

 やろうかやるまいか迷ったとき 以前のわたしは必ず挑戦した
 でも 最近迷ったときは やめるように 生き方を変えた
 守るものが増えて 慎重になった

 守るものがないということの 自由
 若さという 未熟であること 愚かであることの輝き

 それを若い君たちは 存分に謳歌するが良い
 愚かであること 気配りができないこと 知恵のないこと
 そんなことは 若さという輝きに比べたら なんでもない

 体も 心も 思い切り傷つくことは 若い頃しかできない
 それなりの年になって傷ついたら ひとは二度と立ち直れない
 若い日に絶望を 知った人は  きっと 本当の人になれる
  


 ※ミヤマウグイスカグラの花(毛が多いのが特徴です。紡錘形の美味しい実がなります。
  「キウイ」と同じ味がします)

 ブログランクです。

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2007/05/05

おっぱいの話

Img_09931
 最近、テレビコマーシャルで、「おっぱい」という言葉を耳にするようになった。

 昔は考えられなかったよね(^^;)

 Ichiroさんも書いていたけれど、男と女は、興奮のメカニズムが違う(^^;)

 男は女の人の「おっぱいを見て興奮する」けれど、女性は視覚ではないらしい・・・。 女性は「男ってホントしょうもない動物!」っていうけれど、そんな男の本能が無くなって、女性的なナイーブな性格だけになったら本当は困るんじゃないかな? これからの時代、女性はもっと男の本性っていうか、野生っていうか、そういった感覚を理解して欲しいって思うな・・・。  

 おっぱいのふわふわした柔らかな感触は、お母さんの思い出。それは、男の子も女の子も同じ思い出。

 でも、「おっぱい」なんて言葉を、公の場で口にするのをためらうのは、この国の昔からの風習で、遠慮がちな、ステキな感性だって思う。

 だから、あまりCMで堂々と、ホントは軽々しく使ってほしくないな・・・。

 テレビでは「小雪さん」が、若くてプリプリの胸を、真っ白な服でみんなに見せているけれど、彼女だって年をとったら、大きなおっぱいはちょっと垂れちゃうだろうし、でも、それはそれで良いって思うんだけど・・・。

 大きい胸も小さい胸も自然で良いって思うんだけど、やっぱり女性も「ブラジャーで寄せて集めて大きな胸」を、強調したいのかなぁ・・・(笑) 


 ※前にも一度使った画像ですが、新たにカットし直しました(^^)

 女性の胸が好きな方は、クリックしてください (強引ですか・・・アハハ?)

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きょうは なんとなく タンポポ日和

Photo_24
 きょうは なんとなく タンポポ日和
 あったかで 柔らかい 薄曇りの中
 畑には 黄色いタンポポが 満開

 遠い国からきた タンポポが 満開
 ミツバチかな アブかな? ブンブン
 お休みなのに 一生懸命仕事してる

 黄色い花粉まみれで 花から花へ
 もぐり もぐって 蜜あつめ ですか
 お休み時間は ないですか

 日本のタンポポは 控えめにひっそりと
 昔から住んでる 自分の国なのに 
 なんだか 日本人みたいに 遠慮がち

 こんなとき 日本の国が 好きになる
 いい国に 生まれたって
 控えめな 人たちは 強気になれる
 最初から強気な人は 謙虚になれない

 だから わたしは この国が好き
 春の葉っぱのような 柔らかさが 好き
 人をいたわる しなやかさが 好き

 なんだか きょうは タンポポ日和

Photo_26

 ※画像

  上:Taraxacum officinale Weber (セイヨウタンポポ:基準標本=ヨーロッパ)
  下:Taraxacum hondoense Nakai ex H.Koidz.(シナノタンポポ:基準標本=日光)

 ランクのタグです。 タンポポ好きな方は良かったら押してください。

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2007/05/04

私の喫茶店に来ませんか?(その14)

Img_55031
 今日は連休後半の中日。5月の連休中は、お店を開けてもお客さんはあまりいらっしゃらないのです。そこで今日は、新しいコーヒーメニューを作ろうと思いました。新しいブレンドです(^^)

 いろんな組み合わせを試してみて、決まった新ブレンドの割合は・・・・・・、

 モカマタリ0.5+キリマンジャロ0.3+ブルーマウンテン0.2=1.0

 昼過ぎ、小柄な女性のお客さんがいらっしゃいました。

 「いらっしゃいませ」
 「こんにちは」
 「コーヒーください」
 「はい。かしこまりました」

 ミルでひいて、新しいブレンドを出してみる。

 「わっ、美味しい!」
 「ありがとうございます(^^)」
 「今日も仕事なのよね・・・あたし。連休なのに・・・」
 「大変ですね」
 「でも、明日は休みだから、がんばるぞぉ! またくるね!」
 「はい ありがとうございます」

  彼女は、ネームの付いた紺色のブレザーと、タイトなスカート姿で店をかけだしていった。

  お休みなのに、お仕事ご苦労様。

 

  ※画像:店先の「アケビの花」です(^^) 今年も咲きました。

 お休みでも働いている人。がんばってね(^^)

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5月4日はみどりの日-今日は草取りをしました(アハハ)-

Murasakikeman
 今日は良い天気(気持ちいい)。

 連休ですね。 職場は仕事なんだけど、今日は指定日でわたしはお休みになりました。

 どこかへ出かけようと思ったけど、みんなそれぞれ予定があって合わないので、午前中は布団を干して、買い物に出かけた。夕飯はうどんかそばにしようと思った。「きつねうどんで良いか?」と聞くと「肉が食べたい」というので、仕方なく「キツネと肉の折衷」にすることにした(^^;)

 昼食を終わって庭の草取りをしようと思った。いつかはやらなくっちゃいけないので、一人の時にやろうと思ったのだった。

 取った草は・・・・・・、

1,ハコベ
2,ヒメオドリコソウ
3,ヘビノネゴザ
4,スギナ(これが一番やっかい、根がある限りいくらとっても無駄-苦笑)
5,ハルジオン
6,タネツケバナ
7,セイヨウタンポポ
5,イネ科の草(数種)
6,ナズナ
7,ムラサキケマン
8,カキドウシ
9,ミミナグサ
10,タチイヌノフグリ
11,ヤエムグラ

 その合間に草花を撮った。日差しが柔らかくて良い天気だなぁ(^^) どこかに出かけて渋滞に巻き込まれないで・・・・・・逆に良かったのかな?(アハハ)

 
 ※画像:「ムラサキケマン」(ケシ科)。この花はどこにでもありますが「ウスバシロチョウ」という、アゲハの仲間の幼虫が、これに限って食べる「チョウチョのごはん」なんです(^^) なんでムラサキケマンとウスバシロチョウの関係ができたのかホント!不思議です。動物(虫)と草の関係って、ホントに不思議ですネ。

 ヒメギフチョウは、ウスバサイシンに卵を産むしねぇ・・・・・・(^^)

 前回載せた「ヤマエンゴサク」と同じ仲間なんですヨ。

 何気ない花が、スキです。
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2007/05/03

こどもの日によせて-子どもの権利条約のこと-

Photo_23
 あなたは『子どもの権利条約(児童の権利条約)』を知っているだろうか。

 日本は今から16年前、1990年9月21日に109番目で署名し、1994年4月22日、158番目の批准国となった。 ちなみに、条約に署名したが批准していない国は世界に「2カ国」ある。

「アメリカ合衆国」 (1995年2月16日署名)と 「ソマリア」(2002年5月署名) である。

 アメリカ合衆国が「京都議定書」に署名せず、「子どもの権利条約」を批准していない国であるという事実は、覚えておいて良い。

 ユニセフが子ども向けに書いた、次のホームページを、もしお時間があったらでいいので覗いてみてほしい。

http://www.unicef.or.jp/kodomo/nani/base/base.htm 

 私は、このような誇り高い、そして子ども側に立った「条約=条文」をかつて知らない。こんなにきめ細やかで思いを遣った文章を「外人に書かれたことを切なく思う(^^;)」。できることなら「日本人に書いてほしかった」。批准が「158番目」という遅さもちょっと切ない。

 この条約について、9年前に書いた文章を再掲示してみたい。お暇だったら読んでみてください。

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1997年10月6日

子どもたちのこと /イチロ

 先週、本屋で黒柳徹子さんが書かれた、
『トットちゃんとトットちゃんたち』講談社 1997という本を
目にして買ってきた。「トットちゃん」は黒柳徹子さんのこと、
そして「トット」はアフリカのスワヒリ語で「子ども」のこと
だそうである。まだめくっただけで読んではいないのだが、そ
の本の最初には次のようにあった。

 「この本を、 私がユニセフの親善大使になった一九八四年
  から、一九九六年までの十三年間に、栄養失調や、感染症、
  また内線や戦争に巻きこまれながら、愚痴もいわず、大人
  を信じて死んでいった一億八千万人の、小さな子どもたち
  の魂に捧げます」

とあった。一三年間に一億八千万人の子ども達が「愚かな大人
達」(私の言葉)のせいで死んでいったというのだ。私は別に
そうした現状を改善する声を日常あげているわけでもないし、
「運動家」なる者でもないが、それは絶句するに値する数字だ
った。

 この本で黒柳さんは、そんな開発途上国各国をユニセフの親
善大使として訪れた時のことを綴っている。

 私は黒柳徹子は実はあまり好きではない。テレビで見ている
ととても「生意気な印象」(笑)をうけるからだ。『窓際のト
ットちゃん』も読んでいない。でもこの本を少し読んでみて、
黒柳さんという方に対する見方が変わった。

 ユニセフ(国連児童基金)の親善大使というのは現在5人だ
という(ダニー・ケイとオードリー・ヘップバーンが死んでし
まったから)。年俸は1ドル。

 私は以前にも何回か「子ども」のことを掲示したことがある。
私は子どもが好きだ(EXAさんも本当は子どもが好きに違い
ないと私はにらんでいる(笑))子どもというのはやはり社会
的な弱者である。本来大人達を頼って生きて行くしかしかない
存在である。そんな子ども達が内戦で殺されたり、大人のよう
に痛いとも苦しいとグチも言わず、大人を信頼して黙って死ん
で行く現状は、どう考えてもやはり間違っていると思う。

 十二才で一回の料金が42円で売春するハイチの少女は、家
族が明日食べる食料を得るためにエイズを怖れながらも身を売
る。「怖いけれど、エイズになっても何年かは生きられるでし
ょう」(P7)と彼女は言う。破傷風で死にそうになっている子
どもに声をかけると「あなたの、お幸せを祈ってます」という
返事が返ってきた(P6)。両親や兄弟を自分の目の前で殺された
子どものこと・・・。そんな話がたくさん出てくる。

 私という命は、今は平和な国である日本のこの時代にたまた
ま生まれ落ちたのだろう。そしてとりあえずは食う物にも困ら
ない。住む家もある。寒い冬にも凍えないだけの着る服もある。

 でもそんな平和な社会(であるからなのか?)子どもの自殺
は後を絶たない(トットちゃんの本には、そんな「発展途上国」
で「自殺した子どもは、一人もいない」(P.332)とあった)。

 この私が住まう「日本」という国はあまりに複雑にシステム
化されているから、かえって生きにくい国だ。神戸の事件にし
ても精神鑑定の結果が報道されているけれど、それをやはり個
人に帰せて一件落着とはいかないだろう。この国の深い闇を彷
彿とさせる。

 国連の「子どもの権利条約」(国が呼称している『児童の権
利条約』という日本語は『CONVENSION ON THE RIGHTS OF
THE CHILD』の和訳としては間違っていると思う)というものが
ある。日本が批准したのは1989年頃だったろうか。この条約
の精神が実現できたら先ほど書いたような事態は当然なくなる
のだろう。しかし、それは今の日本でもとうていその精神を実現
することは不可能だろうし、いわゆる『発展途上国』では、なお一
層むずかしいに違いない。

 ところで「ORT」というものを知っているだろうか?私も
本で読んで知ったのだが、それは水1リットルにサジ8杯の砂
糖と1杯の塩を溶かしたそれだけのものである。この「水」に
よって1989年1年間で、75万人の子どもが救われたのだ
という。このORTの普及がもっと進めば、脱水症で死んでゆ
く子ども達の半数が助かるのだという。

 私は実際にそれを作って飲んでみた。とてもまずい飲み物だ。
それに、なぜかとても苦い味がした。

                       イチロ


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 しかし、これほどの40条以上もの条文で子どもの権利をうたわなくてはいけないということがどういうことなのか!?。つまり「子どもの権利」「これまで一向に守られたことがなく、これからも守られないだろうから、あえてこうした条約を締しなくてはならない」というのが、現実なのである。

 今でも「10秒間に3人」の子どもたちが死んでゆくのが世界の現実だと聞く。

 こどもの日を前にして、少し思いを遣ってみた。「子どもは国の宝」という昔からある美しい心を、この国から失いたくないと思う。


 ※画像:昔「ジャリパック」ってのがありましたね・・・いや「JALパック」だったっけ?(笑) こんな小さなカップヌードルを1食でも食べられたら、一日生き延びられる子どもが、世界には何千万人もいるんだろうな・・・。


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2007/05/02

収入の少ないお父さんを、どうか許しておくれ(^^;)

Dscf08611
 お金がないということは切実である。330円の区間で、329円しか持っていなければ、バスに乗ることもできない。1円の尊さを思う。

 この数年、わたしはお金のない生活を送っている。

 一番の理由は、以前にも書いたが、子どもたちにかかるお金である。「学費・下宿代・生活費」にかかる年数百万は、わたしの私生活を否応なく圧迫する(^^;) それがもともと完全に不可能な話であったのなら、学校に上げないで高卒で働いてもらうか、学費のかからない学校へ行ってもらえば良かったのだが、それをしなかったのは自分の責任でもあるので、子どもたちをいまさら責めようとは思わない。

 自分が私立の学校を親から出してもらったので、子どもが「私立」といっても、違和感がなかった。

 でも、生活は激変した。

 以前のわたしは、本やカメラやいろんな趣味の周辺機器にお金を惜しまない生活をしていた。昔話である。カメラもパソコンもハイエンド製品を使っていた。本も書店で目についた本は「ピンときたら」すべて買った。手に入れるチャンスを一度逃すと、本というのは二度と出会うことができないからだ。休みのたびに家族で出かけては、昼食を外食し、夕食を店で食べて帰ったものだった。

 でも今では、家族で外食することは年に5~6回くらいしかない。

 貧乏になると、真っ先に減るのは外食である(笑)

 でも「生活レベルを落とすのは並大抵ではない」とかいうけれど、ビールが発泡酒や雑酒になっても、吟醸酒や純米酒が、2リットル980円の「まる」になっても(笑)、それを「みじめ」だとは思わない(アハハ)。まあ「月100万円の家賃で六本木ヒルズ」に住んでいたのが「三畳一間3万円生活」になったら、普通の人は気落ちするだろうけど(笑)、わたしはそんなことないな・・・たぶん。

 前も書いたけれど、人は必要以上のお金は必要ないと思ってる。 わたしの場合は、必要なお金さえ今は確保できない状態であるけれど(^^;)何とかなるかなって・・・・・・思ってる。

 今日は仕事だったけど、午後3時すぎたら、今日の夕飯は何にしようかなって、仕事中なのに思った。「わたしは短時間で他の人の3倍くらいの仕事を同時進行している」って、自分で勝手に思っているから(笑)、一日3時間働けば仲間の9時間分くらい働いたと思う。それだけ頭も体も足も人の数倍動いているって・・・。だから、シングルタスクじゃなくてマルチタスクだから、マルチのうちの一つくらい夕飯のことを考えても「サボっている」ことにはならないと、勝手に判断している(^^;)。

 そして決めた!”

 昨日作ろうと思ってたのに、思い立ってスパゲティにかえてしまった「中華丼」にした。材料はすべて「冷蔵庫と秘密の戸棚」にあるものでまかなう、兵糧作戦(^^)

 今日の食事代は、とりあえず、4人前で、現金支出は「0円」

 やったぁ・・・!!!


 ※画像:中華丼の小盛りバージョン(^^;)  材料:冷凍エビ・タケノコ・チンゲンサイ・キャベツ・にんじん・ピーマン・干し椎茸・長ネギ・タマネギです。イカもホタテも入っていないけど、美味しかったよ(^^) 最後に垂らす「ごま油」が決め手です(^^)


中華丼を少しは美味しそうだと思ってくださったら、押してくださいまし(^^;)
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2007/05/01

「親学」(おやがく)って、バッカじゃないの!

Supa


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000005-mai-pol

 「親学」なるものを、推奨する人々がいるらしい。

 ↑ ・ ↓ の記事を、読んでみてほしいのである。

 「◇「親学」提言のポイント
(1)子守歌を聞かせ、母乳で育児
(2)授乳中はテレビをつけない。5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せない
(3)早寝早起き朝ごはんの励行
(4)PTAに父親も参加。子どもと対話し教科書にも目を通す
(5)インターネットや携帯電話で有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」の実施
(6)企業は授乳休憩で母親を守る
(7)親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞
(8)乳幼児健診などに合わせて自治体が「親学」講座を実施
(9)遊び場確保に道路を一時開放
(10)幼児段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目を習得させる
(11)思春期からは自尊心が低下しないよう努める 」 (上のhttp://毎日新聞から引用)

 いったい国の「教育再生会議の連中」というのは、何を考えているのだろうか。というか・・・実際は何にも自分の考えがないんだろうと思う。

 彼ら彼女らが根本的に分かっていないのは、自らが上に立った立場を演じ国民を眼下に低く見て、たかが国民という有象無象の連中は、法制化とかして強制すれば「自由にコントロールできる」と考えているらしいことだ。「偉い連中?(笑)」の考えることはわからん! というより、まったく理解したくもない。

 教育再生会議のメンバーとして政府から要請されて、それを喜んで引き受けた見識もどうかと思うけれど・・・・・・。

 というのは、政府とか県や地方自治体の諮問機関というのは、すべからく公平な立場で良識を持って方針をまとめる場所ではなく、政府や総理・首長の意向に沿った単なる「形(体裁)を作り上げるためだけにある」というのは、大人の常識である。

 本当の良識のある人間は、指名もされないし、万が一指名されても受けない。

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 ↑ (上)の、(1)から(11)の項目を読んでみてほしい(^^)  たとえば、

 >(1)子守歌を聞かせ、母乳で育児

  あのさ! それって「資本主義社会の私有財産制の否定」と同じじゃないのかな(笑) そこまでのことを再生会議の連中が言うのなら、地震や災害で失われた個人の住宅や私的財産を、国の責任で補償することも同時にやるべきである。「母乳」という、根本的に「個人」に関わることにまで口を出して、そこまで「国が国民の私生活に口を出す」というのなら、天災による被害を国家の責務として、アフターケアや生活保障まで私生活の面倒を徹底的に見るというのなら分かる。

 母乳で育児しようが、粉ミルクで育てようが、そんなの個人とか家庭の勝手だ!。 そんなことまで「国家」が口出しするんかい!! ふざけるな!である。

 もしそんな現状がやっと今になって心配になるのなら、どうしてそんな「親」を生み出すような教育しか、これまでやってこなかったのか。

> (4)PTAに父親も参加。子どもと対話し教科書にも目を通す

 こんなことをいう、再生会議の連中が、過去どのようにPTAに関わっていたか、洗いざらい調べるべきである。「子どもと対話し教科書にも目を通す」なんて、ホントに本音で、あんたたちは自分でもやってたんかい!?(^^;)

 「親学」などという国家統制的な理屈を唱える連中は、たぶん保守的な連中の中でも一部だろうが「親とは何か?という規範を国民に教えなくてはいけないという発想」そのものが、陳腐でちゃんちゃらおかしいのである。


 ※今日はスパゲティ : ガキが帰ってきたので、ボリュームたっぷりで安上がりにトマトピューレで作ってみました。ブラックタイガーがプリプリで、美味しかったです(アハハ) 「教育再生会議の連中」たちは「このスパゲティには野菜が足りない」とかいうのだろうな(^^;) 親学の提言は、そんないちゃもんと同じことだ。 会議報酬もらって、馬鹿馬鹿しい脳天気言ってんなよ!! 

 ホント頭にくる。

 最後に。 親になるのは学ぶんじゃなくて、「親にはなるもの」だって思う。


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